こんにちは。リバテープ派、チョッピーです。
ついてねぇ
このところ立て続けに軽い不幸に見舞われている。
具体的には…?
まず最初にコップを一気に2つも割ってしまった。コップを洗い終わって乾かしていたら手が滑って落としてしまったのだ。あと、なんかそのついでに茶碗も欠けた。
次に気分転換のためにスタバに行ってスマホのKindleで本を読もうとしたら、スタバに到着した瞬間に肝心のスマホを自宅に忘れていた事に気付き、スタバに入らずに帰宅する…という失態を演じてしまった。
最後にキッチンを掃除中に左手中指を少し切ってしまった。
こんなに不幸が続くなんて何かおかしい。きっと何か良からぬモノが悪さをしているのだと思う。
確かにかわいそうではあるけど、そんなオカルトチックな話ではなくて、単純に全て自分の不注意が招いた結果では…。
きっと何か良からぬモノが悪さをしているのだと思う。
嬉しかった話を2つ
さて、不幸に見舞われていると言っても「私って不幸!」と悲劇のヒロインを演じるのは僕の性には合わない。
性に合わないというか、そもそも、そんな態度が許されるのはヒロインだけなのである。
「ヒロイン」と他人から呼ばれる程のプラス要素があってはじめて、赤の他人に「慰めて!」という態度を取っても許されるようになるのだ。
僕は間違ってもヒロインではない。そんなわけで僕は殊更に自分の不幸を嘆きはしない。
なお、もしかすると、この文章を読んで「え、じゃあ、僕・私は不幸を嘆いてはいけないのか…」と思われた読者の方がいらっしゃるかもしれません。ご安心ください。皆様は「僕にとってのヒロイン」なので大丈夫です。何故ならばワザワザ時間を使って僕の書いた文章を読んでくださっているから…。いつもありがとうございます。
というわけで不幸話ではなく嬉しかった話を書こうと思う。
…。
……えー…、っと。嬉しかった話…? 嬉しかった話ねぇ…。
……。
………。
はい、何も思い付きません。
いやいや、そんなバカな。確かに緊急事態宣言下で趣味のカラオケが制限されていたりと、喜びを感じにくい生活を送っているのは確かだけれど、嬉しかったことが何も無いなんて、そんなハズはない…。少し考えさせてくれ…。
…。
……。
………あ! 思い出した!
上に書いた「中指を切った話」の続きでもあるのだが、実は、中指を切った後に何度か切り傷を触ってしまって、そのたびに流血してしまう…という事態になってしまっていたのだ。
出来るだけそんな事にならないように気を付けてはいたのだが…やはり傷口が指先にあると、どうしても一瞬の油断でなにかにぶつけてしまったりして、傷が開いてしまう。
それのどこが「嬉しい話」なんだ
慌てないでほしい。嬉しくなるのはここからなのだ。
で、流血するたびにティッシュで血をふき取っていたのだが、もう、いい加減に嫌になった。これ以上、傷が開かないように何かで指先をガードしたい。
その場にリバテープ(もしくはバンドエイド・カットバン・サビオ…要は絆創膏)があれば、それを貼っていたのだが、不幸にも嫌になったのは外出中(スタバに行こうとしていた途中)。近くに薬局・コンビニもないので、道中で仕入れるのも難しい。
しかたないので、血をふき取らずにそのまま乾かすことにした。血が固まれば、それが簡易的なガードの役割を果たしてくれるのではないかと考えたのだ。
結果、僕のたくらみは成就した。3分足らずで指先の血は固まり、そこに軽く触った程度では流血はしなくなった。完璧だ。
僕は自分の体に備わった機能に感謝しながら外出を続けた。
…え、嬉しい話ってそれ?
うん。「自分の体にあらかじめ備わっている機能に感動して嬉しくなった」という話なのだが、さすがにショボすぎるだろうか。…さすがにショボすぎるよね。自分でもそう思う。
…じゃあ、あの…えっと…昨日の出来事なんだけど「蚊が腕に止まった瞬間に気付いたので、食われる事なく蚊を叩く事が出来た」とかは…。
いずれにせよショボい
そうですよね。
一寸の虫にも五分の魂
でも、少しだけ、蚊を叩いた時の話を続けさせて欲しい。ショボいのはわかってるし、嬉しい話でもないんだけど。
実は蚊を叩いた瞬間に僕ば「やったぜ!」と思った。だからこそ「蚊に食われる事なく、蚊を叩いた」話が僕に取っての「嬉しい話」になっているのだけれど…。これ、よく考えると少し怖い事なのではないだろうか。
?
スケールが小さい話なのは重々、承知なのだが「蚊を叩くと喜びを感じる」というのはつまり「チョッピーは自分に害をなす存在であれば命を奪う事に躊躇いがない」に繋がる話なのではないだろうか。
だとすると、これは、なかなかに怖い。もしかすると僕は感情の赴くままに生きると「この世に存在する自分に害をなす全ての存在の命を奪いまくる人」になってしまうのかもしれない。
話の広げ方がムリヤリすぎるのでは…。「害をなす存在」というくくりが大きすぎる気がする。さすがに「害をなす存在」で虫と、その他の存在をすべてまとめてしまうのは大雑把すぎる。
まぁ、確かに。
でも、根本的なところで「害をなす存在は倒しても良い」という考えが僕の心のどこかにあるのだと思う。それがなければ蚊だって叩かないハズなのだ。
乾いた血液と蚊の死骸
上述の通り、おそらく僕には「害をなす存在は倒しても良い」という考えがある。
では、なぜ僕は「虫以外の害をなす存在」を倒さないのだろうか。いや、正確に言うと植物を倒した事は何回もある。でも、動物や人間を倒した事はない。
ここでの「倒す」は「命を奪う」と同意です
おそらく「動物や人間を倒してはいけない」という感情や理性が働いているのだろう。だから、今のところ僕は刑務所に入らずに平穏無事な社会生活を送れているのだ。
指先に付着した乾いた血液と、手の平にくっついた蚊の潰れた跡を交互に見比べるうちに、僕はなんだか不思議な気持ちになってしまった。
本日の締め
今回は僕の思う「人間に備わった機能の有益性と残酷さ」についてのお話を書いてみました。
蚊以外にも、僕はゴキブリなどを倒しても何も感じません。
ゴキブリなんて「気持ち悪い」以外の直接的な害なんて何もないんですけどね…。もちろん「不潔」とか「病原菌を媒介する可能性がある」などのリスクはありますけれども…。
本日もふらとぴにお越し頂きありがとうございます。
ちなみに今は左手中指には妻からもらったバンドエイドを貼っています。