こんにちは。12月末の雰囲気は嫌いではない、チョッピーです。
わからないマン
年の瀬だ。
そう、気付けばいつの間にか年の瀬になっている。
どのくらい年の瀬かと言うと、あと9日で年が明けてしまうくらい年の瀬。
いよいよ本格派の年の瀬が到来した感がある。
本格派の年の瀬って何?
わからない。僕には何もわからない。
実は今年の年末年始は2019年~2020年の年末年始ぶりに九州に帰郷するのだが、これを「今回の年末年始は帰郷する」と表現すればいいのか「今年の年末年始は帰郷する」と表現すればいいのかすらわからない。
「2シーズンぶり12回目の帰郷」みたいに表現すればいいのだろうか? わからない。
さらに、なにやら妹から「29日に子供 × 2人の面倒を見てくれ」と頼まれているのだが、子供の面倒と言われても一体、何をどうすればいいのかもサッパリわかっていない。
子供のいない36歳児への依頼としては難易度が高すぎるように思えるのだ。
5歳と7歳の男児2人の相手なんて…ホントに何をどうすればいいのやら…。
まぁ、わからないなりに適当にやるしかない。
僕は女性2人の相手なら余裕で出来る男だ。男児2人の相手もどうにかなるだろう。
人生いろいろ
上に書いた通り僕の妹には2人の子供がいる。
彼女も30歳を超えているため、まぁ、子供が2人いてもおかしくはない。
東京や大阪においては珍しいかもしれないけれど、地方都市(大分)においては、そんなものだろう。
僕の友人でも、地元に残った人々にはすでに子供がいる人が多い。
子供どころか持ち家がある人もいる。もちろん車も数台保有している。
家! 車! 子供!
今の僕とは、どれもあまりに縁遠いモノだ。
僕は家も車も持っていないし子供もいない。
直近でそれらを保有するイメージもない。
というか、人生を通して、それらを手に出来るのかどうかもよくわからない。別に拒絶しているわけでもないけれど。
家も車も子供も「羨ましい」とも思わないし、かと言って「愚かな…」と侮蔑する気持ちもない。
本当に「自分の生きている場所とは違う世界の話」という感じだ。
彼等に対しては純粋に「進む道は違いますけど、お互い頑張りましょうね」と思っている。
Fu○k
幸せな人生を生きるための有名な教えとして「他人を気にしない」というモノがある。
僕は少なくとも「地元で家・車・子供を有しながら生活する人」の事はあまり気にしていない。つまり僕はその観点から考えると「幸せな人生を生きられている人」となるのだろうか。
そんな事は無い!
なぜ「幸せな人生を生きているわけではない!」と熱弁しているのかは不明だが、実際のところ僕は「他人を気にしない人生」を生きられているわけではない。
ハッキリ言って僕は「成功している起業家」や「人気のコンテンツメイカー」などをムチャクチャ気にしている。
彼らと僕の違いを探し、どうにかして僕も彼らのように自分の事業(「ふらとぴ事業」)を発展させたい…と考えている。
有り体に言えば「今に見てろよ! 俺もそのポジションまで上り詰めてやるからな!」と考えている。
抱負
つまり僕は「自分の興味・関心がない分野で活躍している人」や「自分とあまりに境遇が違う人」の事は気にしていないが、「自分の興味・関心がある分野で活躍している人」の事はムチャクチャ気にしていると言える。
あまりに普通。
幸せになるための方法論として「他人を気にしない」が正であるとするならば、その実現方法は以下の2つだ。
- 「今に見てろよ!」という気持ちを心から消し去る
- 「今に見てろよ!」という気持ちを成就させ、気にしている人と同じかそれ以上のポジションまで上り詰める
今の僕は「2」の手段で幸せになろうとしている。
年の瀬だ。来年の事を言えば鬼が笑うらしい。
僕には何もわからない。来年どころか来月の自分の境遇さえわからない。
そんな僕ではあるけれど、今後も「今に見てろよ!」という気持ちを絶やさずに『Make everyone happy !!』を実現させたいと考えている。
この実現は来年どころか再来年、それよりもっと先の話になる可能性もある。鬼の笑い声は、きっと、どこまでも響き渡る事だろう。
本日もふらとぴにお越し頂きありがとうございます。
個人の幸せだけを考えるならば仏教的な世界観が適していると思います。ただ、一瞬でも世界を変えたいと考えてしまった人間は、それとは異なる世界観で生きていかざるを得ないのかもしれません。