こんにちは、チョッピーです。
今回の記事はいつも以上に内容・結論があやふやな記事になりそうです。
まぁ、とりあえず書いてみましょう。
僕、一応「ふらとぴクリエイター」と名乗っている自称クリエイターなんですね。
実際に「ふらとぴ」上に記事を作成・掲載していますのでクリエイターと名乗ってもウソにはならないでしょう、たぶん。
で、このところクリエイターの端くれとして「マーケティングと表現」に関して考える事が多くありまして…。先日「僕の感想」の題材として取り上げさせて頂いた「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」なんて、アレ、マーケティング性と作家性が非常に上手に混ざっていた気がするんですね。この作品の中味について語り始めるとネタバレが避けられないので、中味に関してはここでは深くは語りませんが…。
ちなみに「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」の感想は以下の記事に書いていますので、よければどうぞ。
【僕の感想】第5回:映画「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」
「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」に僕が感じた「マーケティング性」というのは…あの作品って、かなりインターネット的に物議を醸すストーリーになっていまして、そのおかげ(?)だと思うのですが、映画公開後にゲーム版のドラゴンクエスト5の売上が上がっているんですよね。
たぶん、あの映画の結末が受け入れられない人がゲーム版を購入しているのだと思うのですが…これってマーケティング&作家性的にスゴい事な気がするんですね。なんというか…「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」って単純にゲームのストーリーをなぞっているだけの映画化では無いんですよ。そこには映画スタッフの作家性が発揮されていると思います。同時に、その作家性により物議が発生し、その結果、ゲームの売上が上がる。
これ「ドラゴンクエスト」の作成元であるスクウェア・エニックスにしてみれば万々歳ですよね。
だって、映画に対する物議の結果、発生したヘイトは基本的に映画スタッフに向かい、スクウェア・エニックス関係者はノーリスクでゲームの売上アップという果実だけを得られるわけなのですから。
で、映画スタッフにしてみても、この結果は決して悪いモノでは無いですよね。
何故かというと彼らは映画を作る事によりクライアントに「ゲームの売上アップ」という利益を与え、さらに映画関係者に対して「ただ原作を映画化するだけではない作家性のある作品を作るメンバー」という評価も与えられたわけですから。ただし、一般のユーザからは「期待した作品とは違う作品を作り上げるスタッフ」という少しばかりのヘイトを集めてしまう可能性もあるのですが。
しかし、この「期待した作品とは違う作品を作り上げる」という点がヘイトに転じてしまう可能性があるというのは、なかなか悩ましいですよね…。正直、表現者ってモノ凄く自己中心的な存在だと思うので、何かを創った事がある人なら誰しも「俺の作品を味わった人間の内面を、俺の作品によって書き換えてやる」くらいの傲慢な気持ちが少なからずあると思うんですよ。少なくとも僕にはあります。個人的には、その辺りが作家性と呼ばれるモノに繋がっていくのではないかと考えているのですが…。
でも、多くのユーザって、たぶん、そんな事は期待していないんですよね。
「とにかく自分が心地よくなれる作品を味わいたい」という気持ちの人が多いと思います。
そのニーズを追求し、満たすべく活動するのが企業における基本的なマーケティング活動になると思うんですが、その方向性で努力をすると「客」に対しての活動になるので「表現者自身」の作家性はドンドン減っていくと思うんですね。要は創作における軸が「表現者自身」から「客」になってしまうと思うんですよ。
ちなみに最近は「炎上マーケティング」とかの方法を見聞きする事もありますが、これも「客を怒らせて話題を集めること」を目的としているので、軸が「客」にある事には違いはないと思います。「作家性を発揮した結果、炎上した」と「炎上を目的として、事実、炎上した」では、発生した事象は同じでも、その作り手にとっての意味は大きく異なりますよね。
どうにかして、この作家性とマーケティングの両者を満たす方法は無いですかね…。
作家性は客に衝撃を与えるのですが、多くの客はそれを望んでいない。
マーケティングは客に心地よさを与えるのですが、クリエイターはそれだけでは満足できない。
個人的にはこの衝撃と心地よさの間隙を突くような、間を通す作品を創ることを目指したいですね…。
本日もふらとぴに訪問頂きありがとうございます。
少しでもお楽しみ頂ければ幸いです。