こんにちは。チョッピーです。
今回の記事について
今回はチョッピーの考える「こだわりを捨てるためのひとつの考え方」についてのお話です。
なにかしらの主義・思想ってありますか?
以前、「思想を階層化して矛盾を取り除こう!」というタイトルの記事を書きました。こちら↓です。
とっても怪しいタイトル
確かにタイトルは怪しい。それはさておき、個人的にはこちらの記事、なかなか面白い内容だと思っています。この記事の中でweblio辞書の「主義の一覧」というページを紹介しました。こちら↓
相変わらず膨大な数の主義が掲載されています。人の考えには様々なモノがあるのですね。
今、この記事をお読み頂いている皆様には、なにか自分の主義と言える様なモノはありますか? 主義という言葉が少し堅すぎるのであれば思想とかでもいいのですが。
「思想」もあんまり硬さは変わらない気がする
ちなみに僕は自分の主義・思想をカテゴライズすると自由主義や相対主義あたりに含まれるのだろうと考えています。
正しい主義や思想などは存在しない
さて、世の中に何百と存在する主義や思想。この中に「正しい」とされるモノはあるのでしょうか。
ここで言う「正しさ」とは「普遍的真理」とか「あるべきモノ」というイメージで理解して下さい。
僕は「正しい主義」や「正しい思想」というモノは存在しないと考えています。およそこの世で「正しい」と言えるものは科学的な事実を除いて他に存在せず、主義・主張のような個人のオピニオンは全て「それを信じるモノにとって都合の良いモノ」でしかありません。
何故ならば科学的に正しいと証明できる事象以外のオピニオンは全て最終的に根拠が無いからです。わかりやすい例を出すと「神は存在するか?」という問いに対する回答は「存在する」でも「存在しない」でも、どちらも同程度に不確かです。証明が出来ません。よってどちらも「正しい」とは言い切れません。少なくとも僕はそう考えます。
社会通念上、正しいとされている主義や思想などはもちろんあります。しかし、それも特定の時代・場所において多くの人に望ましいと考えられているだけに過ぎず、時代・場所のどちらか片方だけでも異なれば、その確からしさは消え失せてしまいます。
主義・思想のぶつかり合いは結局、ただの利害関係の調整にすぎない
主義・思想が「それを信じるモノにとって都合の良いモノに過ぎない」という前提に立つと、意見の食い違いによる諍いの正体もハッキリします。それは結局「自分にとって都合の良い意見を多くの人に認めさせるための闘争」に過ぎません。
「Aという主張とBという主張がぶつかり合っているケース」では「世間的にAが正しいとされた方が都合が良い人達」と「世間的にBが正しいとされた方が都合が良い人達」が、互いの利害をぶつけ合っているだけです。その結果「A or Bの勝利」という形か、もしくは「Cという結論に至った」となれば利害調整は完了です。
そこで争われているのは決して「ある主義・主張の確からしさ」ではありません。あくまでも「どの様な主義・思想が正しいとされている社会が自分にって望ましいか」という闘争に過ぎないのです。
主義・思想とは「それを信じるモノにとって都合の良いモノを作りげるためのツール」なのです。
ひとつの主義・思想にこだわらない方がいい
主義・思想がツールであるならば、ひとつの主義・思想にあまりに固執するのも悪手であるという発想も出来るかもしれません。
「自分にとって一番都合の良い展開はどの様なモノか」をキチンと想像する事により、どのタイミングで何を主張するのが自分にとって一番都合が良いのかを考えられるようになるかもしれません。時と場合に応じて適切な主義・主張をケースバイケースで選択していく。そうすればおそらく「自分にとって一番都合の良い展開」の実現可能性は高くなっていくハズです。
心情的にどうしてもしっくりこない主義・思想が適切な場合はどうするの?
その場合は、いったん、しっくりこなくても、その主義・思想に従ってみてはいかがでしょうか。そもそも主義・思想に根拠は無いのです。「しっくりこない」という感覚自体が根拠のない勘違いかもしれません。
それでもやっぱり、どうしても受け入れられない…となれば、その主義・思想は「自分にとって都合の良くないモノ」なのでしょう。その場合は、自分が受入可能な他の主義・思想を選択しなおせばよいだけです。
とりあえず一度は「時代・場所的に適切だと思われる主義・思想」を自分の主義・思想として選択してみるべきだと思います。それが自分にとって有利となる無難な選択でしょう。この様なある意味、軽薄な態度が「時代・場所的に不適切な主義・思想にこだわらない生き方」の第1歩となるのではないかと考える次第です。
本日の締め
今回は僕の考える「こだわりを捨てるためのひとつの考え方」についてのお話を書いてみました。
とても内輪ネタ的なお話になってしまって恐縮ですが、今回の記事、とっても難産でした。「ひとつの主義・思想からの自由を得るための方法論を書こう!」と思いついてから、今回の記事が出来上がるまでにかなり苦戦しました。
正直、あんまり上手な文章になった気はしていません。
普段の文章が上手かどうかは、また、別の話
もしかしたら、いずれ、また、同じテーマでリベンジ的な記事を書く事もあるかもしれません。「こだわりからの自由」って人生を上手に生きるためには大切なテーマだと思うのですが、なかなか、その方法論を納得のいく形でお伝えするのは難しいですね…。
本日もふらとぴにお越し頂きありがとうございます。
切れない包丁で料理をしなければいけない理由なんて、どこにも無いんですよね。