【Daily Choppy !】第831回:共感も賞賛も求めるな

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こんにちは。面白コンテンツ好き、チョッピーです。

共感も賞賛も求めるな
共感も賞賛も求めるな

コンテンツの目的・意義

本サイト『ふらとぴ』には毎日、新しいコンテンツが最低1つは掲載され続けている。

その目的のひとつは『多くの方にふらとぴに遊びに来て頂き、最終的に「お買いもの」コンテンツで紹介されている授産製品を購入して頂くこと』である。

なぜ僕達が授産製品を売りたいと考えているかと言うと…これは少し長くなるので「こちらのページ」や「こちらのページ」、あるいは「こちらのページ」などをご参照して頂ければ幸いだ。

まぁ、早い話がふらとぴに掲載されているコンテンツは基本的に全て「ショッピングモールで開催されているヒーローショー」みたいなモノだと思って頂ければ、それで問題ない。

僕達ふらとぴ編集部はショッピングモールの運営者であり、ヒーローショーの企画者。コンテンツを作って頂いているふらとぴクリエイターの方々はヒーローショーの出演者でありスタッフだ。

ヒーローショーの目的は人集め。なので、企画者としてはそれによって人が集まり、ショッピングモール自体の売上が上がらなければ意味はない。

とはいえ、それはあくまでも企画者にとってのヒーローショーの目的であり意義だ。出演者やスタッフにとってのそれとはズレているかもしれない。たぶん、ズレているだろう。

というのも、僕ことチョッピーは企画者であると同時に出演者でもありスタッフでもある。

出演者でありスタッフでもある僕にとってのコンテンツの目的や意義は「面白さを提供すること」だ。これは企画者である僕にとってのそれとは明らかに異なっている。

定義

「面白いコンテンツ」の定義とはなんなのだろう。

これに特定の答えを出すのは極めて難しいように思われる。古今東西、色々な人が色々な事を言っている。

おそらく「蓼食う虫も好き好き」という言葉にあるように、人の好みが千差万別である以上、単一の簡単な答えを導き出すことは出来ないのではないだろうか。

これは「こうすればモテる!」とか「こうすれば売れる!」と言ったジャンルのお話に完全無欠の答えが存在しないのと同じことだと思う。

つまり「コンテンツ」でも「モテ」でも「マーケティング」でも、およそあらゆるジャンルにおいて「人を喜ばす方法に単一の答えは存在しない」と言える。

仮にそれが存在するのであれば、世界には単一のコンテンツ、姿かたち立ち振る舞い、広告だけしか存在しなくなるハズだ。

少なくとも今のところ、世界はその様にはなっていない。

同様に「人を嫌がらせる方法」についても単一の答えを出すことは出来ない気がする。

コンテンツの消費者が単一の人格ではない以上「面白いコンテンツ」の条件も定義できないし「面白くないコンテンツ」の条件も定義できない。

犯罪ではないけれど

とはいえ「限りなく多くの人にとって嫌がられるタイプのコンテンツ」はあるような気がする。

そのヒントとなるのは法律だ。特に刑法。

日本の刑法は「それを(合意を得られないまま)行ってしまうと他者の権利を侵害してしまう行為」を「行ってはいけないモノ」として規定している。(と僕は思っている)

つまり「他者の権利を侵害する行為」は「それを許してしまうと社会が維持できない行為」、言い換えると「限りなく多くの人から嫌がられる行為」であるのだろう。

だから国家…少なくとも日本は法律によって、それを禁止しているのだ。

ということはコンテンツ制作においても「他者の権利を侵害するような行為」をしてしまうと、その結果、作り出されるコンテンツは「限りなく多くの人から嫌がられるコンテンツ」となってしまうだろう。

コンテンツ制作において「他者の権利を侵害するような行為」とはなんだろうか。

僕は「コンテンツ消費者を操作しようとする試み」は全てそれに当たると考えている。

心得

昨今は行動経済学のブームなどもあり、多くの方にとってコンテンツが「コンテンツ消費者を操作するためのツール」に堕ちているのではないかと感じている。

もちろん、営業やマーケティングの世界においては「消費者にモノを買わせること」が至上命題。コンテンツがそのためのツールとして使われる場合においては、当然、最終的には消費者を「自社の売上に貢献する存在」に仕立て上げなければ意味がない。

かく言う僕も今回の記事の冒頭で『ヒーローショーの目的は人集め。なので、企画者としてはそれによって人が集まり、ショッピングモール自体の売上が上がらなければ意味はない。』と述べている。

だがしかし、コンテンツ制作者はその方向性に流れてはいけない。

それはコンテンツの消費者を操作しようとする試みであり、コンテンツの消費者の「コンテンツを楽しむ自由」を侵害している。よって、そのような下心をベースに作られたコンテンツは「限りなく多くの人から嫌がられるコンテンツ」となってしまうだろう。

もっと具体的に述べよう。

  • 共感を得ようとしてはいけない
  • 賞賛を得ようとしてはいけない

共感も、賞賛も、コンテンツの消費者が自ら行うモノであり、他者から操作された結果、行ってしまうべきモノではないのである。

本日もふらとぴにお越し頂きありがとうございます。

本サイト「ふらとぴ」は授産製品専門のコンテンツマーケティングサイトです。そのため、コンテンツによって授産製品の売上を伸ばせなければ存在意義がありません。

ただ、コンテンツ制作者としてはその様な下心は排除する必要があります。コンテンツによって自分の価値を高めようとするなど、もってのほかです。

我ながら相当、難しい事を実現しようとしているなぁ…と思う次第です。

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