こんにちは。ケチではなく節約上手、チョッピーです。
起業して最初にすべきは出血を抑えること
収入が無い。
…いきなり衝撃的な展開で申し訳ない。ただ、ここ2年程、本当に収入がない。
理由は明白。2019年に前職を退職し独立したからだ。
いや、この表現は正確ではない。正確には「独立したは良いものの、現時点では未だ、想定しているビジネスモデルが完成していないから」だ。
もっと端的に言うと本サイト『ふらとぴ』を中心とした「ふらとぴ事業」での売上が立っていないからだ。
僕達ふらとぴ編集部が売上を立てるために採用している手段は以下の2つ。
- 障害福祉施設に障害福祉施設向けサービスを利用してもらう
- 一般企業に本サイト『ふらとぴ』の協賛をして頂く
現在はこのうちの「1」を実現させるために障害福祉施設に対する営業に注力している。「2」はまだ未着手だ。
で、まぁ、営業がそんなに簡単に上手くいくわけもなく、まだ売上は立っていないという状況。
この状況で事業を出来るだけ長く存続させるためには、なんと言っても経費を極限まで下げる必要がある。
幸いにして弊社ではそれを実現できている。オフィスもないし在庫も発生しないビジネスなので固定費はほぼゼロと言って差し支えない。
詳細はこちらのページに掲載している財務諸表等をご確認ください。
また、それとは別に僕個人が破産しないための施策として、生活のコストも可能な限り削る必要がある。
弊社(株式会社Egene)は今のところ僕一人しか社員はいませんが、会社と経営者は別人格ですのでお財布も別で考える必要があるのです。
具体的な止血方法
独立する前、つまり前職在籍時にはそれなりの給与を頂いていた。
ひとえに運が良かっただけですが、それなりに高給だと有名な会社に勤めていたのです。
会社の力により同年代の平均額よりは遥かに多い額の給与をもらってはいたのだが、そこまで金遣いは荒くなかった。…荒くなかったのではないかと思っている。
まぁ、確かに結婚式を挙げたり、社会人大学院に通学したりと、定期的に大きな額を支払ってはいた。でも、あくまでも普段の生活での金遣いはそこまで荒くなかったと思っている。
ちなみにローンや消費者金融を利用した事もありません。逆に言えば普段の金遣いが荒くなかったから結婚式や大学院への通学を無借金で行えた…と言えるのではないかと思います。
前職在籍時から金遣いが荒くはなかった僕だが、今はさらに節制している。普段の支出額は圧倒的に小さくなっている。
住んでいる場所も前職在籍時よりも家賃が安いところに変えたし、外食も基本的にしていないし、旅行などのレジャーを楽しむ頻度も激減した。
レジャー頻度の減少に関しては「そもそもコロナ禍だから機会がない」という理由もあります。
これらに加えて、普段の買い物で利用するお店も、前職在籍時に利用していたスーパー等よりも明らかに商品が安く売られているところを選んでいる。買い物頻度自体も下がっている。
具体的には業務スーパーとメガドンキをよく利用しています。本連載『Daily Choppy !』の熱心な読者の皆様、つまりチョッピストの方々には、もう、お馴染みの名前かもしれませんね。
そんな涙なしには語れないみみっちい努力の成果により、僕個人の1年間の総支出は激減している。厳密に計っているわけではないが、おそらく前職在籍時の半額程度には下がっている。
この生活は大変か否か
さて、自分で書いていてイヤになるほど希望の感じられない悲しい話が続いた。
一応、釈明しておくと同情を買いたいわけでも愚痴を言いたいわけでもない。現状をそのまま説明しただけだ。
読者の皆様は、今までの話を読まれて、どのように感じられただろうか?
「稼ぐ力がないクセに無謀にも独立した人間は大変だなぁ。精神的にもさぞ参っている事だろう。ハハハ、他人の不幸は蜜の味だな! 俺は安全な立場から貴様の姿を観察させてもらう! さぁ、もっと苦しめ!」とかじゃないかな。
電流鉄骨渡りの時の利根川かよ。
流石にそこまで性格の悪い方はいらっしゃらないと信じたい。でも、「精神的にも大変そう」と思われた方はもしかしたら実際にいらっしゃるかもしれない。
もし、そのような方がいらっしゃいましたら、ご心配ありがとうございます。大変、嬉しいです。
ただ…実は(少なくとも今のところ)は特に精神的に不調をきたしたりはしていないのです。
確かに体調不良の時などにマインドがダウナーな感じになる場合はある。でも、それくらいだ。
何故か。おそらく適度にストレス発散をしているからだと思う。カラオケに行ったりとか。
カラオケ以外にもストレス発散方法は色々とある。僕は元来、ストレス発散手段を多く持っているタイプの人間だと思っているのだが、最近、新しいストレス発散方法にも気が付いた。
買い物だ。
買い物をすると、買った商品の種類・数・値段に関わらず、常にある程度スッキリするのだ。
おそらく前職在籍時に比べて買い物頻度が下がったからこそ、この作用に気付けたのではないかと思う。
少し調べてみたところ、どうやらこれは僕だけの思い込みではなく、実際、買い物には脳内にドーパミンという快楽物質を出させる効果があるらしい。
上に貼り付けた記事のタイトルには「買い物依存」という若干、物騒な言葉が含まれている。ドーパミンには依存性があるため、その放出を求めて買い物に依存してしまう…というパターンがあるらしいのだ。
ただ、僕の場合は、そのような状況にはなっていない。何故だろうか。
人に喜びを与えるモノ
そもそも、何故、買い物をするとドーパミンが出るのか。少し考えてみた。
なお、初めに断っておくが、ここから書く内容は全て僕の個人的な推測だ。医学的根拠などがあるわけではないのでご注意願う。
まず「欲しいモノが手に入るから」という理由ではないと思う。特に欲しくないモノでも買うとスッキリする場合もあるからだ。
また、そもそも買い物は無条件で欲しいモノを手に入れる行為ではない。僕達はお金と引き換えに商品を手に入れている。
言うなれば買い物は貨幣と商品の交換行為だ。そこには商品を得る喜びもあるけれど、同時に金銭を失う悲しみもある。
であるならば、それで得た喜びと悲しみの総和は(喜びを正の値、悲しみを負の値に置き換えられるとするのであれば)ゼロになるはずだ。何故ならば手にした商品の価値(値段)と、支払った金銭の価値は(市場原理が正しく働いている限り)等しいハズだからだ。
では、僕達の脳は、一体、何に快感を得ているのか。僕は「交換」という行為自体に喜びを感じているのではないかと思っている。
つまり人は生来的に「他人とのモノ・情報のやり取り」すなわち「コミュニケーション」に喜びを感じる生き物ではないかと思うのだ。
買い物の場合で言えば消費者と店員の間では金銭と商品を交換するというコミュニケーションが成り立っており、僕達はそれに快感を感じているのではないか…というわけだ。
この考えが正しいとすれば、僕が買い物依存に陥っていない理由も説明できる。
僕には幸いなことに日常的にコミュニケーションが可能な相手がいる。妻を始め、ふらとぴ編集部のメンバー、ふらとぴクリエイターの方々、その他、友人・知人(リアル・ネットの両方を含む)などだ。
「買い物」による喜びがコミュニケーションによる喜びと同質のモノだと言えるのであれば、僕は「買い物では味わえない喜びをコミュニケーションによって補っているため、買い物依存には陥っていない」と言える。
前職在籍時に「人は生活レベルの低下に耐えられない」という言葉を耳にした事があった。でも、実際、僕はすでにその状況で2年半近く生きている。そこまで大変だとも思っていない。
日常的にコミュニケーションを取れる相手さえいれば、もしかすると、人間はある程度の生活レベルの低下には耐えられる生き物なのかもしれない。
あえて漢字で書きますが、日常的にコミュニケーションが取れる相手がいるというのは、本当に有難いことです。皆様に感謝。
本日の締め
今日は僕の考える「友人・知人を持つべき理由」についてのお話を書いてみました。
人間同士の繋がりは「絆」という言葉で説明されがちです。でも、個人的にはこの言葉は情緒的に過ぎると思います。
実際、「心情的には『絆』はないけど繋がりはある」という関係も多く存在するのではないかと思います。
それらを勘案すると、個人的には人間同士の繋がりを表すのに適切な言葉は「社会関係資本(ソーシャルキャピタル)」ではないかと思っています。
そう、人間関係って「資本」なんですよね。「資本」であるならば、当然、それを多く持っている人の方が人生における選択肢は増えるでしょう。
若干、打算的な表現になってしまいますが「資本を多く集める」という観点からも、人との繋がりは大切にした方がいいのではないかと思います。もしかすると、時にはその資本が、僕達に買い物以上の喜びを与えてくれる場合もあるかもしれません。
本日もふらとぴにお越し頂きありがとうございます。
…最後に一言だけ怖い事を言うと、逆にコミュニケーションが足りなくなると、人は大金を払ってでもそれを得ようとする気がしています。水商売が成立する理由も、この辺りにある気がするんですよね。