こんにちは。お笑い芸人ではない男、チョッピーです。
今回の記事について
今回はチョッピーが感じた「ポリコレ対応型コミュニケーション」についてのお話です。
容姿いじり
朝起きて一番最初にする事って「Twitterを開く」ですよね。
は?
僕もそうです。今朝も起きぬけに枕元のスマホを手に取り、Twitterのアプリを開きました。毎日の習慣ですから手馴れたモノです。非常にスムーズ。
ただ、通知欄を確認しても僕のツイートに「いいね」はついていません。いつも通りです。極めて平常運転。僕のSNSはいつもこうです。Twitterはもちろん、建前とお世辞で構成されているFacebookですら僕の投稿には基本的に「いいね」はつきません。
「SNSは承認欲求を満たすためのツール」とか言ってたヤツはどこのどいつだ。出てこい。まったく満たされないぞ。責任を取れ。
他責思考は止めろ! ビジネスで成功するには自責思考が大事だぞ! Twitterで多く「いいね」が集まってるつぶやきにそう書かれてたから間違いない!
はい。
まぁ、そんな感じでいつもの通りTwitterを眺めていたら、とあるつぶやきが目に留まりました。
今後、ツイートが読めなくなる可能性もあるので全文を引用します。
『スッキリ』はいい加減海外のアーティストを使ってハリセンボン春菜の容姿をいじるのはやめなよ……
ゆびひめ|Twitter
なるほど。僕は『スッキリ』を観てはいないので実際の放送の様子はわからないのですが、なんとなく言わんとしている状態は推測できます。
おそらく『スッキリ』では、その出演者であるハリセンボン春菜さんの「〇〇じゃねーよ!」というネタが頻繁に展開されているのでしょう。このツイートはそれを「止めろ」と言っている。言い換えると「ルッキズムに基づいた笑いを取るのは止めろ」と言っているのでしょう。
ルッキズムとは
外見的な美醜を重視して人を評価する考え方。容姿による差別をいう。
ルッキズムとは|コトバンク
このツイートには「バズっている」と言っていい程度の反応があります。読む人に色々な考えを喚起させるツイートだったのでしょう。僕もつい引用RTで反応してしまいました。
「ポリコレ」とは「ポリティカルコレクトネス」の略語です。
ポリティカルコレクトネスとは
人種・宗教・性別などの違いによる偏見・差別を含まない、中立的な表現や用語を用いること。1980年代ごろから米国で、偏見・差別のない表現は政治的に妥当であるという考えのもとに使われるようになった。言葉の問題にとどまらず、社会から偏見・差別をなくすことを意味する場合もある。
ポリティカルコレクトネスとは|コトバンク
「Daily Choppy !」はマスメディア(だと思っている)
僕が本サイト「ふらとぴ」に毎日掲載している本企画「Daily Choppy !」。僕はこれをマスメディアだと思っています。実際のアクセス数などとは関係なく「マスに対して公開している情報であり、出来るだけ多くの人に読んで楽しんでもらいたい情報」だと考えているからです。
一方、僕は自分のTwitterのアカウントはマスメディアだとは思っていません。僕の認識としては基本的に全てのツイートは「つぶやき」であって「他者に向けたモノではない」と思っているからです。(リプライ=返信や一部の引用リツイートは除く)
そのため僕のTwitterアカウント運用の基本的スタンスは「好きな人だけ読んで。気に入ったらフォローしてくれればいいし、気に入らなかったらフォロー外して。アレだったらミュートやブロックもした方がいいかもしれませんよ」というモノです。
つまり僕ことチョッピーは「マスメディアとそうではないメディアの2つ」を同時に運用している人物なわけです。少なくとも自分の意識の上では。
なお、実際の数字としてはTwitterのアカウントの方が「Daily Choppy !」よりも多くの人に読まれています。哀しいね。
この意識の違いはアウトプットに反映されているのでしょうか? 僕としては大いに反映されていると感じています。
マスメディアはポリコレを守るべきだと思う
上に貼り付けた僕のツイートの意図を少し丁寧に説明します。
マスメディアはポリコレを守るべき。何故ならばポリコレを良しとする人も顧客として見込んでいる以上、それに反する表現を行うべきではないから。それの実現可能性はさておき「全ての人が楽しめる内容」を目指すべき。「全ての人が楽しめる内容」とはすなわち「良識的な内容」であり、それは「ポリティカルコレクトネスの理念」と合致するハズ。
もちろん、これから外れる内容の表現も世の中から排除するべきではない。公共の福祉に反さない内容である限りはどの様な表現も尊重すべき。ただ、それらはマスメディアにおいては「好き嫌い」という観点から批判を受ける。
「批判を受けるコンテンツ」を商品として喜んで提供するマスメディア運営者はいないだろう。今後の社会においては、その様な表現は同好の士だけで楽しむモノとなっていくのだろう。
僕も上で書いた通り「Daily Choppy !」をマスメディアだとみなして運営しています。そのため、「Daily Choppy !」は可能な限り良識的な内容を書いていきたい…と思って運用しています。
なので「Daily Choppy !」においては可能な限り「エログロ」とか「不謹慎な話題」は避けるようにしています。
とはいえ読み物としての面白さは担保したい。言い換えると自分で読んで「面白!」と思える記事を提供したい。「面白!」にも色々な種類があると思うのですが僕が「面白!」と感じるのは「笑える」と「知的好奇心をくすぐられる」の2つの条件を満たしているモノです。
この条件を満たした「良識的かつ面白いコンテンツ」はどうやったら作れるのか…。
表現は難しいモノだ
「良識的かつ面白いコンテンツ」を実現するためにはどうすればよいのか。ひとつのヒントとしてはぺこぱの「否定しないツッコミ」があるのかな…と感じます。
ただ、この笑いは「通常のツッコミをズラした」というところに面白みがあるのではないかと思います。この1点だけで全てを面白くするのは難しいように感じます。
そう、面白みって「ズレ」があるから感じるモノだと思うんですよね。で、ツッコミは「ズレ」に対して「ズレてるよ」と指摘する行為。この一連の流れはポリコレ的正しさと見事に矛盾します。
ポリコレ的正しさでは「中立的な表現や用語を用い」なければいけないからです。そもそも起点として「ズレ」ていてはいけない。
他者のズレを指摘するのはもちろんダメです。それは否定や差別に繋がる可能性がある。では自己のズレを自虐的に伝えればいいのか…と言うと、それもダメです。何故ならばこの記事の冒頭に貼り付けたツイートのように「他人の自虐ネタでも不快感を感じる人」は存在するためです。
「他人の自虐ネタに不快感を感じる」の一因には「他人の自虐ネタを自分への否定だと感じてしまう」という認知があるのではないかと感じます。個人的にはこれは「認知の歪みであり、矯正した方が本人が生きやすくなる考え方」だと感じています。ただ、同時に人間が社会的な動物である以上、この認知は「共感」という形で多かれ少なかれ表れてしまうモノでもあると感じています。そのため「これを認知の歪みであり間違った捉え方だと否定するのはよろしくない」が僕の現時点のスタンスです。
この状況下で「面白いコンテンツ」を作るのはなかなか難しそうです。実際、今日の記事の冒頭で繰り広げられている僕の自虐ネタもポリコレ的に正しくないと糾弾される可能性もある。
何にズレを見出せばポリコレ的に正しく、かつ、面白いコンテンツとなるのか。アンジャッシュ的な「すれ違いコント」を目指せばよいのか。それも一つの答えだとは思います。ただ、それ一辺倒だと飽きられる可能性もある。
「ポリコレ的に正しい面白コンテンツ」の実現。難易度は非常に高い気がしますが、マスメディアを運営しているモノとしては、常に目指していかなければならない目標だと思います。
本日の締め
今回は僕が感じた「ポリコレ対応型コミュニケーション」についてのお話を書いてみました。
今回の僕は「マスメディア運営者」としての立場から記事を書いています。ただ、SNS全盛の今の時代において、この話題は誰にでも関係のある内容でもある気がします。この記事を読んで頂いた誰かの何かの参考になれば幸いです。
本日もふらとぴにお越し頂きありがとうございます。
「笑い」はハイリスクハイリターンな試みですよねー。