こんにちは。一応、ベンチャー企業の設立者、チョッピーです。
年度末ですね
本記事掲載日は3月31日。一般的には年度末である。「今日まで2020年」という組織は多いのではなかろうか。学校や官公庁などの公的な組織では確実にそうだし、民間においてもこの日を年度の最終日に定めている組織は多そうだ。
入学・卒業・入社・異動もこの時期に多く見られますもんね。これが「春は出会いと別れの季節」なんて言われる所以なのかも。
年度ってなにさ
さて、上に「この日を年度の最終日に定めている組織は多そうだ」と書いた。そうなのである。実は年度とは組織ごとに自由に設定可能な便宜的な概念なのだ。
年度とは
会計や事務その他の便宜のために区分した1年の期間のこと。その期間は暦年と同じく1月から始まる場合も,その他の月(例えば4月)から始まる場合もある。おもなものに会計年度,物資年度などがある。会計年度fiscal yearは予算年度ともいい,国家の予算・決算の収支の時間的計算単位である。日本の会計年度は財政法11条によって,4月1日に始まり翌年の3月31日で終わる1年として定められている。しかし,1868年(明治1)には太陰暦の暦年制であり,69年には太陰暦の10~9月に,73年からは太陽暦の採用にともない太陽暦の暦年制となり,さらに75年からは7~6月となった。
年度とは|コトバンク
上に引用した通り国家の会計年度ですら法改正により開始日・終了日は変えられる。年度とはそれくらい便宜的で不確かなモノなのだ。
これは知っている人は知っているが、知らない人は知らない豆知識なのではないかと思う。
自分で書いておきながらアレですけど「知っている人は知っているけれど、知らない人は知らない」って当たり前の話ですよね。この世の全ての知識がそうだ。
定款は概念を規定する
もしかすると年度を「よくわからないけど誰かが決めた永遠に変わらない何か」という風に思い込んでいる人もいるのではないだろうか。僕は子供の頃はそういう認識だった。
年度の区切りが3月・4月ではない会社に入社された方などは「年度は不変ではないのだな」と気付かれていると思う。そういった会社との取引がある方も気付いているだろう。
だが、そのような機会に恵まれなかった方の中にはもしかすると永遠に「年度は3月終わりで4月始まりの、なにか謎の区分」という認識のままである方もいらっしゃるのかもしれない。
この認識、起業などの「組織を新たに設立する経験」をすると確実に改める事が出来る。組織設立の際に作る定款にて「自組織の年度の定義」を書かなければいけないからだ。
ちなみに本サイト『ふらとぴ』の運営企業である株式会社Egeneの年度は12月始まりです。
また、これは僕の個人的な感想なのだが、起業すると「会社」という存在に対しての認識も変わる気がする。おそらく「会社とは実際に存在するモノではなく、便宜的に作られた想像上の存在にすぎない」と思えるようになる。
えー、何言ってるの。会社って実在するじゃん。○○本社とかで検索するとその建物が出てくるし。
そういう意見もあるかもしれない。だが、おそらくそれは「会社は実在する」という意識に囚われているから出てくるモノなのではないだろうか。「○○本社」という検索ワードで出てくるモノも、実は会社そのものではない。実際にはそれはただの建物にすぎない。
そもそも「本社」という存在すら定款に「本店所在地」として定められているから、便宜的にそう呼ばれているだけだ。定款を書き換えさえすれば、今までの建物とは違う建物でも本社にできる。それくらいあやふやなモノだ。
概念という固定観念を打ち破る方法
「会社の方針」などという言葉も実際には正しくない。「会社の方針」を定めているのは実は「株主」や「取締役」などの個人である。本サイト『ふらとぴ』の方針も厳密に言えば「ふらとぴ編集部=チョッピー・こむぎ・横道それ夫」の方針である。
世の中には「実際は便宜的な存在に過ぎないのに、いつの間にか実在するモノとして扱われている何か」が溢れている。それを「実在するモノ」として扱った方が世の中が上手く回るからだ。
組織・国・権利・責任・季節…いわゆる「概念」と呼ばれるモノは全てそうだろう。これらは全て実際には存在しない。
会社組織である「Egene」も、国家である「日本」も、権利である「人権」も、責任である「仕事」も季節である「春」も、現実のどこにも存在しない。それらは見る事も動かす事も出来ない。人々の意識の上にしか存在しない。始まりは全てどこかの誰かが便宜的に決めている。
それらを「自ずからそこにあるモノ」として扱っても、人生を生きる上での支障は何も無いだろう。だが、その人生は「誰かが決めた世界観の中で生きる人生」となる。
もし、それに不満を覚えるのであれば色々と新しい事にチャレンジしてみるのが良いのではないかと思う。そうすればいつの日か「概念の作り手」に回る機会も訪れるかもしれない。たとえば起業とか。その時、あなたはその概念を正しく「便宜的な存在」として認識できるだろう。
それこそが概念という固定観念を打ち破る方法である。固定観念の無い世界は不安定で落ち着かないモノであるかもしれない。そのかわり、そこには自由がある。
本日の締め
今回は僕の考える「固定観念を打破する方法」についてのお話を書いてみました。
本文の最後の方にも書きましたが、概念は世の中を生きやすくするための人間の知恵でもあるとは思います。ただ、個人的にはそれを「知恵の産物」だと認識して生きる人生と「自ずからそこにあるモノ」だと認識して生きる人生を比べると、前者の方がさらに生きやすいのではないかと考える次第です。
本日もふらとぴにお越し頂きありがとうございます。
起業すると少なくとも会社周りの固定観念は色々と打ち破れるので良いですよ。