こんにちは。チョッピーです。
本日の記事について
今回はチョッピーが「パラサイト 半地下の家族」を観て感じた事を「万引き家族」や「ジョーカー」を引き合いに出しつつ語る回です。映画自体の感想ではありません。
大阪ステーションシティシネマに「パラサイト 半地下の家族」を観に行きました
大阪ステーションシティシネマに「パラサイト 半地下の家族」を観に行きました。第72回カンヌ国際映画祭では最高賞のパルム・ドールを受賞し、第92回アカデミー賞では作品賞、監督賞、脚本賞、国際長編映画賞の4部門を受賞した怪物映画です。
僕のとてもザックリとした感想を述べると「エンタメ性が高くわかりやすい映画で面白かった」です。詳しい感想は不定期連載企画の「僕の感想」にて書く…かもしれません。
「パラサイト 半地下の家族」と「万引き家族」と「ジョーカー」に共通するテーマは「格差社会」
ご存じの方が大半だと思いますが「パラサイト 半地下の家族」は韓国映画です。また、作品の主要テーマのひとつとして「格差社会」が描かれています。
「格差社会」というテーマは「パラサイト 半地下の家族」と同じくカンヌ国際映画祭のパルム・ドール受賞作(第71回)の日本映画「万引き家族」や、第92回アカデミー賞の主演男優賞と作曲賞を受賞したアメリカ映画「ジョーカー」にも共通して描かれていました。
しかしながら、これらの映画は全て同じテーマを扱っているもののその雰囲気や描き方にはそれぞれ特色が出ているように感じました。もちろん作品の雰囲気が異なるのは単純に制作スタッフが違うから、という理由もあるとは思います。ただ、やはり映画が作られた国や映画自体の舞台となる国が異なるという社会背景的な側面も、その理由のひとつに挙げられるのではないかと思います。根拠はありませんが。
それぞれの映画の「格差社会」の描き方
ここで上げた3作品の「格差社会に対する絶望度合い」は以下の順番で深まっている様に感じました。(1がいちばん深い)
- 万引き家族
- ジョーカー
- パラサイト 半地下の家族
「パラサイト 半地下の家族」では「格差」は個人の努力により乗り越えられる可能性が(極めてわずかではあるものの)存在するモノとして描かれている様に僕には思えました。対して「ジョーカー」と「万引き家族」では基本的に「格差」は乗り越えられないモノとして描かれている様にも感じました。
それぞれの映画で描かれる「格差」へのあらがい方
「格差」に対するあらがい方も映画ごとに異なる様に思えます。
「パラサイト 半地下の家族」では登場人物がそれぞれの相違工夫をもって格差を乗り越えようとしており、また、実際にやりようによっては格差を乗り越えられる可能性がある描写がされている様に思えました。
「ジョーカー」でも「パラサイト 半地下の家族」と同じく登場人物それぞれが「格差」を乗り越えようとしますが最終的には「格差は個人の努力ではどうする事も出来ず、それと戦うためには社会全体に対して破壊を蔓延させるしかないモノ」という描かれ方をされている様に思えました。
「万引き家族」では登場人物が「格差」に対して特にあらがわず「格差はそもそも乗り越えるべきモノではなく当たり前にそこにあるものであり受け入れるべきモノ」として描かれている様に思えました。
映画の描写から各国の状況が読み取れるかも?
同じテーマを扱っているにもかかわらず、その描かれ方が作品によって異なる。映画が社会情勢を映す鏡だとすると、3作品それぞれの「格差」の描き方は各国の「格差」に対する捉え方や状況と似たものがあると言えるのかもしれませんね。
もしかすると実際の各国の「格差社会に対する絶望度合い」も上で挙げた順番と一致するのかもしれません。
本日の締め
今回は「パラサイト 半地下の家族」を観て僕が感じた事を「万引き家族」と「ジョーカー」を引き合いに出しながら語らせて頂きました。「万引き家族」と「ジョーカー」はそれぞれ個別に感想記事も書いているのでもし良ければ合わせてお読みいただけると嬉しいです。
本日もふらとぴにお越し頂きありがとうございます。
ちなみに僕が感じた面白さの順番は「万引き家族」が3位で「ジョーカー」と「パラサイト 半地下の家族」が同着1位となります。これは完全に僕の好みですが僕はエンタメ性の高い映画が好きなので、この順位は「僕が感じたエンタメ性の高さ順」とまったく同じです。