【Daily Choppy !】第1317回:雨を垂らすスピード

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こんにちは。雨垂れ大好き、チョッピーです。

「Daily Choppy !」第1317回のサムネ画像です
雨を垂らすスピード

アテンションエコノミーに乗れていない

何に関してもそうだと思うが、世間受けのいい意見と、そうではない意見があると思う。

チョッピー
チョッピー

お、なんだ? 炎上している意見を擁護するみたいなスタンスの記事を書くつもりか?

確かになんだかそんな感じの書き出しにしてしまったが、そんな意図はない。

ことさら炎上に加担するつもりもないけれど、それに反論するつもりもない。

もちろん意見がないわけではない。

だけど、そもそも、そのような冷静さを欠いた現場には飛び込みたくない気持ちが強い。

チョッピー
チョッピー

その意見自体が世間受けが悪そうだな。

そうかもしれない。

昨今ではとにかくわかりやすい意見の持ち主が持て囃される傾向にある気もするし。

他にも僕は次のような世間受けの悪い意見(性向?)の持ち主でもある

  1. 個別の問題よりも全体の問題に関心がある
  2. 自分で手を動かすよりも、人に動いてもらう方が好き
チョッピー
チョッピー

うーん、ホントに世間受け悪そう。

そう、自分でもそう思う。

僕も僕以外の誰かが、こんなことを言っていたとしたら「なんだかイヤな奴っぽいな」と思うだろう。

ただ、このような一歩引いたと表現できそうなスタンスでコンテンツ制作に関わってきたからこそわかる事もあるんじゃないかなぁ…と思ったりもしている。

チョッピー
チョッピー

コンテンツ制作は3年強しか経験していないくせに偉そうだな。

まぁ、石の上にも3年とか言うし?

そのくらいからなにかしらの意見が出てくるようになるモノなんじゃないのかな。

ハードモード

さて、僕は本サイト『ふらとぴ』運営にあたって前述したように自らコンテンツ制作にガンガン関わっている。

チョッピー
チョッピー

関係者が少ないからね。

それも理由のひとつだけれど、他にも理由はある。

特に『Daily Choppy !』は仮に関わって頂けるクリエイターの方の数が今よりも増えたとしても、引き続き書き続けていきたいと考えている。

それによって『ふらとぴ』や自分自身に与えるメリットが大きいと考えているからだ。たとえば空気感の醸成とか、考えの明確化とかね。

ただ、そのぶんコストも大きい。

チョッピー
チョッピー

コスト…? テキストなんてパソコンがあればお金いらないでしょ。

金銭面じゃなくて時間とか労力とか。

特に僕の場合は『Daily Choppy !』を始めとする『ふらとぴ』に掲載するコンテンツに関しては「書きたいモノを書く」ではなく「自分で読んで面白いと思えるモノを書く」というスタンスを心がけている。

そうなると、一気にテキストを書く難易度が跳ね上がるのだ。

結果、時間もかかるし、労力も必要となる。

チョッピー
チョッピー

1317回も連続で書き続けているのに?

そう。

驚くべき事に、僕はこの問題をいまだに解決できていない。

自画自賛の時間

特に問題なのはテキストのネタを考えた後に必ずやってくる

チョッピー
チョッピー

このネタ、読んで面白いのか…?

という逡巡の時間だ。

この逡巡の時間、基本的にムダな場合が多い。

というのも、『Daily Choppy !』の記事は、後で読み返せば全てキチンと面白いからだ。少なくとも僕にとっては。

チョッピー
チョッピー

スゴい自信だな。

それくらい全力で作っているので…。

もちろん書き終えた直後には「これは…面白いのか…?」という気分になる時もある。

でも、しばらく経ってから読み直すと必ず面白い。

自分で書いたクセに「なんか良いこと言ってるなコイツ」と思う。

チョッピー
チョッピー

自己愛のバケモノやんけ。

そうかもしれないけど、それだけではない。

最近、気付いたのだけれど、ネタを思い付いた直後に

チョッピー
チョッピー

このネタ、読んで面白いのか…?

と(不当に)感じてしまうのは「自分がこれから書く文章のネタバレをくらった直後の自分」であるからなのだ。たぶん。

自己の多様性

コンテンツの面白さには色々な要素がある。表現の巧みさだったり、アクセスの容易さだったり。

その中のひとつに「内容=ネタ」も挙げられるだろう。

しかも、これは面白さの要素としてかなりのウェイトをしめる。…と思う。

なのに、それを思い付いた直後の自分は「これから作るコンテンツの内容を全て知っている自分」になっている。

もちろん、コンテンツの中には「何度味わっても面白いモノ」もある。

だが、さすがに同じ映画を2回連続で観たりすると、初回の感動は薄まっているのではないだろうか。

コンテンツを作っている時の自分は、常にその状態だ。

だから、そのコンテンツ本来の面白さを新鮮な気持ちで楽しめない状態になっている。

「自分で読んで面白いと思えるモノを書く」というスタンスは、コンテンツの質を高めるために有益なモノだと思う。

だが「自分」にも色々な状態がある。

「どんな自分に読ませたいのか」を意識しておくのも、コンテンツ制作においては重要なのかもしれない。

本日もふらとぴにお越し頂きありがとうございます。

毎日同じことをしていても、それを受けて感じる事は毎日変わってきますね。

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