こんにちは。まだワクワクでない、チョッピーです。
ワクチン打つよ! 今日!
皆様はもう、ワクチンを打たれているだろうか?
すでに打たれた方、諸般の事情により打てていない方、打つ気がない方、色々といらっしゃるかと思う。
実は僕は本記事掲載日(9月17日)に1回目のワクチンを接種する予定だ。
1回目であればそんなに副反応は心配しなくても良い…という話も聞くが、少しばかりドキドキしている。
え、もしかして、もうアナタは接種済みですか?
首相官邸のサイトに掲載されている情報によれば令和3年9月16日公表のデータで全体におけるワクチン1回目接種率は64.9%らしい。
なお、ここでいう「全体」には、おそらく「接種を希望しない人」や「接種が出来ない人」も含まれている。
データの説明資料(総接種回数に関する注の詳細)に『分母については、「全体」に関しては、全人口(126,645,025 人)』と書かれてあるからです。
その64.9%がすでに接種済み。
となると、僕は「接種可能で、かつ、それを希望する人」の中ではかなり遅い時期の接種者であると言えるのではないか。
だとすると…これを読んで頂いている多くの方もすでにワクチンを接種している?
あの…でしたら、ちょっと、ホント申し訳ないんですけど、実はですね、僕、今日の15時からワクチン接種の予定なんですけど、今日の記事…まぁ、つまりこの記事なんですけど、それがまだ書き終わってなくてですね、いや、今は朝の05:47なんですけど、まだ一睡もしてないんですよ。
ホントはちゃんと寝てから打たないといけない気がするんですよね。その、副反応の事とか考えると。なので、記事も早めに書き上げたくて。
…わかってくれますよね? この、僕の「早く眠らなければ…」という焦り…。だって、皆さんもワクチンを打たれた経験があるわけですから…。
というわけで!
ここからは構成もへったくれもない、今、僕がボンヤリ考えている事を書き連ねていきます。
手段と目的
手段と目的は、人間が生きていく上で常に意識していなければならない事なのではないか…と思っている。
多くの日本人は学校に通い、卒業し、企業に入社…というルートを辿る。
もちろん、学校に通わない方もいらっしゃるだろうし、企業に入社しない方もいらっしゃるだろう。でも、割合としてはそれらのルートを選択する方は少ないと思う。
学校でも企業でもそうなのだが、そこに所属している間、人は完全に自由な存在ではいられない。
教師や上司の指示には従わなければならないし、校則や社内規定・就業規則などの各種ルールは守らなければならない。
教師や上司に気に入られていればルールを守らなくても良かったり、逆に教師や上司に気に入られていなければルールを守ったところで謎の不利益を与えられたり…とかの理不尽もありますけれどね。
いずれにせよ、学校や企業に所属している限り、その人の行動は他人の意向によって制限されてしまう。
組織内の権力者により、その人自身の行動が、それぞれの組織の目的を達成するための手段として活用されてしまうわけだ。
不機嫌クライシスを予防するために
一方、その人自身にも人生の目的と言えるモノはあるだろう。
それは「家族との生活を楽しむ」なのかもしれないし「自分の趣味を極める」なのかもしれない。「多くの子孫を残す」とか「世界で一番の金持ちになる」とかの場合もあるかもしれない。
ここで問題となるのは「所属組織の目的」と「自分の人生の目的」が全く重ならない場合だ。
多くの企業は「利益の追求」を目的としている。
そこで働く人の目的が「利益の追求」やそれに準ずるもの、はたまたそれの手段として実現できるモノ(たとえば「人を育てる」が目的の人が教育機関に努めている場合など)である場合は問題はない。
でも、そうではない場合もあるだろう。
たとえば「家族との生活を楽しむ」や「自分の趣味を極める」が人生の目的なのに、「利益の追求」のために長時間の労働を強いられ、家庭や趣味の時間が全く確保できない場合。
あるいは「多くの子孫を残す」や「世界で一番の金持ちになる」が人生の目的なのに、賃金があまりに低く、いくら働いても目的達成のために必要だと思われる程度の資産を全く築けない場合。
どの場合も、おそらく、そこで働く人は強いフラストレーションを感じ続けるだろう。その環境に居続ける限り、永遠に目的が達成できないのだから当然だと思う。
フラストレーションを溜め続けるのは、多くの場合においてよろしくない。その状況にいる限り、人は不機嫌の渦に巻き込まれ続けてしまうのではないだろうか。
目的が達成できないフラストレーションにより、まず最初に自分が不機嫌になる。次に、自分の不機嫌により周りの人を不機嫌にさせる。その結果、自分もさらに不機嫌になり、周りの人も輪をかけて不機嫌になる。以下繰り返し。
このスパイラルから抜け出すためにはどうすればいいのだろう。いくつか手段はあるのかもしれないが、確実なのは環境を変える事ではないか。
環境を変える、つまり、自分の目的達成の役に立たない組織からは足を洗うべきなのだ。それによる不都合はもちろん生じるかもしれないが、人生にとって一番の不都合は「人生の目的を達成できずに終わること」ではないだろうか。
もちろん、 自分の目的達成の役に立たない組織から足を洗ったところで、自分の人生の目的が達成できる保証はない。ただ、自分の意思とは関係のないところで足を引っ張られるフラストレーションからは解放されるだろう。
それにより、不機嫌の呪縛からも解放されるかもしれない。
ワクチン接種の目的は、重症化の可能性を下げる事だ。(と僕は認識している)
重症化の可能性を下げるためにワクチンを打つという意思決定をしたのであれば、同様に、不機嫌が招くクライシスを予防するための行動にも舵を切るべきではないだろうか。
それこそが自分の人生の目的を達成するために必要な行動なのではないか。僕はそう考えている。
本日の締め
今回は僕の「不機嫌になってしまう環境からは出来るだけ早めに足を洗った方が良い」という考えを書いてみました。
せっかく本記事掲載日にワクチン接種の予定なので、それを絡めたお話にしてみたのですが、結果、なんだか急転直下で話題の変わる妙な文章が出来上がってしまいました。
まぁ、たまにはこんな文章を読むのも面白いのではないかと思います。
本日もふらとぴにお越し頂きありがとうございます。
正直なところ、1回目の副反応はそんなに心配していないのですが、2回目はちょっと不安ですね…。