こんにちは。若干の声がれ、チョッピーです。
眩暈がするほどの
なんとなく、本当になんとなくだが、本サイト『ふらとぴ』および本連載の読者の方には、30代以上の方が多いのではないか…という気がしている。
20代以下の方がいらっしゃいましたら本当に申し訳ございません。
僕自身も35歳で30代。アラ○○という言い方で言えばアラフォーだ。
……え、アラフォー? Around forty? ホントに? 本気で言ってる? 何それ怖い。
自分で書いておきながらなんだが、アラフォーという響きにちょっと動悸がするくらい動揺してしまった。えー…年取ったなぁ…。
少年老い易く
35歳の僕ことチョッピーは上で書いた通り「年を取った」と感じている。もうホントに若くないと思っている。
だが、これを僕よりも年上の方…例えば50代の方にお伝えすると、必ず言われる言葉がある。「まだまだ若いよ」だ。
これを読まれている40代以上の方も同じように思われたのではないでしょうか?
確かに50代の方から見た場合、30代を若いと思われるのはわかる。なんと言っても実際に20歳ほど若いわけだし。
また、「人生100年時代」という言葉もある。仮に僕が100歳まで生きるのだとすれば、35歳はいまだ人生の1/3程度しか過ぎていない段階だ。
そう考えると30代は確かに若い。
余談ですが「人生100年時代」という言葉は書籍『LIFE SHIFT』で提唱された言葉です。僕も読んだことがあります。面白い本なので未読の方がいらっしゃいましたらこの機会に読まれてみてはいかがでしょうか?
だが、少し思い出して頂きたい。たとえば今、50代のあなたは、20年前の30代の頃、「自分はまだまだ若い」と考えていただろうか?
いや、もちろん時にはその様に感じる場合もあるだろう。僕も35歳ながら「自分はまだ若いな」と思う時がないわけではない。
でも、同様に「もう若くないなぁ…」と感じる瞬間もある。皆様も同じだったのではないだろうか。
たとえば子供の頃は全くキツくなかったラジオ体操で疲れてしまったり、ふいに走った瞬間に信じられないくらい色々な場所が痛くなってしまったり…。
35歳でこんな事を感じている僕。たとえば70歳になった頃には、一体、どんな気分になってしまうのだろうか。
多くの喜びと少しの悲しみ
昨日(6月21日)カラオケ屋さんに行った。僕が今、住んでいる大阪府が緊急事態宣言の対象から実に58日ぶりに外れ、カラオケボックスの営業が再開されたからだ。
チョッピーは週3くらいでカラオケに行くほどのカラオケ狂なのです。
楽しかった。とても楽しかった。2時間30分しか歌っていないので、心の底から満足したとは言えないが、それでもかなり楽しかったし、とてもスッキリした。
…が、残念な事もあった。緊急事態宣言発出中から懸念していたのだが、声があまり出なかったのだ。
正確にお伝えすると声質が固くなっており、低音も高音も響きがなかった。特にミドルボイスと呼ばれる地声とファルセットが混ざったような声区が本当にヘタクソになっていた。
また、最高音も2度ほど下がっていたように思われる。スタミナも落ちていた。
声は声帯で作られる。声帯は喉の筋肉で動かされている。長い間、歌っていないと声帯を動かす筋肉が衰え、結果として声が出なくなるのだ。
58日間に渡り歌をマトモに歌っていなかったので、当然と言えば当然の結果だったのだが、明確な衰えを感じた。
衰えた筋力を元に戻すには、58日以上の月日が必要となりそうだ。根拠はないが、そんな気がする。
もう、ホントに嫌。とっても悲しい。
想像してごらん
人間には損失回避性があるという。
損失回避性とは、利益から得られる満足より同額の損失から得られる苦痛の方が大きいことから、損失を利益より大きく評価する人間心理のことをいう。
損失回避性とは|コトバンク
「得ていたモノを失う」ことには大きな苦痛が伴う。その理由は僕にはわからないが、とにかく、人間にはそのような特性があるらしい。
実際、僕は「緊急事態宣言前には楽に出せていた声が出せなくなっている」ことに大きな苦痛を感じた。カラオケにはそれを上回るだけの楽しさがあったので、トータルではプラスだったのだが。
きっと、加齢に伴う衰えにも同じような苦痛が伴うのだろう。
たとえば70歳になった時。認知機能に問題がない場合、日々、自分の体が衰えていく苦しみを味わい続けるわけだ。アンチエイジングにも限界はあるだろうし。
これは…なんというか、とてもツラいだろうと思う。衰えを自覚するのも嫌だろうし、それを人から指摘されるなんて考えるだけでも不快だ。
免許返納とか、言われたくないだろうなぁ…。でも、言わざるを得ない事情もあるだろうし…。
加齢は誰が悪いわけでもない。生きとし生ける者、全てに訪れる自然現象だ。それだけに苦しい。衰えに伴う苦痛の原因を誰に求めるわけにもいかない。
「老いを受け入れろ」みたいなお言葉を見かける場合もある。「老いは自然な現象だから悲しむ必要はない」とする考えを基にした言葉なのではないかと思う。
正直に言って「いやいや、そんなの論理的におかしいでしょ」と思う。だって「自然な現象だから」と「悲しむ必要はない」には全く繋がりがない。
自然な現象であろうと、そうでなかろうと、人間にとって老化は苦痛だと思う。人間には損失回避性があるからだ。
今後、突発的な事故や病気で命を失わない限り、僕にもいずれ明確な老化が訪れる日も来るだろう。その時には、せめて少しでも苦痛が少なくなるような心持ち、態度で生きていきたい。
また、それに直面している誰かと触れ合う場合には、最大限の想像力を働かせて関わりたいと思う。
…なんとなくだが、「損失回避性があるから衰えは苦しい」と自覚する事が、もしかしたら「老いの受け入れ」に繋がる道なのかもしれないなぁ…とボンヤリ思ったりもする。
本日の締め
今回は僕が久しぶりのカラオケで感じた衰えをキッカケに想像した「老化に伴う苦痛」についてのお話を書いてみました。
35歳、若いんだか若くないんだか…。微妙な年齢な気がします。
本日もふらとぴにお越し頂きありがとうございます。
ま、何歳であろうが目標がある限りは、そこに向かって走り続けるしかないんですけどね。