こんにちは。キャビアもトリュフも好き、チョッピーです。
矢の如し
元号が令和に変わり、2年半以上の月日が流れた。
元号が令和に変わった日は2019年5月1日です。
早い。
現在36歳の僕からすると、令和になってからの2年半は一瞬で流れ去ったかのようにも感じる。
一方、平成の30年間はかなり長かったように感じている。これはおそらく僕の今までの人生の大半がそれだったから、そう感じているだけなのだとは思うのだが。
だから、おそらく今現在3歳とか4歳の子にとっては令和になってからの2年半はとても長いモノに感じられているのではないだろうか。
そう考えると、もしかすると昭和の中ごろに生まれた方にとっては平成も一瞬で流れ去ったと感じられているのかもしれない。
かく言う僕も昭和生まれなわけなのだが、昭和の記憶は全くない。物心つく頃には平成になっていたからだ。
名曲聴き放題
現在はとても便利な時代だ。
昭和を覚えていない僕でも、インターネットを少し活用すればその文化を簡単に味わう事が出来る。
たとえば「昭和の歌姫」と名高い美空ひばり。彼女の歌も各種サブスクサービスで聴き放題だ。
僕が利用している Amazon music の場合だと美空ひばりのページはこちら↓。
名曲がズラリと並んでいる。僕はこの中では『川の流れのように』が一番好きだ。
でこぼこ道や
美空ひばり 川の流れのように 歌詞&動画視聴|歌ネット
曲がりくねった道
地図さえない
それもまた人生
なるほどなぁ。
大学を卒業し、それなりに有名な大企業に入社したにも関わらず、福祉のようで福祉ではない謎の分野で独立してしまった僕としては、この歌詞に強い共感を覚える。
一ヶ月後の自分が何をしているのかもよくわかりません! 地図! 地図はどこかにないのか!!
ただ、歌詞の全編を通じて共感するか…と言われれば、そうでもない。
ああ川の流れのように
美空ひばり 川の流れのように 歌詞&動画視聴|歌ネット
ゆるやかに いくつも 時代は過ぎて
おそらく時代性のせいなのだと思うのだけれど、僕には時代の移り変わりが『ゆるやか』だとは思えないのだ。
激流
世界は常にダイナミックに動き続けている。
過去を思い返すと、僕の今までの人生の間だけでも、地下鉄にサリンが撒かれたり、ワールドトレードセンターに飛行機が突っ込んだり、大地震・大津波・原発の爆発が同時に起こったり、疫病が世界中で猛威を振るったり…と、様々なエポックメイキングな出来事があった。
そのたびに世界のあり方は大きく変わった気がしている。
また、特にインターネットが世の中に普及してからだと思うのだが、僕達の生活もダイナミックに変わり続けている。
最近、ふと思ったのだが、最近の僕達からは「ヒマ」という概念が消滅しているのではないだろうか。
世の中にはヒマをつぶすための方法が無数に溢れているからだ。
無料のエンタメ、非常に手軽なコミュニケーション…。枚挙にいとまがない。
全自動給餌システム
僕が小学生や中学生だった頃には、いかにして「ヒマ」を潰すかを全力で考えていた。
結果、友人と遊んだり、テレビやゲームや読書を嗜んだり、時には自ら小説を書いたりと、それなりに有意義な時間が過ごせていた。
「ヒマにまかせてボンヤリと時間を過ごす」のに耐えられなかったからだ。
現在は「ヒマ」を潰すために創意工夫をする必要などない。
パソコン・スマホでお好みのサービスを立ち上げれば、機械の方から自主的に様々な「ヒマつぶし」が与えられる。
『川の流れのように』は『知らず知らず 歩いてきた』と始まる。
何をするにも「自主的に歩く」のが大前提とされていた時代の歌だったからだろう。
現在…令和はそうではない。
自主的に歩かなくとも、どこかに誰かが連れて行ってくれる。ものすごい速度で。
それはとても楽しく、快適な経験だ。絶対にここから離れたくないと感じる。
ただ、ふとした瞬間に不安にも思う。
気付かぬうちに僕の足腰はとてつもなく弱ってしまっているのではないだろうか。
もしかすると、もはや僕は自分の足で立って歩く事すら出来なくなってしまっているのかもしれない。
本日もふらとぴにお越し頂きありがとうございます。
現在は「ヒマな時間を潰すために生産活動を行う」という選択肢が消え失せた時代だと思います。とても幸福な時代であるのは間違いないのですが、たぶん、それによる副作用もあることでしょう。