こんにちは。チョッピーです。
今回の記事について
今回はチョッピーが日常のワンシーンで一瞬だけ感じた気持ちを少しだけ丁寧に書き綴ってみた随筆です。
なにかの建物が駐車場になっていた
つい先日まで「STAY HOME」でおウチに居続ける期間が続きました。最近は基本的に毎日どこかに外出しています。
そんな中でふと気付いたのですが、以前は何かの建物が建っていた場所が駐車場になっていました。森山直太朗の名(迷?)曲「どこもかしこも駐車場」が頭の中で鳴り響くのを感じながら「ここって前、なんかの建物だったよなぁ…なんだっけ…?」と考えてみました。
まったく思い出すことが出来ません。なにかの建物が建っていたのだけは確実だと思うのですが、どの様な建物だったのかは記憶の片隅にも残っていませんでした。
全て消えていってしまう
街並みは常に変わり続けていきます。古いモノを破壊し、新しいモノを生み出していきます。その営みの中で記憶に残るモノもあれば忘却の彼方に消え去ってしまうモノもある。
これは街並みに限った話ではなく森羅万象、全てのモノがそうなのではないでしょうか。
人間ですら例外ではありません。どんな人物であろうといずれはこの世から消え去ってしまいます。どの様な偉業を成し遂げた人物であろうとそれは変わりません。
存在に意味はあるのか
全て消え失せてしまうなら、いずれこの世から去ってしまうならば、全てのモノが一時的にでもこの世に存在する意味は無いのでしょうか。
この問いに関しては一人一人別々の答えがあるでしょう。ある人は何かに意味を見出すかもしれない。ある人は何の意味も無いと思うのかもしれない。
そもそも正解のない問いなので回答がバラバラになるのは当然です。誰の答えも間違ってもいないし正解でもありません。一人一人が導き出した答えが正しいのだと信じて生きていくしかありません。
「存在した」という事実だけは不変
僕の答えは「いずれ消えてしまうとしても、”確かにそこに存在した”という事実だけは変わらない」です。それが記録されるかどうかは関係ありません。
誰であろうと生きている限りは「確かにそこに存在した」という事実だけは覆すことは出来ません。
その存在を長期にわたって光り輝かす事が出来る人もいるでしょう。一瞬だけ輝かせる事が出来る人もいるかもしれない。一瞬も輝かせられない人もいるかもしれない。
輝きの有無に関係なく、生きとし生ける全てのモノは確かに、この瞬間、ここに存在しています。つまり、この世界は、今、この世に生きている全てのモノの存在を全肯定している。
僕もそうですし、あなたもそうです。また、僕達の見知らぬ誰かもそうです。この世に存在を許されている時間はわずかなものかもしれませんが、確かにこの瞬間だけは、誰しも存在を許されています。
「だから何だ」と思われる方もいらっしゃるでしょう。しかしながら、僕はこの事に意味を感じています。
今回の締め
今回は僕が日常のワンシーンで一瞬だけ感じた気持ちを少しだけ丁寧に書き綴ってみました。僕の考えや気持ちは僕以外の方には価値を持ちませんが、何かの参考になれば幸いです。
本日もふらとぴにお越し頂きありがとうございます。
その代償に古いモノが無くなってしまうのは寂しくもありますが、新しいモノが出来るのはそれ以上にワクワクしますね。