【Daily Choppy !】第1326回:そんな私を見ないで

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こんにちは。そんな私大好き、チョッピーです。

「Daily Choppy !」第1326回のサムネ画像です
そんな私を見ないで

苦手な理由

どうにも英語が苦手だ。

持ち前の融通の利かなさゆえ、文法における「例外」などに納得がいかず腹落ちしない。

また、持ち前の記憶力の悪さゆえ、単語・熟語・慣用句もなかなか覚えられない。意味も覚えられないし、スペルも覚えられない。

そもそも発音記号が読めない。発音記号の読み方を学校で習った記憶も無いし。

だから辞書を引いても英文を読み上げる事も出来ないし、そもそも単語の発音方法もわからない。

チョッピー
チョッピー

怒涛の言い訳。

そう、これが全て言い訳である事も頭では分かっている。

言葉なんだから例外があるのは当然だし、そもそも文法なんて全て決めの問題なのだから「納得」とか「腹落ち」とか、そんな概念を働かせる対象ではない。それこそ日本語なんて例外の塊だろうに、僕は喋れるし。

記憶力は確かにそれほど良くはないが、そもそも本気で覚えようとしていない。本気で覚えようとしていたら、もっと日常的に英語を使っているハズだ。

発音記号の読み方なんて、仮に実際に学校で習っていなかったとしても、今時、すぐに勉強できるはずだ。インターネットを使えば読み上げ機能だってあるだろう。

結局のところ、僕が英語が苦手な理由は「それを学ぶのがイヤで、苦手なままにしているから」なのだと思う。

小学生のうちから!?

最近のカリキュラムでは小学校3年生から英語の授業が始まっているらしい。

チョッピー
チョッピー

具体的には2020年度から全面的に実施(PDF)されています。

いやー、スゴいなぁ。

僕は今、37歳なのだが、僕の時代は英語学習が始まるのは中学1年生からだった。

僕は中学1年生の時点で英語はチンプンカンプンで、ものすごく強い不快感を覚えていたのだけれど、最近の小学生はどうなのだろうか。

やっぱり僕と同じくチンプンカンプンで、ものすごく強い不快感を覚えながら英語の授業を受けているのだろうか。

もしくは、早いうちから英語に触れていれば、特に不快感を覚える事もないのだろうか。チンプンカンプンかどうかは人それぞれだとしても。

チョッピー
チョッピー

学び始める時期とか関係なく、英語に伴う不快感の原因はチョッピーが単純に異様に偏屈なだけである可能性も高いと思うけどな。

まぁ、それはそうかも。

そう言えば僕は英語以外にも制服なんかもムチャクチャ嫌いだったしね。

意図せぬコスプレ

制服についても僕はなんだか色々と「着るのがイヤな理由」をあげつらっていた気がする。

やれ動きにくいだとか毎日同じ服を着るのがイヤだとか…。

ただ、結局はそれも言い訳であって「制服を着るのがイヤな理由は、制服を着るのが嫌いだったから」以外にはない。

チョッピー
チョッピー

社会不適合者としての特性が強い。

ホントそうだねぇ。

ただ、そんな僕も学校教育の賜物か、社会の荒波にもまれた結果か、理由は定かではないがいつの間にやら社会人として「会社が定めた服装」に身を包む事には何の違和感も覚えなくなった。

いや、違うな…。

むしろ「ビジネスマン」として人前に出たりする時には積極的にスーツ等を着たい気持ちすらある。

実際、先日まで行っていた再就職活動においては自主的にスーツ姿で証明写真を撮ったり、テレビ電話での面談の際にはそれに適している様に思われるビジネスカジュアルっぽい恰好をしたりしたし。

チョッピー
チョッピー

社会適応者みたいな振る舞いをしている

なんだろうな…。

僕は誰かから雇われて働く際には「ビジネスマンのコスプレ」をして、それを行っている様な気がする。

恥の意識

そこで、ハッと気づいた。

僕は「ビジネスマンっぽく振舞う必要がある場面」では「ビジネスマンのコスプレ」をしている。つまり僕は形から入るタイプの人間なのだ。

ただ、普段のファッションにおいては「イケている(と一般的に思われている)人のコスプレ」はしていない。「自分の好きなファッション」をしている。

これは僕の中に「イケている(と一般的に思われている)人のコスプレをするのは恥ずかしい」という意識があるからだ。

なぜそんな意識を持っているのかはわからないが、確かに僕にはそんな気持ちがある。

もしかすると他人から「イケている(と一般的に思われている)人のコスプレを頑張っている人」と思われたくない…という見栄があるのかもしれない。

いやー、だとすると、これは下らない理由だなぁ。

ファッションに限らず、そんなことを何かに取り組まない理由にしてしまうと、人生がつまらないモノになってしまうだろう。

この意識を払拭できれば、もしかすると僕がイングリッシュスピーカーになれる日も近いのかもしれない。

本日もふらとぴにお越し頂きありがとうございます。

「他人の目が気になる」というよりも「そんな状態の自分が許せない」という内なる自分からの批判が一番キビしいような気もします。

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