こんにちは。理性的でありながら情熱的な男、チョッピーです。
今回の記事について
今回はチョッピーの考える「HAPPYになるための理性と感性の活用方法」についてのお話です。
最初に補足
理性と感性という言葉があります。これらはその正体がとても不思議なモノであり、哲学上の巨大なテーマになりうる言葉(という認識)です。
今回の「Daily Choppy !」では「理性とは何か」とか「感性とは何か」とかの哲学的な難しいお話をするつもりはありません。というか、僕にはそのような難しいお話を展開する技量がない。そんなお話はしたくても出来ません。
今回の「Daily Choppy !」では「理性」と「感性」を一般的に使われているであろう辞書的な意味で使っていきます。すなわち、それぞれ以下の通りです。
本記事における理性の意味
感情におぼれずに、筋道を立てて物事を考え判断する能力。
理性(りせい)とは|コトバンク
本記事における感性の意味
物事を心に深く感じ取る働き。感受性。
感性(かんせい)とは|コトバンク
理性と感性のどちらが大事?
皆様はHAPPYな人生を送るためには、理性と感性のどちらが大事だと思いますか?
おそらく若い方ほど「理性の方が大事」だと考えられているのではないかと思います。何故ならば、学校教育が「感性よりも理性の方を優先すべき」という価値観で動いているように思われるからです。
これは完全にチョッピーの偏見です。
実際に教育基本法の第1条において教育の理念は「教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」と定義されています。「感性よりも理性の方を優先すべき」などとは書かれていません。
ただ、文章として表された理念にはこう書かれていても、その実践の場においては、どうも理念と異なる運営がされているようにチョッピーは感じています。
一方、高齢になればなるほど「感性の方が大事」だと考えられる人の割合は増えていくのではないでしょうか。その理由は学校を卒業し、社会人となり、色々な経験を経る中で「感性が満たされたときに幸福を感じる」という実感を得る機会が増えていくからではないかと思います。
大人には理性的に考えれば絶対に行うべきではない行動をする人も多いよね。たとえば浮気とか違法薬物の使用とか。まぁ、これもチョッピーの感覚論であって何かしらのエビデンスに基づく意見ではありませんが。
理性偏重でも感性偏重でもHAPPYにはなれない気がする
僕個人の考えに過ぎませんが、理性と感性は両方大事なのではないかと考えています。
うわ、卑怯な答え。「どちらが大事?」って尋ねておいて「正解はどちらも大事です」とかマジで嫌われるよ、それ。
スミマセン。でも、実際、そうだと思うんですよね。理性と感性のどちらか一方を重視した生き方ではHAPPYの実現は難しくなってしまうのではないかと思います。それぞれご説明します。
理性偏重だとHAPPYを感じられない理由
これはとても単純で「理性偏重な生き方」とはすなわち「合理的判断にのみ基づいて行動する生き方」となります。ここで問題となるのは「合理的の基準」です。何をもって合理的とするのでしょうか。
理性に則って考えると「社会正義の実現」や「利益の最大化」などが実現できる選択が「合理的」と判断されるのではないかと思います。
ただ、それが実現された人生が当人にとってHAPPYなモノであるかどうかは全くの別問題です。
僕は社会正義の実現になんて本当は全く興味がない。
とか
私はお金を稼ぐ事には本当は全く興味がない。
みたいな方々が「社会正義の実現」や「利益の最大化」を合理的に選択しても、それはHAPPYな人生の実現の役には立たないでしょう。
感性偏重だとHAPPYを感じられない理由
こちらは単純ですね。感性偏重で「僕はとにかくこれに喜びを感じるのだ!」と動いていると、人生が詰むことになりかねません。
前述した「浮気」や「違法薬物の使用」は社会的に許容されている行為ではありません。これを行うモノは社会から制裁を受けます。人間は社会的な動物です。社会から制裁を受けている状態にHAPPYを感じる人はあまり多くはないでしょう。
感性で感じる喜びを実現する方法を理性的に考えよう
理性偏重でも感性偏重でもHAPPYにはなれないのではないか。そんなお話を展開してきました。
で、結局、どうすればいいの? アンチパターンはいいから、正解を教えてよ。
そうですね。僕の考える正解はこちらです。
- 自分が喜びを感じられる状態を、社会的に許容されつつ実現する方法を理性的に考えて実行すること
当たり前では?
はい。極めて当たり前の結論です。でも、当たり前のことを折に触れて確認するのって大事だと思います。この当たり前の主張のポイントは以下の2点です。
- 「自分が喜びを感じられる状態」は自分の感性だけを基準に考えること
- 「自分が喜びを感じられる状態」の実現方法は感性を封印して理性的に考えること
僕は自分の喜びと社会性を両立して初めて、人は安定的にHAPPYを感じられるのではないかと考えています。その実現のためには感性と理性の両方をフル活用する必要があります。どちらか片方に偏重する態度はあまり望ましくないのではないかと考えます。
本日の締め
今回は僕の考える「HAPPYになるための理性と感性の活用方法」についてのお話を書いてみました。
色々と書きましたが、基本的には徹頭徹尾、当たり前の話しかしていないつもりです。ただ、本文中にも書きましたが、やっぱり当たり前のことを折に触れて確認するのって大事だと思うんですよね。
本日もふらとぴにお越し頂きありがとうございます。
反社会的な行為で感性が満たされる方もいらっしゃるかと思いますが、そういう方こそ理性を活用して、社会的に許容される範囲内の行動で感性を満たす方法を考えるべきだと個人的には思います。