こんにちは。チョッピーです。
「結果にコミットする」という宣伝文句がある。僕はこの言葉が好きだ。
およそ世の中のあらゆる事象は「結果が全て」であり「結果が出なければ意味が無い」と考えているからだ。
それと同時に僕は「仮に目的が達成できなくても、挑戦自体に価値のあること」というモノも存在すると考えている。これは一見「目的が達成できていない=結果が出ていない」という事の様にも思えるので矛盾していると思われるかもしれない。でも、少なくとも僕の中ではそれらは矛盾しない(場合もある)。
それは「当初、設定した目的が達成できなかったとしても、それに挑戦した人に精神的な満足感や、なにかしらのノウハウが残った場合は、それ自体が【結果】になり得る」と考えているからだ。たとえば何かよくわからないギネス記録に大勢で挑戦して、結果的にギネス記録は更新できなかったとしても、そのイベントに参加した人々が楽しめたり、次回に繋がる何かが残せたのであれば、僕としては「その挑戦は大成功であり価値がある」という風に言えると考えている。
反対に「それをやる事で誰も嬉しくならない」とか「後に何も残らない」みたいな行為は「何の結果も残らない行為であり価値が無い」と考えている。たとえば賽の河原の石積みたいな行為は本当に最悪だ。楽しくも無いし、後に何も残らない。
「何を当たり前の事を言っているんだ?」と思われるだろうか。でも、僕は世の中には「賽の河原の石積」みたいな滑稽な作業が意外と沢山、存在しているのではないかな?と考えている。「全然、楽しくないし意義も感じないけど、上の人間がやれって言うからやってる」みたいなお仕事って沢山、存在するのではないだろうか。
僕は過去にそういうお仕事を沢山やってきた。その結果、得たモノは何も無い。ただ無為に時間を消費しただけだった。時間は誰にも等しく与えられているけれど、一度、使ってしまえば二度と取り返す事の出来ない貴重な資本だ。それを「結果の出ない行為」に費やしてしまうのは、あまりに勿体ない。
そういう行為に関わらなければならなくなってしまった際には、どうにかして自分が満足感を得られる様に考え方を変えるか、それが難しいのなら、いっそのこと、そこから一目散に逃げだすべきだと僕は思う。逃げ出す事により失うモノもあるかもしれないけれど、その場にとどまったまま、貴重な資本である「時間」を失い続けるよりは、圧倒的によい選択になるのではないかと思う。
本日もふらとぴに訪問頂きありがとうございます。
少しでもお楽しみ頂ければ幸いです。
今日は少し文体を変えてみました。僕はたまにこういう事をします。