こんにちは。整理整頓は苦手ながら掃除は嫌いではない、チョッピーです。
ゴミ屋敷の萌芽
ゴミ屋敷というモノが注目され始めたのはいつ頃からだっただろうか。
記憶をたどると、今から25年ほど前にテレビのニュース番組で報道され始めたのが世間の耳目を集めた始まりだったのではないかと思う。
上の情報は僕の記憶頼りのお話なので定かではありません。世界的には1900年代初頭~中旬のアメリカで発生したコリヤー兄弟の事例というモノが有名なようです。
ゴミ屋敷が生まれる原因には強迫的ホーディングと呼ばれる精神疾患などがあるとされている。また、ゴミ屋敷の中で生活している状況はセルフネグレクトと呼ばれるらしい。(セルフネグレクトにはゴミ屋敷内での生活以外のモノも含まれる)
要はゴミ屋敷が発生する原因のひとつには病的なモノが認められており、ゴミ屋敷内で生活している状態は一般的には「よろしくない状況」だとみなされている…と言えるのだろう。
そうでしょうね
もしかすると、読者の皆様の中には「僕 or 私もゴミ屋敷に住んでるんだよねー!」という方もいらっしゃるのかもしれない。
もし、あなたがそういう状況にあるとしたら、こんな文章を読んでいる場合ではない。今すぐこの文章を表示しているブラウザの検索窓に「精神科」と打ち込み、エンターキーを押してみよう。
すぐにお住いの地域の精神科が一覧形式で表示されると思う。あとは受診するだけだ。まずはお電話からお気軽に。
そこまでのレベルとまではいかなくても「ふと気付いたら部屋が散らかってるな…」とか「キッチンの壁とか床とか、こんなに汚れてたっけ…」という状況に陥っている人は少なくないのではないか。
僕は頻繁にそんな状況に陥る。
Love お風呂
お風呂に入るのが好きだ。
出来るなら毎日、朝晩に2回は入りたいと思っている。だが、そんなに頻繁にお風呂に入っていると猫型ロボットを従えたスケベ小学生に乱入される確率が跳ね上がってしまう。
そんなわけで普段はお風呂に入るのは夜の一回だけに留めている。泣く泣く留めている。
なので基本的に朝はシャワーを浴びています。頻繁にお風呂に入っていると時間も取られますしね。
過去に住んでいた部屋の中にはお風呂に追い炊き機能がないものもあったが、今、住んでいる部屋のお風呂にはそれがついていて、とても重宝している。
ただ、追い炊き機能があると生来の貧乏性が顔を出してしまって「…まだ、このお湯を落とすのはもったいないのでは?」という気持ちになる場合もある。
でも、さすがに長期に渡り、同じお湯を使い続けるのは衛生的とは言えない。なので、顔を出してきた貧乏性には(申し訳ないが)ご退散頂き、2日に1回は必ずお湯を張り替えるようにしている。
僕は肌が弱いので間違って3日目以降のお湯に入ると、猛烈に体がかゆくなる…という事情もあります。
バスタブはキチンと洗剤で磨け
お風呂のお湯を張り替える場合、当然ながらバスタブを洗う。
洗い方は次の通りだ。
- 排水溝の栓を抜いて水を落とす
- シャワーでバスタブを洗い流して汚れを落とす
- 洗剤をふりかけてしばらく置く
- スポンジでバスタブを磨く
- シャワーで洗剤を丁寧に洗い流す
ここまで書いてて「35歳男性のお風呂掃除の様子を誰が喜んで読むんだ?」という脳内ツッコミが炸裂しました。本題までもう少しですので、今しばらくお付き合いください。
実はこのお風呂掃除の途中で「もう、別にこの段階でお湯を張ってもいいのでは?」と感じる瞬間がある。「2」のシャワーでバスタブを洗い流した段階だ。
この時点で目に付く汚れ(髪の毛とか)は洗い流される。そのおかげで、一見、バスタブは綺麗になったように思える。
綺麗になったのであれば、お湯を張ってもいいのでは? うーん、論理的!
だが、この時点でお湯を張ってはダメなのである。その証拠に「3」と「4」を経て、「5」で洗剤を洗い流されたバスタブを見てみよう。
「2」の時点とは雲泥の差の綺麗さになっているハズだ。ピカピカである。
ザブングル風に言えば「ピッカピカやぞ!」である。
命の洗濯
上に書いたバスタブのピカピカさ、ザブングル風に言えば「ピッカピカやぞ!」具合、掃除をするたび、つまり2日に1回は見ているのだが、毎回、ビックリする。同時に不思議に思う。
いつの間にこんなに汚れていたんだ…。しかも、汚れている時はその程度に気付かないなんて…。
そんな話を妻にしたところ
服とかもそうやね。洗濯機で服を洗った後の水とかスゴく汚いし。
という言葉が返ってきた。
確かに。洗濯機で洗えないモノを手洗いしても、ビックリするもんね。
汚れは気付かぬうちに積もり行くものらしい。
目で判断してわからなくても、とにかく定期的に洗剤で洗うのは汚れを落とすためには大切なのだ。
というわけで僕もこれからカラオケに行って命の洗濯をしたいと思う。汚れは気付かぬうちに積もり積もるモノ。定期的にそれを洗い落とす作業は大切なのだ。
そうしなければ、僕も、気付かぬうちにゴミ屋敷の住人となってしまうかもしれない。
本日の締め
今回は僕の考える「自覚症状がなくても定期的に気晴らしをする必要の大切さ」についてのお話を書いてみました。
僕、どうも心身の不調に対する自覚症状が鈍いんですよね。徹底的に体調が悪くなるまで何の自覚症状もなかったりします。
だからこそ、特に自覚がなくても、定期的なメンテナンスは必要かな…と思っています。決してタスクを放置してサボっている事を正当化したいわけではありません。本当です。
本日もふらとぴにお越し頂きありがとうございます。
最近は米津玄師の『Pale Blue』に収録されている楽曲を歌うのがお気に入りです。