こんにちは。西野カナ大好き、チョッピーです。
ひねくれクソ野郎
あんまり良くないよな…と思っていることがある。
とにかく感性が雑なのだ、僕は。
というと?
たとえば…僕は愛だの恋だの夢だのなんだの、そのあたりの悩みについては全部「うるせぇよ」と思っている。
もっと言えば「やったことが無いから怖い」だとか「それをやるのは恥ずかしい」だとか「報われなくて悲しい」とか「生きる意味とは…」などの高尚で人間らしい悩みの感情に対しても、マキシマム ザ ホルモンの『Mrブギータンブリンマン』の歌詞のような気持ちを抱いている。
糞食らえ ビューティフル
カラオケライブくらいに興ざめ~中略~
ズングリムックリ 痰からまった
マキシマム ザ ホルモン Mrブギータンブリンマン 歌詞|歌ネット
アホンダラ関東地域
へっぴり腰の演芸なんぞ あんたら方見たいか?
あ痛痛痛痛っっ
相変わらずの雰囲気
愛だ恋だわめいてろ
エンタテイナー
もうね、このあたりの分野については悩んでも仕方がないのだ。
とにかく「やれ」と。
やった結果、願望が満たされれば万々歳。満たされないとしても、それが普通。それで満足できないなら、願望が叶うまでやり続ければいいだけの話。
何を悩む必要がある?
うん、確かに雑な考え方だわ。あんまり公言しない方がいいよ、それ。
いや、そう、わかっている。
わかっているんだけど、やっぱり愛だの恋だの夢だの理想だの生きる意味だので悩んでいるのって、高次な欲求の話であって、その次元の話でウダウダ言えるのは、その時点で恵まれてるよなぁ…と思わざるを得ないのだ、僕は。
だってこう…もっと低次な欲求が満たされなくて悩んでいる人もいるわけだから?
たとえば睡眠不足とか金欠とか、不当な差別とかね。
僕が興味を持っているのは、そのレベルの問題の解決であって、それより上のレベルの問題に対しては「あぁ、そう…それは大変だね…でも、それを叶えたいなら頑張るしかないんじゃないの?」としか思えないのだ。
いや、もちろん、そのレベルの問題が解決された方がより幸せにはなれると思うけどね。
だから、僕も低次な欲求(≒生存欲求)と高次な欲求(≒自己実現欲求)が同時に満たせるであろう「障害福祉分野専門のコンテンツマーケティング」を行う本サイトを運営しているわけだから。
一理あるとは思うけど、ホントこの話はこのあたりで止めておいた方がいいと思うぞ。チョッピーの主張なんて誰も興味ないしな。
そうだね…。
わかった、この話はここで止めよう。
これからもどうぞよろしくね
古い話になるけど、西野カナの『会いたくて 会いたくて』の歌詞の冒頭、
会いたくて 会いたくて 震える
西野カナ 会いたくて 会いたくて 歌詞|歌ネット
ここに全く共感できなくて、リリース直後から今に至るまで10年以上「震えねぇよ」と思い続けている。
全然わかってない! 章をまたいでまで同じ話を続けるな!
いや、違う。違うんだ。
西野カナの話を持ち出したのは『会いたくて 会いたくて』には全く共感できないけれど、他の歌には共感できる部分もある…という話に繋げたかったからなんだ。
ホントかよ。西野カナの何の歌に共感しているんだ。
『トリセツ』です。
へぇ…。この歌のどこに共感しているの?
具体的な歌詞のどこに…というワケじゃなくて、この歌のコンセプト自体っていうか。
「人間にもそれぞれ適した扱い方ってあるよね」という点に共感している。
もちろん「他人の取り扱い方」なんて不遜で高慢で危険な考え方を持っているワケではなくて「自分の取り扱い方」に限った話だけれど。
まぁ、「人間を製品にたとえる感性」とか「悪びれることなく『急に不機嫌になることがあります』とか言っちゃうところ」とか「他人に『広い心と深い愛で 全部受け止めて』とか要求する厚顔無恥さ」は全く共感できないって言うか、反感しかないけど。
わざわざ言わんでいいだろ、そんなこと。ホントにチョッピーは1個ほめるために100個けなさないといけない人間なんだな。
…『急に不機嫌になることがあります』が『広い心と深い愛で 全部受け止めて』ください。
うるせぇよ。
行動経済学とかなんとか
しかし本当に「自分の取り扱い方」については早いうちからわかっていた方がいいよなぁ…と思う。
もっと言うと「他人の取り扱い方」についても習熟しておいた方が良いのだろう。その方が人生が上手くいく可能性は高まると思う。
例えば上では冗談めかして書いたが、僕は別に西野カナに対して「こんな感性の持ち主なの? キッツいわぁ…」と本心から思っているワケではない。
だって、歌詞って「心の底から自分が思っていること」を表しているモノだとは限らないし。
「自分のファン層には、この様なコンセプトで、この様な情景・心象を描写した歌詞が刺さるハズ」というマーケティング思想で作られた歌詞だって、この世には無数に存在しているハズだ。
むしろそちらの方が商業的には成功しやすいだろうから、総数も多いのではないか。
逆に、「自分の心象を素直に綴ったウタ」は芸術的ではあるだろうけれど、それが同時に商業性を満たせる可能性はかなり低くなるのではないかと思う。
だから…商業的な成功を得て、人生を上手くいかせたいのであれば「他人の取り扱い方」に習熟して、「他人が喜ぶナニカ」を産み出せるようになった方が良いのだろう。
でも、そっちの方が人間的には怖くない?
そうだねぇ…。
確かにマーケティング思想で他人を操ろうと考えるのは、ちょっと、個人的にはいかがなモノかと思わないでもない。
あんまり詳細には語らないけど、上で述べた通り、やっぱりそれは不遜で高慢で危険な考え方のように思えるので。僕には。
僕の取扱説明書
というわけで、僕は「他人の取り扱い方」を頑張って学ぶよりも「自分の取り扱い方」を学んだ方が良いんじゃないのかな…と感じている。
たとえば僕が最近、ハッキリ自覚した「自分自身の特性」は次の通りだ。
- 脳を使う作業は「しっかり寝た後の午前中」の生産性が最も高い
- 昼食の後3時間くらいは脳が動かない
- 夕飯の後は7時間くらい脳が働かない
- 午前中に筋トレを行うと、昼から夕方くらいまで脳が全く働かなくなる
- 脳が働かない状況においても会話には問題がない
- 脳が働かない状況においても運動は問題なく出来る
- 寝起きにストレッチ&ラジオ体操をすると1日の調子がよくなる
なので、これを踏まえて最近の僕は
- 起き抜けにストレッチ&ラジオ体操をして、午前中に『Daily Choppy !』の執筆や、その他のタスクを推進して、昼食後には長めの休憩・筋トレ・会議などを行い、夕飯後には即寝る
というスケジュールを理想形として生活を行っている。
いやぁ、37歳にして、やっと自分の「理想の取り扱い方」がわかった感がある。
やっぱり人間はそれぞれ『一点物』で『返品交換は受け付け』られないモノだから、その取り扱い方には習熟しておいた方が良いねぇ。
『トリセツ』の歌詞そのままじゃねぇか。
ホンマや。
西野カナ、すげぇな!
本日もふらとぴにお越し頂きありがとうございます。
最近のガジェットって説明書がチラシ1枚だけだったりしますね。