こんにちは。ふらとぴ編集部 兼 ふらとぴクリエイター、チョッピーです。
はじめに
大阪府堺市の障害福祉施設「あすなろ授産所」は、どの様ないきさつで作られ、どの様な方々が運営されているのでしょうか。
「あすなろ授産所」に関わる皆様にお話を聞いてみました。お伝えします。
第1弾は渡邊(わたなべ)代表です! 前後編に分けてお届けします。
今回は前編です!
本編
渡邊 真由美(わたなべ まゆみ)さん
インタビュー
チョッピー:こんにちは。今日はよろしくお願いします。
渡邊:よろしくお願いします。
あすなろ授産所のいきさつ
チョッピー:最初にあすなろ授産所がどういう理由で作られたのか…とか、簡単に教えて頂けますか?
渡邊:そうですね。あすなろ授産所はまぁ、大阪の堺にある生活介護事業所なんですけど…そもそもは1968年に百舌鳥養護学校を卒業された方の働きの場・障害者の作業所として全国に先駆けて誕生しました。
最初はそこ…百舌鳥養護学校(現 堺市立百舌鳥支援学校)の卒業生の方の保護者が自己資金で学校の敷地内にプレハブを建てられて、養護学校の職員の方々の協力を得て、無認可作業所として始まりました。
で、それから4年後の1972年5月に、初代あすなろ授産所の所長の深瀬さんっていう方と、障害者の方の就労支援とかもされていた瀧浪さんという方のお二人が「堺愛育会」という後援会を立ち上げて頂いて。そのお二人の声掛けで700人もの方々の会員となって頂きまして、あすなろ授産所を「自立」という志と共に支援して頂きました。
ま、これらの話はね、あすなろ授産所のホームページにも書いてあるんで、興味があればそちらを観て頂ければ…と思いますけど。
チョッピー:なるほど。今は百舌鳥養護学校の中ではなく、建物も独立してるんですね。
渡邊:そうですね。それは2017年に移転して。
あすなろ授産所と生活介護
チョッピー:あ、最近、移転されたんですね。
渡邊:そうなんですよ。最近、こっちに来てね。
チョッピー:で、2017年からはこちらで生活介護事業をされていると…。
スミマセン、ちょっと僕も2年くらい前から急に障害福祉業界と関わり始めたので、そこまで詳しいわけではないんですけど、アレなんですね、生活介護事業でも授産製品を作られているんですね。
いや、今までウチのサイト(ふらとぴ)に掲載されている障害福祉施設は全て就労継続支援B型の事業所ばかりだったので、少し意外で…。
渡邊:障害者の訓練系・就労系の福祉サービスっていうのは、おっしゃる通り就労継続支援A型、B型、で、就労移行っていうのと、就労定着支援と自立訓練っていうのがあるんですね。自立訓練はさらに生活訓練と機能訓練に分かれて、全部で6つがあるんですけれども。
チョッピー:はい。
渡邊:そういう風に分けられたのは「障害者の日常生活及び社会生活を支援するための法律」…長い名前だから省略して「障害者総合支援法」って言うんですけど、それが出来た時に支援の目的別にサービスとして分けられたんですね。昔は一括して「作業所」って呼んでたんですけど。
障害者総合支援法は2005年に「障害者自立支援法」として成立、翌2006年に施行。2012年には「障害者の日常生活及び社会生活を支援するための法律(通称:障害者総合支援法)」に名称・理念・目的等が変更されています。本法律に基づいた各種障害福祉サービスについては厚生労働省の「障害福祉サービスについて」をご参照ください。
渡邊:で、就労継続支援A型、B型とか就労移行みたいな訓練系・就労系のサービスは、一般企業へ就労するのを目指してやってるんですけど、生活介護っていうのは、それらとはちょっと違って、目的はその事業所で決めてもらって構いません…みたいなところがあるんですね。
チョッピー:なるほど…?
渡邊:まぁ、生活介護…介護って名前がついてたら、やっぱり老人の介護施設みたいにお風呂のお世話したりとかのイメージがあるかもしれません。確かにね、そういう重度の方向けのお風呂の支援サービスをやられているところもあるんですけど、あすなろ授産所はそうではなくて。
あすなろ授産所は出来た時からずっと作業、お仕事をするための場所。それを生活介護って言う枠組みの中でね、仕事もやっぱり生活の中に入っていると思うので、生活訓練として授産製品の製造等もやっています。
チョッピー:仕事は生活の一部。そうですね、確かに。
渡邊:仕事して、お金を儲けて。社会人ですのでね、ここの利用者さんは。皆さん、学校を卒業した方ですので。で、お金の使い方とかの自立した生活に必要となる作業などの活動を、サービスとして提供してます。
チョッピー:なるほど。
あすなろ授産所とお仕事
渡邊:あと、そもそものあすなろ授産所のいきさつもあるんですけどね。
チョッピー:はい。
渡邊:最初のあすなろ授産所のいきさつっていうのは、あすなろ授産所が出来る前に、百舌鳥支援学校を卒業して、どこにも就職できない人…就職できる人もいるんですよ。就職できる人もいるんですけれども、出来ない人は作業所なんかも全然ない時なんで、お家におるしかない。
でもやっぱり、いくら重度の子でも「なんかすることないかな」とかね。「家で面倒みてもらうだけの子じゃないよ」っていう「ウチの子もなんか仕事に行かせたい」っていう、そんな親御さんの想いと、学校の先生たちの想いとかがありまして。
そこに最初にお話した堺愛育会を作って頂いた瀧浪さん…瀧浪さんは富士ボードっていう会社の社長さんで、百舌鳥支援学校の卒業生を雇って頂いたりしてたんですけど、その瀧浪さんとか、他の社長さん、あと、地域の人とかね、みんなのご協力があって、そこで、あすなろ授産所っていう「仕事を目的とした施設」が作られたんですね。
チョッピー:作られた当初から障害者の方々にお仕事をして頂くのが目的だったんですね。
渡邊:そうなんです。たとえば昔は箱屋さんとかがあって、平止めっていう、足踏みでね、パンパンってするような、ホッチキスで作る箱があって、それを作ってたりとか。裁断機で段ボールの紙を切って、足で止める大きなホッチキスでパンパンってやって作るんですけど。
あとはネジとか、自転車の部品とか…。他には洗濯ばさみ作ったりとか、グリコのオマケとか作ったりとか。そんな、なんていうか、下請け仕事みたいなそんな仕事をしたりして。
結構、いろんなところの方から「こんな仕事してみぃひん?」っていう声をかけて頂いてやってたみたいですね。
チョッピー:へぇー…。
渡邊:で、まぁ、そんな事をしていて、一般企業に就職出来た…っていう人も何人か出てきて。他の施設でお掃除したりとか、あと給食…給食って言うか施設のお食事があるので、その時に、おぼんとかお箸とか並べる仕事をしたりとか、そういう風に施設に就職した子もいます。
チョッピー:へぇー、素晴らしいですね。
いろんな経験をしてもらいたいから
渡邊:まぁ、そもそも学校卒業してすぐにね、自分が何をやりたいかっていうのがわかる人って、まぁいないと思うんですよ。
ウチも息子も娘もいますけど、高校卒業した時にね「私はこれになりたい」って言った子なんかいませんでしたしたね。皆さんやっぱり、専門学校なり大学に行って、専門的な事を学んで、さらに学部に入ったとしても「これじゃない違うところに行こう」ってね、やっとそこで見付ける人もいますし。
もちろん高校で「お医者さんになりたい」と思った人は大学で医学部に行ったりとか、先生になりたい人は教育学部に行ったりとか。まぁ、高校くらいでも決めれる人は決めてるのかもわからないけれど。
チョッピー:そこまで高校時代に決められる人は一部ですよね。きっと。
渡邊:そうですよね。ましてや障害児の人にね、そんな「将来何になりたい?」とか急に訊いてもね…。
やっぱ経験を積んで「自分はなんかお料理作るのが好きやから、料理に関われる作業所に行こう」とかね。「さをり織りとかみたいな軽作業よりは、畑作業の方が好き」とか。それやったら農園とかしてる作業所に行くとかね、そうなるけど…。高等部の時に、そんなことまで言ってもね。わからないと思うんですよね。
チョッピー:そうですよね。
渡邊:それで、その頃、普通の人やったら転職とかあるのかもわからないですけど、やっぱり障害者の人って、一回作業所に入ったら、ずっとそこに…。まぁ、施設を変わったりは出来るんですけども。でも、ずっと作業所に通い続けるって、すごく不幸やと思うんですよ。
それよりも、やっぱり高校の時は高校で勉強したり、お友達作ったり、修学旅行行ったり、クラブ活動したりして。で、一般の方はそれから専門学校行ったりとか、大学行ったりしはるんやから、障害者はそれが出来へんのか、っていうのはね。それは無いと思うので。
で、障害者の方も色んな作業所で色んな作業とか、一般企業への実習に行ってもらったりしながら、それで「何がしたいの?」って聞いてみて。
その上で絵描きさんになりたいって言う人は、たとえば絵をかくような事業所、そういう絵を描いてる事業所もありますのでね、そういうところに紹介したりとか。
そうやって自分の好きな事とか、自分のやりたいことを見付けて頂いて。やっぱりやりたい事を仕事にするってホントに素晴らしい事なので。
まぁ、そう出来ていない人もいますけどね。でも、やっぱりそれはお金儲けて生活しないといけないから、それはそれでアリやと思うんですけど。
障害者の人でもやっぱり好きな事を生業(なりわい)にする方が楽しいのかな、やりがいも見付けやすいのかな、お仕事も長続きするのかな…って思いますね。
チョッピー:なるほど。
渡邊:だから、あすなろ授産所は生活介護事業所やけども「今、来てる利用者さんはここに一生ずっとおってください」なんて、毛頭思ってませんのでね。
そりゃ「ここにずっといたい! あすなろ授産所が好き!」って言ってもらったら、すっごく嬉しいし、もう、そのために頑張ってるようなものですけどね、職員は。
だけどやっぱり日々接してる中で「お料理が好き」っていう利用者さんがいたら、そしたら違う事業所とか企業を紹介したりとかしたい。だから進路指導もね、しようと思ってるんです。
ただ、みんな、利用者の皆さん「授産所が好き。ずっとここにおるからね」って言うてくださるような人がね、今のところは多いのでね。
チョッピー:なるほど。難しいところですね。
渡邊:でも、ご希望があれば、そういう風にね、次につなげていくって言うことをね、やりたいですね。
ただ、休んでたりとかね…「もう毎日はめんどくさいわー」と思って毎日来ない様な人はなかなか、そういうね、それは難しいので。そこは「毎日来れるように頑張ろうね」とか、そこら辺からもう支援していきたいですけどね。
「希望を聞いて、次につなげる」っていうのがね、あすなろ授産所の生活介護ですかね。
仕事ももちろん、利用者さんは社会人やから「仕事してお金儲けます」っていう、その満足感もやっぱり持ってもらいたいと思うから。
チョッピー:じゃあ、あの…あすなろ授産所の生活介護の中でやってる「労働」と言うべきなんでしょうか。さをり織りを作ったりしている作業は、他の就労継続支援A型、B型とか就労移行とかみたいに「一般企業への就職がゴール」って言うわけじゃない。そうじゃなくて、なんかもうちょっと…利用者の方々それぞれにあった道を、一般企業以外も広く含めて進めるようにしたい…みたいな、そういうところを目的にされてるんですか?
渡邊:そうですね、だから、さをり織りも仕事として取り組んでるのも確かなんですよ。そこは自主製品にせよ、軽作業にせよ。
仕事は仕事として「社会人なんだから自分の生活費は自分で稼ぎましょう」と。まぁ、あの…金額は少ないですけど。
でも、やっぱりそこは社会人なんだから、生活費とまではいかないですけど「働いてお金貰ったよ」っていうね、そういうのは自覚してもらおう。
で、それとプラス、レクリエーションとかをやってるのも、やっぱりいろんな経験をしてもらいたいからで…。
たとえば「絵を描く仕事がありますよ」って口で説明してもね、絵をかく仕事って言っても理解できないけれども、紙を渡して、絵の具を渡して、絵を描いてもらったら「これが絵をかく事ですよ」って利用者の方もわかる。
そうして、「これ面白い」と思ってもらったら「この人、これに興味があるのかな」って今度はこちらがわかる。
そうやって書道だったりとか、アイロンビーズだったりとか、あと、ちょっと今はコロナ対策でやってないですけどお料理だったりとか。
そういう色んな経験をして頂くというね、その中で「その人は何が好きなんだろう、何に興味を持ってるんだろう」っていう。
やっぱりそっから始まらない事にはね、次に行く事が出来ないのでね。
チョッピー:なるほど…。
渡邊:本音で喋ってくれる人もいるんですけど、あんまり喋らない人とかね、いますしね。やっぱりやってみない事には。
前編のおわりに
渡邊 真由美(わたなべ まゆみ)さんのお話(前編)は以上です。
後編もお楽しみに!
あすなろ授産所の授産製品は『あすなろ DE さをり』から購入頂けます。
『あすなろ DE さをり』の商品の詳細については是非こちら↓をご覧下さい。