こんにちは。庶民派、チョッピーです。
絶滅
つい数年前まで当たり前の光景だったのに、いまやすっかり見なくなったと感じるモノがある。
コンビニでの立ち読みだ。
具体的にいつからそうなったのかはわからない。
ただ、少なくとも5~6年前くらいまでは、どこのコンビニにも大抵1人~2人くらいは雑誌を立ち読みしている人がいたように思う。
「防犯に役立つためコンビニは立ち読みを許容している」とか「店内に客がいる事が分かった方が、お客さんが入りやすくなるためコンビニは雑誌を窓際に陳列している」みたいな話を聞いた事もある。
ところが、コンビニ各社はその方針を転換させたようである。
書籍には立ち読みできないようにテープや紐で封がされているし、そもそも書籍棚自体の数も少なくなっている。
もしかすると、いまや日本のどこのコンビニに行っても立ち読み客には出会えなくなっているのかもしれない。コンビニはチェーン店がほとんどだし、チェーン店ではなくてもノウハウはすぐに広まるだろうから、あり得ない話では無いと思う。
まぁ、立ち読み客と出会う必要なんて別にないのだけれど。
今でも立ち読みを許容しているコンビニがありましたらスミマセン。
何事にも抜け道はある
立ち読み客の撲滅以外にも、コンビニの書籍棚には変化が起きている。
2019年8月31日をもって、ほとんどの店舗でいわゆる「成人向け雑誌」の販売が終了したのだ。
コンビニ大手のセブン―イレブン・ジャパン、ローソン、ファミリーマートの3社は、成人向け雑誌の販売を全国の計約5万2千店で31日をもって原則終了する。「売り上げが見込める」などの加盟店判断で販売を継続するのはセブンとファミマの計約120店舗で、全体の0・2%程度になる見通しだ。
コンビニ、成人誌の販売終了へ|【西日本新聞me】
確かに言われてみれば僕が普段使いしているコンビニでも成人向け雑誌は売られていない。
僕はアダルト作品が嫌いな人間ではない。むしろ好きな方だ。ただ、好き好んでコンビニで成人向け雑誌を買うタイプではない。
そのため「コンビニで成人向け雑誌が売られなくなったこと」にはしばらく気付かなかった。
おそらく僕みたいに「わざわざコンビニで成人向け雑誌は買わない」という方が多いためコンビニ各社は販売を取りやめたんでしょうね。それによる売り上げ減少よりも「成人向け雑誌が売られていない店の方が嬉しい」という客層による売り上げ向上の方が期待できるのでしょう。知らんけど。
ただ、コンビニの書籍棚から「成人向け要素」が完全に取り除かれたのか…と言われれば、そうでもないようだ。
そんな成人誌が店頭から消えて1年2カ月が経つわけだが、先日訪れたセブンで、それと思しき雑誌を発見した。
~ 中略 ~
これらの雑誌は、もともと成人誌を作っていた出版社とコンビニとの「妥協の産物」であるといえる。
~ 中略 ~
全ページが成人向の内容だった成人誌を改め、非アダルトのコンテンツもページに入れる。だからこれらの雑誌には、プロ野球の歴史やテレビのヤラセの解説記事、お菓子の「おまけ」についての紹介や、白人至上主義団体「KKK(クークラックスクラン)」特集も載っている。
あれ、コンビニから「成人誌」は無くなったはずでは? 終了から1年2カ月経っての実情(渡辺広明) – 個人|Yahoo!ニュース
上に引用した記事はYahoo!ニュース個人のモノ。
僕はYahoo!ニュース個人の記事をそれほど信頼していないため「本当かな?」と思って実際にコンビニに行って書籍棚を確認してみた。
すると、確かに最寄り駅の近くにあるコンビニの書籍棚には「若干、過激かな…?」と思われる雑誌が売られていた。正確には「過激」というよりも「低俗」といった方がいいかもしれない。
雑誌名は出しませんが露骨なエロというよりも「裏社会」とか「覗き見」とか、そんな感じの露悪的なトピックが並んでいました。ちなみに最寄り駅のコンビニではなく、自宅から一番近いコンビニにはその様な雑誌は売られていませんでした。人通りの多いお店でしか売っていないのかもしれません。
やはり今でもコンビニでは「成人向け雑誌」の販売はNGでも「一部、低俗な要素が含まれる雑誌」の販売はOKのようだ。
僕はけして上品な人間ではない。そのため低俗な話題も好きだ。
ただ、とはいえ、個人的にはワザワザそれをコンビニで売らなくても良いんじゃないのかな…とは感じたりもする。実際に僕個人は、そのような雑誌をコンビニで買う事はほとんどない。
数年に一度、買ってしまう事はある。
なんでや! イオン楽しいやんけ!
僕は基本的に低俗な話題をコンビニではなくネットで仕入れている。具体的には Twitter とか。
先日も Twitter で「これは低俗!」と思わざるを得ないマンガをみかけた。
女性が主人公のマンガで、内容は「マッチングアプリで男性と出会った。その人は容姿も好みではなかったし、最初のデートでイオンでのお散歩を提案してきた。あり得ない!」というモノだ。
読者の皆様の中にも、このマンガを見かけた人はいらっしゃるかもしれません。
確かに容姿は人それぞれ好みがあると思う。デートの内容次第で、人間性がわかる部分もあるのかもしれない。
ただ、他人の容姿や行動を主観的に評価し「あり得ない」と断罪するマンガは決して上品な内容とは言えないだろう。「低俗」と言って差し障りないハズだ。
まぁ、僕はそういうマンガも前述した通り好きなんですけどね。
ただ、その様なマンガが好きだからと言って、必ずしも登場人物に好感を抱くわけではない。
最善策
個人的には僕はこのマンガの主人公に好感を抱いてはいない。
「容姿」や「最初のデートでの行動」という、その人物を構成する要素のごく一部をみて「あり得ない」と即断しているからだ。
人間の要素のごく一部だけを見て「あり得ない」と即断してしまうと、その人が出会う人間のほぼ全てが「あり得ないモノ」になってしまうのではないかと思う。
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という言葉もある通り、一度「あり得ない」と判断してしまった人間の評価はなかなか覆らない。
結果、その人は「あり得ない人間だらけの世界」で生きていかなくてはならない。
逆に「あばたもえくぼ」という言葉もある。もっと関係性が深まった場合には「恋は盲目」なんて言われたりもする。
どうやら人間とは、その人のどこかを好きになってしまえば、他の短所は目につかなくなる存在でもあるらしい。
どちらを選択した方が人生が楽しくなるか。答えは明白なのではないかな、と思った。
次善の策
ただ、それでも「でも、やっぱり僕は他人を『あり得ない』と即断しちゃうな…」と感じる人もいるだろう。その場合は、もう、自分はそういう人間なのだと開き直るのもいいのかもしれない。
僕も出来れば上品に生きたいと思ってはいる。
ただ、どうも品性の下劣さは隠せそうにない。僕は前述した通りアダルト作品も好きだし、低俗な情報も好きな人間なのだ。
これはおそらく、けして社会的に褒められた人間性ではない。ただ、それはもう直せそうにないし、むしろ、それを自覚する事で開ける道もある。
自分の好きなジャンルがわかっていれば、コンテンツが溢れるこの時代でも得るべき情報がすぐにわかるので悩まずにすむ、とかです。
最前の策が取れないのであれば、次善の策を選ぶ。そんなスタンスも大事なのではないか。
そんな気がする。
本日の締め
今回は僕の考える「次善の策の大切さ」を書いてみました。
文章の構成として「起 → 承 → 転 → 結 → 転 → 結」という変則的な形を採用してみたのですが、いかがでしたでしょうか。
結論が2つあるのであれば、本当は2記事に分けた方がスッキリするとは思います。ただ、今回は「次善の策の大切さ」を書きたかった。
なので「最初の結論で最善策を提示し、その後に第二の結論として次善の策を提示する」という方法を採用してみました。
今後も色々と実験しつつコンテンツを作っていきたいと思います。
本日もふらとぴにお越し頂きありがとうございます。
キレイごとだけでは生きられませんが、出来ればキレイに生きていきたいところですね。