こんにちは。チョッピーです。
本日の記事について
今回はチョッピーが自分の座右の銘について語る随筆です。今回も小見出しは使わない形式で書いていきます。
本文
先日、Twitterにて「あなたの座右の銘はなんですか?」というツイートを見つけリプライを送った。
僕がこの言葉を初めて知ったのは大学生の時だったと思う。どこでどう見掛けたのかは全く覚えていない。ただ、初めてこの言葉を目にした瞬間に強烈にシビれた事だけは覚えている。
大学2年生の中旬~3年生の中頃くらいまでの1年間、僕は精神的にどん底の状態にあった。
迫りくる就活、何をしたいのかが全く分からない自分の内面、国際大学として名高い大学(立命館アジア太平洋大学:APU)に通っていながら全く英語が出来ない引け目、都会出身の友人達とのどうにもかみ合わない会話…当時の僕をとりまく全ての物事が僕の心をささくれ立たせていた。
常に胸の奥に重たい鉛玉が埋め込まれている様な、瞳の中に灰色の膜が張られているような、そんな日々を送っていた。今にして思えば当時の僕はおそらくなにかしらの精神的な病に苛まれていたのではないかと思う。ただ、大学生とはそもそもそういう時期なのかもしれない、とも思う。
知った風な口調で当時の僕の状態を説明すれば「アイデンティティの確立に悩むモラトリアム人間」となるのだろう。今の僕は、すでに当時の僕とは異なる人間なので当時の自分の事をこの様にドライに表現する事が出来る。でも、おそらく当時の僕が自分の状態をその様にドライに分析されていたら多分、怒髪天になっていたと思う。
きっと「お前に俺の何がわかるんだ?」とか「俺のこの苦しみ、辛さがそんなに簡単に一般化できるわけないだろ」とか言っていたと思う。今はもう、まったくそんな事は思ってもいないのだけれど、当時の僕は大学生らしく「自分は唯一無二の存在であり、自分の考え・感情も同様に唯一無二のモノだ。簡単に分析などされてたまるか」と色々なモノを拗らせていた。
当時の僕が絶対に言われたくなかったであろう表現で、彼の状況を分析すると「自分は唯一無二の存在である」という肥大化した自己愛と、その自己認識には到底不釣り合いな不甲斐ない自分のギャップに苦しんでいる…となるのだろう。
僕がその後、自分の座右の銘とする言葉と出会ったのはそんな苦しみを抱えていた時期だったと思う。前述した通り、本当にシビれた。
強くなければ生きていけない。本当にその通りだ。事実、僕は自分の弱さに苛まされており、もう、それだけで生きていく気力が削られ続けている。
優しくなければ生きていく資格がない。本当にその通りだ。仮に強くなれたとして、他人を踏み台にして生きていくような人生を望んでいるわけがない。誰かを幸せにしてこその人生なのではないか。
感銘を受けた。前述した通り僕はこの言葉の出典の小説を読んだ事はない。もしかしたら僕の解釈は間違っているのかもしれない。でも、僕はあえて原典に触る事はしない道を選択した。僕にとっては当時の僕がこの文章を読んで感じた衝撃こそが真実だったからだ。この真実以外に僕が欲しいものはない。
今の僕は強くも無ければ優しくもない。強く優しい人間を目指して生きていこうと思った。
それから紆余曲折あって、僕は就職先としてシステム関連の会社を選び、その後、独立して「ふらとぴ」というサイトを運営し、障害福祉施設の支援を行うお仕事をしている。
「強くなければ生きていけない。優しくなければ生きていく資格がない」という言葉に感銘を受けてから十余年。今の僕は強くも無ければ優しくもない。
「ふらとぴ」事業はとんでもない赤字だし、お客さんの数もまだまだ少ないからだ。ハッキリ言って前職在籍中の方がお金も稼げていたし、当然、税金も納めていたので今の僕よりも強かったと言えるし優しかったとも言える。
今後「ふらとぴ事業」がどうなっていくのかはわからないが、いつの日か強さと優しさを体現した存在になれるように頑張っていきたいと思う。
本日の締め
今回は僕の座右の銘との出会いと今後の抱負について語ってみました。定期的にこういう風に自分が何を目指しているのかを言語化するのは大事な気がします。
本日もふらとぴにお越し頂きありがとうございます。
皆さんは座右の銘ってありますか?