こんにちは。チョッピーです。
先日、映画館に観に行って、その後「僕の感想」でも対象にさせて頂いた「天気の子」を、もう一度、映画館で観る機会がありましたので行ってきました。ちなみに 「僕の感想」 の該当記事はこちら。
僕、実は映画館で1度観た映画を再度、映画館で観た事って初めてなんですよね。
正直、観る前は「2回目って楽しめるんだろうか…」という若干の不安もあったのですが…。
いや、これ、2回目だろうが何だろうが、そんなの関係なく、全然、楽しめますね。これは映画が(少なくとも僕にとって)名作だからなのかもしれませんが…。
以下、「天気の子」を2回観た事によって気付いた「同じ映画を2回以上、繰り返し観る事によって得られること」に関して僕が気付いた事を述べます。「天気の子」の内容に触れるわけではないので「天気の子」を未鑑賞の方も気にせず読める内容だとは思いますが、もし、今後「天気の子」を鑑賞予定で、それにあたり観賞前には「天気の子」に関する一切の情報を遮断するつもりなのだ…という方がいらっしゃいましたら、もしかしたら念のために以下の内容は読まれない方がいいかもしれません。申し訳ございませんが、その辺りは自己判断でお願い致します。
さて「天気の子」を2回観た事により気付いた事についてなのですが…ストーリーは当然、最初に観た時と2回目に観た時で内容に変化が起こるわけはないので、すでに頭に入っています。そのため、ストーリー上の驚きなどは2回目の観賞ではあまり感じる事は出来ませんでした。しかしながら、意外な事にクライマックスでは1度目の観賞と同じく感動する事が出来ました。「感動する事が出来た」ってなんだか「感動すること」を目的にしているようで少し変な表現ですが…これは僕の文才の問題です。スミマセン。あまり気にしないでください。
その他の点としては、2回目以降の観賞では1度目の鑑賞では気付けなかった細かい描写などに気付く事が出来ました。例えば、とある場面の背景は非常に写実的に描かれているのに、別の場面では背景が絵画チックなタッチで描かれていたり…といった細かい違いなどにも気付く事が出来ました。
映画に限らず、およそこの世に存在する全ての作品って(偶発的なノイズなどのミスを除けば)そこに表現されているモノ全てに製作者の意図が込められているハズです。何故ならば、それは製作者が「ココにコレを表そう」と思わない限り、現れないモノであるからです。「製作者が描いていないのに何故か描かれている物体」や「製作者が入れていないのに何故か聞こえる音楽」などというモノは絶対に存在しません。(そんなものが存在するとしたらオカルトです。寝苦しい夜にはピッタリの話題かもしれませんが、スミマセン、この記事ではオカルトは取り扱いません)
そうであるならば「ある場面においては写実的な背景描写を用いて、ある場面においては絵画的な背景描写を用いたこと」には製作者のなにかしらの意図が込められているハズです。そこに製作者のどの様な意図が込められているのかを推測するのは、作品を愛する者にとって、非常に楽しい作業です。(まぁ、鑑賞者がいくら推測しても、実際のところ何が正解であるのかは製作者だけにしかわからないのですが)
この様に、同じ映画を複数回観る事には、1度観賞するだけでは気付く事の出来なかった点に気付く事が出来る(可能性がある)という利点があります。こんな事はすでに同じ映画を複数回観賞した事がある人には自明な事なのだとは思いますが、恥ずかしながら僕はこの年(33歳)になるまでこんな事にも気付いていませんでした。やった事が無かったからです。
「いや、映画なんて1回、観れば十分でしょ。高いし。2回以上、観たって得るモノなんてないのでは…」と思い込んでいたのですね。もちろん、何に重きを置くかは人それぞれです。実際に同じ映画を複数回、観賞する事により得られるモノよりも、その時間とお金を使って新しい映画を観た方が高い満足感を得られる人もいる事でしょう。
しかしながら、最初から「意味ないでしょう」と思い込んで試してみない事は少しもったいない事である様に僕には思えます。もしかしたら僕の様に「意外と新しい発見があるもんだな」と思える方もいるかもしれません。この記事を読んでいる方の中に、この意見に賛同して頂ける人がいらっしゃいましたら、是非、お気に入りの映画を見つけた際に「映画館で同じ映画を複数回、観賞してみる」という事を試してみて下さい。もしかすると、新しい映画の楽しみ方を見つける事が出来るかもしれません。(出来ないかもしれません)
本日もふらとぴに訪問頂きありがとうございます。
少しでもお楽しみ頂ければ幸いです。