こんにちは。知恵熱が出そう! チョッピーです。
今回の記事について
今回はチョッピーの考える「モノ作りにおいて志すべき姿勢」についてのお話です。
チョッピーは今まで、それなりの数のモノを作ってきました
モノ作りってありますよね。アウトプットが有形でも無形でも、どちらでもいいんですけど。
僕も本サイト「ふらとぴ」でモノ作りをしています。今、皆様が読んで頂いている「Daily Choppy !」もそうですし、他にも「動画の撮影・編集」や「ラジオに出演」という形でモノ作りを行っています。だから、今の僕は「主に無形のモノを作っている人」となりますね。
社会になってからの最初のキャリアはシステムエンジニアだったので、そこでも、まぁ、無形のモノ作りと言えなくもないお仕事をしていました。コンピューターシステムを作っていたので。
そもそも高校生の時から文芸部に所属していました。そこで小説を書いたり、その後も趣味で詩を書いたりもしていました。「RPGツクール」というゲームや「サウンドノベルツクール」というゲームを使ってゲームシナリオを考えたりもしていました。そう考えると、僕は昔から、かなりの量の無形のモノ作りをしてきた人間だと言えなくもないのかもしれません。
チョッピーのモノ作りに対するスタンスの遍歴
ただ、今の僕と昔の僕ではモノ作りに対するスタンスが決定的に違います。大学生までは明らかに「作りたいから作る」というスタンスでした。小説・ゲームシナリオのどちらも想定ユーザなどは考えずに「作っていて楽しいモノ」を作っていました。結果、今から考えるとかなり尖った小説・ゲームを作っていたと思います。
一応、高校生の時には県の文芸の大会で2位を獲得した事もあります。「超自己的レクイエム」というタイトルの小説でした。うーん…いかにも高校生的っていうか厨二的っていうか、なんかスゴいタイトルですね。
一方、今の僕は完全に「味わって楽しいモノを作る」というスタンスでモノ作りをしています。これは「11年間システムエンジニアとして働いた」とか「コンテンツを商材とした企業=Egeneを立ち上げた」という経験から身に付いた考え方かもしれません。そういう経験を経た結果「ビジネスとしてコンテンツを提供する以上は顧客が喜ぶモノを提供出来なければ意味がない」という考えになったわけです。
ただ、「顧客が喜ばなければ意味がない」とは言えども「何をすれば顧客が喜ぶのか」は僕にはわかりません。僕は顧客ではないからです。「ペルソナを設定してユーザニーズを把握しろ!」なんていう言説もありますが、僕はそんなことは出来ないと考えています。
ペルソナとは
ペルソナとは仮製品やサービスのユーザー像を仮想の人物として定義したものをいう。実際のユーザーにはさまざまな人が含まれるが、ペルソナではその中で最も重要な人物像に焦点を当てることによって、具体的なユーザー像をイメージしやすくなるメリットがある。
ペルソナとは|コトバンク
そのため「顧客としての自分が味わって喜べるものを作る」という意識で日々、コンテンツを作成しています。
この辺りは過去の「Daily Choppy !」でも折に触れて書いています。たとえば直近では「Daily Choppy !」第458回↓とか。
でも、モノ作りって「製作者の魂」が大事だったりするよね
そんなわけで僕は「顧客としての自分が楽しめるコンテンツ」を目指しています。「作り手としての自分が満足できるコンテンツ」を作っても意味がないと思っています。少なくとも、それを公に公開する必要はないかな…と考えています。
でも、まぁ、何がヒットするかはわかりませんからね。「顧客としての自分が全く楽しめないコンテンツ」でも世の中的にはヒットする可能性は当然あります。
ただ「顧客としての自分が好むコンテンツ」を考えていくと…「製作者の気持ちが伝わる(ように自分が感じる)コンテンツ」だったりするんですよね。言い換えると「魂を感じるコンテンツ」を僕は好みます。
たとえばマキシマム ザ ホルモンというバンドの楽曲の多くからは、それを感じます。なので、僕はマキシマム ザ ホルモンの楽曲が(基本的には)好きです。
もちろん本当に作者の気持ち=魂が込められているかどうかなんて僕にはわかりません。「気持ち=魂がこもっている」ように僕が感じるだけです。また、全く魂がこもっていなくても楽しめるコンテンツも存在します。たとえば料理なんて、そうですよね。適当に作ったって美味しいモノは美味しい。気持ちを込めて作ったところで不味いモノは不味い。
ただ、一概に「作り手としての気持ち・魂」とは言っても、何でもかんでも入っていればいい…というわけではありません。例えば先日の「Daily Choppy !」第519回↓で紹介した「ういんたぁ~す」の楽曲制作において、歌い手である「さまぁ~ず」の三村・大竹が「自分の事が歌われているから恥ずかしい」として楽曲変更を相談するシーンがあります。
ここで描かれている「恥ずかしいという気持ち」なんてコンテンツ制作においては本当に不要です。そんなものをコンテンツに込める必要は微塵も無い。
「さまぁ~ず」のお二人はそれがわかっているからこそ「恥ずかしい気持ちになってしまう楽曲は変えたい」と思われたのかもしれません。最終的にはお二人の「恥ずかしさ」は払拭されているので複数人でのコンテンツ制作においては「恥ずかしい気持ちがある」という本心を伝えるのは必要なプロセスなのかもしれませんね。
込める必要のない気持ちと、込めると良い気持ちがあるのかも
今まで書いてきたように、僕には「顧客としての自分が楽しめるコンテンツでなければ価値はない」という考えと「作り手としての気持ち・魂を感じるコンテンツが好き」という一見、矛盾する考えが同居しています。
ここ数日、この問題についてずっと考えていました。かなり考え続けたところ、先日、なんとか今のところの解と言える気がする考えに行きつきました。
ズバリ! 「公共性のある気持ち・魂」であればコンテンツには込めるべきです。それ以外の気持ち・魂はひとつも込めるべきではありません。
公共性のある気持ち。要は「人・社会のためになるであろう気持ち・魂」です。たとえば勇気・愛・努力・平和・幸福。これに連なる気持ち・魂はコンテンツに込めるべきです。そういう気持ちが込められているコンテンツは味わって楽しいし、熱狂も生み出せる。
一方、公共性のない気持ち…つまり「自分にしか関係のない気持ち・魂」はコンテンツには込めるべきではありません。つまり自分にとってだけの怒り・悲しみ・喜び・誇り…など。これらは他人にとってまるで関係のない話です。どうでもいいです。少なくとも商品としてのコンテンツにそれらを含ませるべきではないと僕は考えます。
「公共性のある気持ち・魂」を前面に押し出しながら「顧客としての自分が楽しめる」という観点を忘れなければ、質の高いコンテンツを作る道は見えてくるのではないか。今の僕はそう考えています。
本日の締め
今回は僕の考える「モノ作りにおいて志すべき姿勢」についてのお話を書いてみました。
この記事、書くのにとんでもなく苦労しました。クリエイターとしての僕の今までの人生の全てが集約されています。ずっと「志」と「滅私奉公」のバランスについての答えが出ていなかったのですが、やっと今のところの答えが出たので文章に起こしてみました。
これはコンテンツ作成だけではなく企業運営においても活用できる考え方の気がします。「公共性のある気持ち・魂」を前面に押し出して「顧客としての自分が喜べる」サービスを提供出来れば、きっと企業運営も明るい方向に動かせるのではないかと考えています。
本日もふらとぴにお越し頂きありがとうございます。
次の問題は「解を導き出せたとして、それを実現できるとは限らない」というところですね…。