『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』を観た
昨日(3/24)『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』を観た。
僕はあまり熱心なエヴァンゲリオンファンではない。ただ、一応、エヴァンゲリオンシリーズの過去作(テレビ版・旧劇場版・新劇場版序・破・Q)の全てを鑑賞してはいる。
ただ、リアルタイムで観た事があるのは新劇場版の序と破だけです。他は全部、DVD・配信で観ました。その他、小説・マンガ・ゲーム・副読本などの関連作品はひとつも読んだりプレイしたりしたことはありません。あと、正直、テレビ版と旧劇場版はストーリーをほとんど覚えていない…。
そんなわけで映画封切以降、僕は「うーん、正直、そんなに食指は動かない。でもなぁ、おそらくエヴァンゲリオンシリーズ最後の作品だし…映画館で観た方がいいんだろうなぁ…うーん…」という煮え切らない想いを抱えていた。
…が、昨日、ついに意を決して観に行く事にした。「積極的に映画館に行くのも癪だけど、ネット等でネタバレ情報を目にするのはもっとイヤ」という気持ちに耐え切れなくなったからだ。まぁ、あと、僕が契約している動画配信サービスU-NEXTで映画鑑賞に使えるポイントがたまっていたから…という理由もある。
封切2週間以上が経過しており、さらに平日の食事時かつ大阪府の箕面市かつコロナ禍真っ只中という客の入りが最悪であろう時間・場所・条件で観たのでお客さんは僕の他には2名しかいなかった。
人が少なくてとっても快適でした
まぁ、別にそれはどうでもいい。
今回の映画、本当に感心した。エヴァンゲリオンシリーズの作品の中で、初めて監督が観客とマトモに向き合っている映画であるように感じた。
映画の序盤から「え、なにこの人間らしいお話…この作品ってこういう展開あるんだ?」という驚きがあり、中盤・終盤以降には「これは…お話を誠実に終わらせようとしている…」と感じた。
実際、エヴァンゲリオンシリーズは今作をもって本当に終わった。
プロジェクトは終わらせなければならない
今回、日本中の多くの人を巻き込んだ1大プロジェクトが完全に終劇となった。正直、その結末やそれに至るまでに描かれた各キャラクターの心情や動機は僕にとっては全てどうでもいい。
この記事の冒頭で書いた通り、僕はそこまでエヴァンゲリオンシリーズのストーリーやキャラクターに興味がないのだ。物語に対する純粋な感想は「あぁ、そう、へぇー、ふーん…」という程度のモノだ。
観に行った動機も「ここまで観てきたシリーズの結論は自らの目で確かめねばなるまい…」という義務感に近いモノです。
でも、僕はこの映画自体に深く感動した。すでに何度も書いている通り「本当に終わった」からだ。
プロジェクトは始めるのは簡単だ。やり始めてしまえばいいだけだからだ。プロジェクトは誰かと誰かが「なにかをしたいね」と話し始めたその瞬間から始まる。そして、始まった次の瞬間からプロジェクトは終わりに向かって動き出す。
悲しい事に、大抵の場合プロジェクトはキレイには終わらない。「失敗」という結論が出ればマシな方だ。「成功」とも「失敗」とも言えないまま「永久凍結」という最悪の結果に陥る場合も多い。
プロジェクトを終わらせるために必要なモノは責任感
プロジェクトをキレイに終わらすのはとても難しい。でも、一度、動き始めたプロジェクトは必ず終わらせなければならない。
そうしなければ、それに関わった全ての人が不幸になる。呪縛に囚われる。前に進めなくなる人もいるだろう。
それを防ぐために、プロジェクトは終わらせなければならない。それには多大な犠牲が伴う。プロジェクトはそれに関わる多くの人の命を吸い取る。尊厳を奪われる場合すらある。それでも、プロジェクトは終わらせなければならない。
プロジェクトを終わらせるために唯一必要なモノは、ノウハウでもテクニックでもない。責任感だ。「何を失ってでも、やるべき事をやる」という意思の力だ。
なにかを為したければ全てを失う覚悟を持て
責任感は劇薬である。責任感を持つ者は傷を負う事を厭わない。傷を負ってでも自分が為さなければいけないモノがあるとわかっているからだ。
この記事の題材として取り上げた『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』において、監督は「物語の底」を観客に開示している。これはクリエイターとしては避けたいモノであったのではないかと思う。
もちろん、映像・音楽・演出においては底は感じさせていない。新しい(と思われる)手法を色々と取り入れている。監督の今後の作品においても映像・音楽・演出は僕達の予想を超えるモノを提供してくれるのではないかという期待を持たせてくれる。
でも、おそらくストーリーやキャラクター描写に関しては、今後、監督は(監督の中からだけでは)観客の予想を超えてくるモノを生み出す事は出来ないのではないかと思われる。僕にそう思わせる程『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』は物語の底を観客に提示していた。
観客に「この監督から、もうこれ以上のモノは出てこない」と思われる作品を作ってしまう。これは作品を作り続けなければいけないクリエイターにとって致命的なモノだと思う。期待値のないクリエイターには誰も注目しない。
『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』において監督はそのようなリスクを冒してまで物語の底を開示した。何故か。そうしなければ物語を終わらせられなかったからだ。プロジェクトを完全に終わらせ、それに囚われた者を開放するにはそうするしかなかったからだ。その根本には「始めた者の責任感」があったのではないかと僕は思う。
この記事を読んで頂いている読者の方には、何かを始めたい気持ちがあるだろうか。何かを始めたい気持ちがある方は、同時に何かを終わらせる覚悟を持っているだろうか。持っているのであれば問題はない。持っていないのであれば、初めからやらない方がいいのかもしれない。
僕は目的をもって『ふらとぴ』の運営を始めた。責任感もあるつもりだ。そのために前職の立場・給料を失った。おそらく、今後も色々と失う物の多い人生を送るハメになるだろう。それは何かを始めた者が担うべき責である。その重さを感じながら、今後も人生を生きていきたいと思う。
本日の締め
今回は僕の考える責任感についてのお話を書いてみました。
今回の記事は『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』の感想ではなくて、それを題材にした別テーマのお話として書いたつもりです。でも、やっぱりかなり感想文に近くなっちゃった気がします。それくらい力のある作品だったという事なんでしょうねー…。
本日もふらとぴにお越し頂きありがとうございます。
『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』が少しでも気になっている人は観てみると良いんじゃないかな、と思います。