こんにちは。チョッピーです。
突然なんですけど、僕、「なかなか成果が出ない努力をし続けること」がそれなりに得意です。
例えば「歌の練習」っていくら頑張っても、本当になかなか成果が出ない地道なモノなのですが、今のところ13年間ほどずっと続けています。ちなみにここで言う成果とは「歌が上手くなること」を指します。
あと「ふらとぴ」の連載企画の「基本的にMRPだけで生きてみる」も基本的にMRPと呼ばれる食品しか食べていないにも関わらず、体重が遅々として減らない…すなわちまったく成果が出ていないのですが、特に苦になる事なく続けています。
「ふらとぴ」の運営自体もそうですね。僕、今のところ「ふらとぴ」の連載企画を4つ担当していて、最低でも週10本のコンテンツを作成しているのですが、これ、アクセス数という成果には、あんまり結びついていないんですよ。まぁ、SEO対策とかアクセス数向上のための施策をあんまりしていないし、そもそもサイト開設からまだ3ヶ月弱なので当然の結果かもしれないのですが。
でも、それをもって「サイトの運営が嫌になる」みたいな事は全くありません。
サイト運営に関する書籍とかブログ記事とかを読んでいると「アクセス数が伸びないとサイト運営がツラくなってくる」みたいな記述を目にする事もあるのですが、僕の場合は、それはまったく該当しません。
これって組織運営におけるインセンティブ設計とか個々人のモチベーション維持にも関係してくる話なのかもしれないのですが…僕、個人的にそもそも「なにかの行動の見返りに成果を求める態度」というモノ自体が、生きていく上であまり望ましくないモノなんじゃないのかなぁ…と考えています。
と言っても、僕は別に「人間は清貧であるべきだ」みたいな考えをしているわけではありません。
金銭欲・物欲にまみれ、それを満たすために頑張り続ける人生も(社会的に認められる手法のみを実践する限りにおいては)それはそれで素晴らしいモノだと思います。僕自身も「好きな時に好きな事を出来る自由」を満足させるに足るだけのお金は欲しいですし。なので「ご褒美を得るために頑張ること」に対しては好ましいと考えています。
話が少しわかりにくくなってしまい申し訳ないのですが、ここで僕が言いたいのは「ご褒美を得るために頑張る事は素晴らしいが、頑張ったのだからご褒美が欲しいと考える事は望ましくない」という事です。だって「成果」って、そもそも「頑張りに応じて得られるモノ」ではないですからね。
非常にドライな考え方かもしれませんが、何かの成果を得るために、なんらかの努力をしたところで、その方向性が間違っている場合は成果を得る事は出来ません。また、仮に方向性が合っていたところで、必ずしも望んでいる成果に到達できる保証もありません。
例を出すと、仮に「世界で一番、足が速くなりたい」と考えている人がいたとして、その人が頑張る方向性として「ひたすら腕立て伏せをする」というモノを選んだ場合は、その人は「世界で一番、足が速い人になる」という成果を得る事は出来ないでしょう。また、仮に適切な方向での頑張り(ひたすら走り続けるとかでしょうか?)を選んだとしても「途中で治らない大怪我をしてしまった」とか「それ以上に足の速い人がいた」場合なども成果を得る事は出来ないかもしれません。
この様にそもそも「頑張ったからといって成果が得られる保証は無い」わけなので「成果を得るために頑張る」のはいいと思うのですが(頑張らずに成果を得られる可能性は低いと思うので)「頑張ったから成果を欲しがる」というのは道理が通らない考え方だと思うのです。
僕はこういう風な考えを持っているので「頑張ったけど成果が得られない場合」でも「まぁ、そもそも、それが普通だしな」と考えます。なので「なかなか成果が出ない努力をし続けること」をし続ける事が出来るのではないかと思います。
…そういう風に考えると「努力に対してご褒美をあげる」という条件付けは極めて危険な教育方針である、という風にも言えるのかもしれませんね。そういう条件付けをされてしまった人は「努力したのにご褒美が得られなかった場合」に「ご褒美が得られないなら、もう、努力しない」という状態に陥ってしまうかもしれません。(もちろん、これはあくまで僕の考え方に過ぎませんが)
もし「どうも何かを続ける事が苦手なんだよな」と思われている方がいらっしゃいましたら「そもそも何かを続けたところで必ずしも成果が得られるわけではないのである」という考え方をしてみるのも一興かもしれませんね。
本日もふらとぴに訪問頂きありがとうございます。
少しでもお楽しみ頂ければ幸いです。