こんにちは。基本的に自分でやりがち、チョッピーです。
Do you like Guchi ?
この記事を読んで頂いている読者の皆様は、他人のグチを聞くのはお好きだろうか?
僕はあまり好きではない。だって、他人のグチなんて聞いても面白くないもんね。
「他人のグチを聞くのが大好き!」という方がいらっしゃいましたら申し訳ございません。
ただ、話術のスキルが高い人のグチトークは面白い場合もある。
先日、作業中に YouTube を開いて動画を自動再生していたらヒカキン氏の「愚痴動画」が流れてきた。こちら↓だ。
この動画ではヒカキン氏が遭遇した「ある日のちょっとイヤなこと」を「愚痴動画」としてヒカキン氏自身が語っている。
この動画、不思議なことに面白いんだよなぁ。
どしたん? 話聞こうか?
「グチを語っても面白いなんて流石はヒカキンさんだなぁ…」と感じながら作業をしていた僕。
ただ、よく考えるとヒカキン氏のように高いトークスキルを持った人が相手でなくても、特定の条件下においてはグチを楽しく聞ける場合もある事に気付いた。
それは「部下や後輩からのグチ」だ。
皆さんは部下や後輩からのグチを聞くのはお好きだろうか? 僕はハッキリ言って好きだ。
部下や後輩からのグチであれば相手のトークスキルの有無に関係なく楽しく聞ける。
後輩や部下からのグチを喜んで聞くなんて、どう考えても下心があるとしか思えない。
いや、そういうつもりではなく…。僕は性的指向はストレートだけど、別に部下や後輩であれば女性でなくてもいいし…。いや、ホントに…。マジで…。
コンテンツの価値を最大化するトライアングル
僕の下心の有無はさておき。
「グチ」という普通は楽しめないコンテンツであっても、それを語る人のトークスキルや聞き手と語り手の関係性次第では楽しめるモノとなる。
そう言えば、著名なライターである古賀史健氏のライター向けの書籍『取材・執筆・推敲』にもコンテンツの価値を最大化する方法として「誰が、なにを、どう語るか」のトライアングルが重要だと書かれていた。(参考:編集者とライターが「編集」するものの違いとは? | 取材・執筆・推敲──書く人の教科書 | ダイヤモンド・オンライン)
コンテンツの企画を考える場合、僕はついつい「なにを」に気を取られてしまいがちだ。でも、その品質を意識するのであれば本当は「誰が」と「どうやって」も一緒に考えなければいけないのだろう。
「他人が、グチを、怒りながら語るコンテンツ」はどう考えても面白くない。でも「ヒカキン氏が、グチを、楽し気に語るコンテンツ」や「後輩・部下が、グチを、普通に語るコンテンツ」は面白い。
…もしかすると、これは色々な事に応用の効く法則でもあるのかもしれない。
全てのモノはコンテンツだから
本屋には「ノウハウ本」と呼ばれるタイプの書籍がたくさん並んでいる。
曰く「起業で成功する方法」だの「副業で稼ぐ方法」だの「上手な営業方法」だの「モテる方法」だの…。
とにかく「私に従えば幸せになれるよ!」と強烈にアピールする無数の書籍がそこには鎮座している。
それらを片っ端から読破し、そこに書かれているノウハウを全てマスターすれば、もしかすると誰にでもバラ色の未来が約束されるのかもしれない。
でも、おそらくそんなことはない。
ノウハウ本は当然ながら何かについて「どうやってやるか」を説明している。
でも、その「何か」をコンテンツと捉えた場合、その品質を高めるには「どうやってやるか」だけでは片手落ちだ。「誰が」も重要となる。
その本に書かれているノウハウは、その本の著者にとっては確かに有効なモノだったのかもしれない。でも、僕にとっても有益なモノであるかはわからない。
結局のところ、自分にとって有益なノウハウは自分で見つけるしかないのかもしれない。
本日の締め
今回は「コンテンツの質を高めるために重要な要素」について、僕の経験と読んだ本を参考に語ってみました。
同じ内容を語っても、それを語る人によって面白さに雲泥の差が出るのはよくある話ですよね。
人気者のマネをしたところで誰しも人気者になれるわけではない。お金持ちのマネをしたところで誰しもお金持ちになれるわけではない。
「敵を知り己を知れば百戦危うからずや」とも言います。逆に言うと、敵だけを知っている状態では「百戦危うし」なのかもしれません。
自分と、自分にとって最適な方法論を出来るだけ早めに見付けるのが良い人生を生きるコツ…なのかもしれませんね。
本日もふらとぴにお越し頂きありがとうございます。
僕も「『ふらとぴ』を成功させるための方法論」を可能な限り早めに身に着けたいところです。