こんにちは。勉強大好き、チョッピーです。
1992年に連載開始
僕には色々と弱点が多い。
「肩のうしろの2本のツノのまんなかのトサカの下のウロコの右」とか?
違う。
それは魔法陣グルグルの序盤に登場するカセギゴールドの弱点だ。
いきなり読者を振り落とすボケするじゃん。
そんな事ばかり言っていると『鼻水を飲み尽く』されるぞ。
え…なにそれ…マジでキモいんですけど…。
カセギゴールドの弱点を知ってるヤツが、このネタを知らないハズがないだろ!
ザムディン!
お前こそいい加減にしろよ
あ? なんだお前、マジで…。
ムチャクチャ短気なのもチョッピーの弱点のひとつだよね。
そうですね。
クソガキ
短気なのも確かに僕の弱点のひとつなのだが、自分として一番「これが弱い!」と思っているポイントは小学校~高校で学ぶ基本的な知識についてだ。
37歳にもなって、今更、そんな事を言っているの?
37歳にもなってと言うか、37歳だからこそと言うか…。
というのも、僕は自慢ではないが、小学校から高校にかけて、いわゆる「学校の勉強」を全くやってこなかった人間なのだ。
本当に自慢にならない。
ねぇ。
ただ、「勉強一般」をしてこなかったわけではない。
読書は好きだったので、書籍に関してはジャンルを問わず乱読していた。
ジャンルを問うていなかったので、国語の教科書や社会の資料集なども、学年が上がって、それを手にした日に全て読破していた。
ただし、興味の湧かない分野の本はことごとく読んでこなかった。
だから、僕の知識にはかなりの偏りがある。
具体的には歴史・科学・物理・英語に関しては小学校低学年レベルの知識に雑学を加えた程度の知識しかない。
ヒドい。
本当にそう思う。
だが、仕方がない。
当時の僕は「面白くも無く、やりたくもない勉強をして何の意味がある?」と考えていたのだから。
なんと答える?
「勉強して何になる?」という問いは、近代以降であれば、いつの時代の子供達も抱くモノなのではないだろうか。
それほどポピュラーな問いであるにもかかわらず、これに対する明確な答えを耳にする機会はあまり無いように思われる。
いや、もちろん教育基本法には、その第一条に「教育の目的」がキチンと定義されている。
定義されてはいるが…
どうして勉強しないといけないの?
それはね、教育基本法第一条によれば『人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成』のためとされているよ。
なるほど! わかった! 勉強を頑張ろう!
とお子様に納得して頂けるとは思えない。
結局、この問いに関しては、それを問われた者が、それぞれ独自の答えを持っていなければ、子供たちを納得させられないのではないかと思う。
どこかから持ってきた「それらしい答え」では、誰の心にも響かない。
…のではないかな。知らんけど。
ギップリャ!
さて、偉そうなことを述べてしまったので、この辺りで僕の考える「勉強する理由」を書いておこう。
- どんな状況でも生き延びやすくなれるから
これだ。
というのも、上述した通り僕は「好きな分野の書籍は手当たり次第に読む子供」だったので、小説や思想に関する本などもよく読んでいた。
おかげで「考え方」に関しては、それなりに色々なパターンを身に着けていると自負している。
だから、どの様な状況においても「その瞬間を生きやすくするための考え方」を、比較的自由に選ぶ取る事が出来る。
人生は自分の努力で全てが決まる、いや、運しだいだ、相手が悪い、自分が悪い、世界は個人の捉え方次第、だが、人間の認識能力には限界がある…などなど。
おかげで僕はこの年になるまで生き延びられている。
たぶん、僕が勉強してこなかった分野の知識にも「生き延びるために有用なモノ」は多いのだと思う。
勉強は知能を鍛え、知識を増やしてくれる。
それは、自分が窮地に陥った時にこそ、輝く。
本日もふらとぴにお越し頂きありがとうございます。
僕、あまり落ち込まないタイプだと思っているのですが、これも「落ち込む事に意味はない」という知識があるからだと思っています。