こんにちは。批判大好き、チョッピーです。
チョッピーはチョロい
もっとも嬉しい褒められシチュエーションとは、どのようなモノだろうか?
色々な意見があるとは思うが、たとえば「予想外の方向からの褒め」などは、その候補の一つに数えられるのではないだろうか。
たとえば?
たとえば…友人と普通に話していたら突然、
今日のファッションはイケてるね!
と言われたり、
なんかいい声してるね
と言われたりしたら、嬉しいのではないだろうか。
まぁ、「もっとも嬉しい」かはわからないけど、嬉しいと思う人は多いかもね。
僕も実際、昔、大学院に通い始めた頃に突然キレイな女性の先輩から
チョッピーさんはクリティカルシンキングがスゴく得意なんですね
と思ってもいない事を言われた時には、予想外過ぎて
え、「クリティカルシンキング」が何のことかわからないけど嬉しいな。この女、俺に気があるのでは…?
なんてことすら思ったモノだ。
まぁ、家に帰ってから「クリティカルシンキング」の意味を調べたら
物事や情報を無批判に受け入れるのではなく、多様な角度から検討し、論理的・客観的に理解すること。批判的思考法。
クリティカルシンキングとは? 意味や使い方|コトバンク
と出てきたので少し微妙な気持ちにもなったりもしたのだけれど。
「褒め言葉」じゃなくて嫌味だったのでは?
そうかもしれない。
口は災いの元
批判的思考法と言えば、2016年頃にネット上で「批判は何も生まれない」という間違った日本語が流行った事があった。
『間違った日本語』を太字にしちゃうあたりがクリティカルシンキングが得意な人間の証左なんだろうな。
それはさておき、この言葉の元ネタはpixivというサイトに投稿されたとあるマンガ。これ ↓
これを起点に「批判は良い事か悪い事か」とか「批判の意義」とか「批判が及ぼす影響」とかについて喧々諤々の議論が巻き起こったのだ。主にTwitter上で。
…いや、まぁ、実際のところは「喧々諤々の議論が巻き起こった」ではなくて「様々な意見で紛糾した」くらいの表現が適切だとは思うのだけれど。Twitter上に議論なんて存在しないので。
さすがクリティカルシンキングの申し子。ムダに敵を作る発言が好きすぎる。
そうなんだよな。
それがクリティカルシンキングかどうかはさておき、批判的な意見には「批判の対象が好きな人からの不評を買う」という嬉しくない効果が付きまとうのは間違いない。
実際、僕も自分が作ったコンテンツを批判する人とか、応募したビジネスプランコンテストの審査員とかに対しては、この場では書けない(というかどこにも出せない)レベルの罵詈雑言をぶつけてるし。
だからまぁ、他人からの評価が気になって仕方がないタイプの人間は批判なんかしない方がいいんじゃないのかな。
そろそろホントに黙った方が良いぞ。
暴言は吐かないつもりだけれども
ただ、でも、やっぱり僕はなにかに対する批判は封印しない方がいいんじゃないのかな…と思っている。
もちろん、それを誰かに伝えるか伝えないかはそれぞれが判断すればいい。
ただ、なにかしらに対して感じた事は、少なくとも言葉か文章にして記録しておいた方が良いのではないかと思うのだ。
実際、これは僕自身が数ヶ月前から担当している『ふらとぴ編集部チョッピーのジャンプ感想』を描き続けて強く感じた。
このコンテンツは名前の通り、週刊少年ジャンプに連載しているマンガの感想を僕ことチョッピーが書き連ねていく…というモノ。
さらに、僕はこのコンテンツを作るにあたって「主観的な感想を書き連ねる」ことを重視している。エンタメ作品の感想は、主観的であればあるほど面白いと思っているからだ。
だからまぁ…「僕に合わない作品」に対してはかなり辛辣な感想を書き続けている。その結果、その作品を好きな人からは、僕はあまりよろしからぬ印象を受けているのではないかと思う。
具体的に言うと『アオのハコ』の愛読者は、僕のことを嫌っているのではないだろうか。
キミとボクは違う人
「週刊少年ジャンプ」では人気のある作品ほど掲載順が高くなる傾向にある。
その中で『アオのハコ』は掲載順5位くらいをキープしている…つまり、かなりの人気作だ。
実際、カルピスとコラボしたり、そのプレスリリースの中で
2021年4月の連載開始から読者の間で大きな反響を呼び「次にくるマンガ大賞2021」では「Global特別賞」を受賞、「全国の書店員が選んだおすすめコミック2022」では第4位を獲得し、コミックスの累計発行部数は150万部を突破するなど注目度の高い作品
「カルピス」と人気漫画『アオのハコ』が初のコラボレーション|アサヒ飲料のプレスリリース
と紹介されたりもしている。名実ともに大人気作。
でも、僕には合わない。
特に最近の展開は本当に面白くない。面白くないどころか、かなり不快だ。
ここまでハッキリと人気作に対して自分の意見を言えるようになったのは、それに対する感想を毎週、書き続けたからだ。
つまり、何かに対しての批判を文章化する事は、結果的に「他者からの評価に左右されない自分だけの意見」の発見に役立つのである。
それが成されると、何か嬉しいのか?
それはわからない。この意見に対しても賛同や批判もあるだろう。
でも、少なくとも僕は何かに対する批判は自己の確立に役立つと思っているし、自己が確立された人間の方が、そうではない人よりも望ましいと考えている。
本日もふらとぴにお越し頂きありがとうございます。
「文章化だけして、発表しない」という態度がもっとも合理的なのかもしれませんね。