こんにちは。東京から大阪に戻りました。チョッピーです。
チョッピストは文章好き?
僕の勘違いであれば申し訳ないのだが、本連載『Daily Choppy !』をお読み頂いている方(チョッピスト)は「文章に興味がある方」が多いのではないかと思う。
「書くのが好き」とか「読むのが好き」とか。もしかしたら「好きではないが書かねばならぬ」とか「ツラいけど読まないとやってられない」みたいな複雑な事情を抱えている方もいらっしゃるかもしれない。
突然、どうした?
いや、この動画・音声コンテンツ全盛時代にわざわざ『Daily Choppy !』というテキストコンテンツを読んで頂いている方は少なくとも「文章が嫌い」な人ではないんじゃないかな…と思って。
確かにそうかもしれない。文章は動画と比べて情報量が少ないわりに読むのに労力がかかる。それをワザワザ読んで頂ける方は「文章が嫌いではない」とは言えるのかも。
「文章が嫌い」なのに『Daily Choppy !』を読んで頂ける方がいるとすれば…僕の事がムチャクチャ好きなのかな? えへへ。ありがとうございます。
気持ち悪い喜び方をしているところ申し訳ないけど「ムチャクチャ嫌い」もあり得るよ。
確かに。
「人の振り見て我が振り直せ」的な
僕の事が好き・嫌いはさておき、この時代にわざわざテキストコンテンツを読んで頂いている方は文章に関して目が肥えている可能性も高いと思う。僕自身もコンテンツの消費者としてはかなりうるさい方だと思う。
「なんだこの文章、つまんねぇな」とかすぐに思う。実際はもっと強い罵倒の言葉を使っている場合もある。品がないのでここには書かないが。その気持ちを基に記事↓を書いたりもしてしまう。
人が書いた文章に対して「イヤ」とか言ってるけど、「自分はどうなんだ」って話だけどね
そうなのだ。まぁ、もちろんアウトプットに対する批評は消費者の権利である。何に対してどのような批評をするのも自由。それを責められる謂れはない。
謂れは無いんだけど…僕の個人的な美意識と照らし合わせると、それは少しカッコ悪い態度であるのも確か。特に自分が作っているジャンルのアウトプットへの批評には「そんなことを言っているお前は、それ以上のアウトプットを作れるのか?」という気持ちがどうしても湧いてくる。
僕の場合は各種のコンテンツ。特に文章コンテンツは本連載『Daily Choppy !』で毎日書いているので「人の文章にゴチャゴチャいう前に自分の文章のクオリティを上げなければ」という気持ちがある。
そんなわけで最近、文章指南的な本を何冊か読んでいる。
自分ごと化
そのうちの1冊、『みんなが書き手になる時代の あたらしい文章入門』という本に「テキストを読んでもらうためには最初にそれを読者にとっての自分ごとにする必要がある」という趣旨のお話が書かれていた。
これは僕にとってはかなり慧眼の意見だった。
というのも、僕は文章や会話において、いわゆるイントロダクションというモノがあまり好きではないタイプの人間なのだ。普段の雑談ならさておき、業務関係のお話やなにかしらのテーマが設定されている会話・文章に対してはすぐに「で、要点は何なの?」と思ってしまう。
また、ビジネスにおいては「結論から話せ」は鉄則である。ダラダラと本論と関係の無い話を続けてるのは相手の時間を奪う罪深い行為である。
この様な考えがあったため実際に一時期の『Daily Choppy !』においては記事の冒頭に「今回の記事について」という「記事の要点を説明するパート」が用意されていました。「序論・本論・結論」という論文執筆時の流れで記事を書いていたわけです。
…が、「結論から話す」というテクニックが通じるのはおそらく「目的を同じくする相手」や「前提知識が共有されている相手」という特殊な状況下においてだけなのではないかと思う。言い換えると「すでに自分ごと化が完了しているため結論から話しても聞いてもらえる」のではないかと思うのだ。
『Daily Choppy !』のような「誰が何の目的をもっていつ読むのか不明なコンテンツ」においては、それは通用しないと思われる。そのためイントロダクションでの「自分ごと化」は必須。
『みんなが書き手になる時代の あたらしい文章入門』という本のおかげで僕のコンテンツに対する考えはこのようにアップデートされた。
今回の記事でも冒頭の「チョッピストは文章好き?」は「自分ごと化」を狙って書かれています。成功していますかね?
全てのコミュニケーションに使えるのでは?
「自分ごと化」に関しては「コンテンツメイクに必須の考え方だと思う」という趣旨の内容を少し前の記事↓でも書いた。
ただ、この「自分ごと化」はコンテンツメイク以外にも使える気がする。「コンテンツメイク以外」というか、むしろコミュニケーション全般に使えるテクニックだと言えるのではないだろうか。
日々の会話もプレゼンテーションもそうだ。自分におきかえて考えてみても「自分ごと化」されていない内容は聞く気にならない。
興味のない話題に関しては、いくら相手から熱意をもって話されようが全く関心がわかないのだ。それどころか相手の熱意が強ければ強いほど「ちょっと勘弁してもらえないかな…」と思ってしまう。
特に僕達ふらとぴ編集部の事業である「ふらとぴ事業」は「ユーザの自分ごと化」がとても大切であるように思う。僕達は本サイト『ふらとぴ』で障害福祉施設や、そこで作られている授産製品という商品を紹介している。
基本的にそれらに最初から興味がある人は少ないと思う。僕ですら本事業を始める前は全く関心がなかった。
人は関心の無い話は聞かない・読まない・関わらない。それに興味を持って頂くためには「自分ごと化」が必須。
これはコミュニケーション上のマナーと言えるほどの大前提だと思う。常に意識しておきたい。
本日の締め
今回は僕の考える「コミュニケーション全般に使えるテクニックとしての自分ごと化」について書いてみました。
最近の僕は営業手法や知名度向上策を色々と考えています。そこでふと『みんなが書き手になる時代の あたらしい文章入門』で説明されていた「自分ごと化」はそれらにも使えるのではないか…と気付きました。読者の皆様の何かしらの参考になれば幸いです。
本日もふらとぴにお越し頂きありがとうございます。
「自分ごと化」を図るためには「相手がどういう人であるか」を考えるのも大切そうですね。ただ、あくまでも主体は自分。「自分ごと化を図りながらも媚びない姿勢」を忘れずにしたいところです。