こんにちは。学校嫌い、チョッピーです。
人材育成工場の呪縛
「将来、何になりたい?」
この質問、多くの方が子供の頃に大人から問われた経験があるのではないだろうか。
特に学校教育の場で直面する場合が多いのではないかと思う。
あるいは「将来の夢は何?」という形での訊かれ方だったかもしれない。
僕にも経験がある。
その時は「コックさんになりたい」と答えていたハズだ。
チョッピーは今も昔も料理が好きなのです。
ところが実際に僕が就いた職はシステムエンジニアであり、その後は本サイト『ふらとぴ』というメディアの運営者になっているわけだが…。
それはさておき。
この「将来、何になりたい?」や「将来の夢は何?」という質問、明確に「職」と結びついた回答が期待されているように思う。
たとえばの話、「安寧な死」や「教祖」みたいな回答は期待されていないと思うのだ。
「教祖」は職業と言えなくもないかもしれませんが。
これは学校教育の主目的に「企業の労働力としての人材育成」があるからではないかと思う。
労働者の内発的動機として「○○という職で働く」や「××という企業で働く」があった方が、経営側としてはその人材を労働力として活用しやすい。
内発的動機付けとは内面に沸き起こった興味・関心や意欲に動機づけられている状態のこと。動機づけの要因は金銭や食べ物、名誉など、外から与えられる外的報酬に基づかないものを指す。社会心理学者のデジによれば、内発的動機付けには有能感と自己決定感が強く影響するという。つまり人は、仕事をする中で「能力を発揮できている」という感覚がある時、また、「自分自身で目的を定め、計画を立て、実行している」という感覚があるときに、内発的動機を得やすいといえる。
「内発的動機付け」とは | 用語集 | 人材育成・研修のリクルートマネジメントソリューションズ
もちろん、教育関係者がここまで露骨に子供たちを「将来の労働力」として扱っているのかどうかはわからない。
だが、少なくとも日本の教育システムに「企業の労働力としての人材育成」という観点が盛り込まれているのは間違いないだろう。
実現可能性
確かに内発的動機が企業での労働により満たされるのであれば、それは大変、素晴らしい事だと思う。
その条件を満たす労働者は身分・立場・生活基盤の保証がなされた状態で、精神的な満足感まで得られるわけだ。
どう考えても「内発的動機が満たされるであろう企業」で働いた方がよい。
だが、実際のところ、そんな状態が実現される事なんてあるのだろうか。
僕はなかなか、その実現は厳しいのではないかなぁ…と感じている。
内発的動機を満たす場は企業の外に見出した方が、幸せな人生を送れる可能性は高まるのではないだろうか。
言い換えると「人生の目的を企業に託すのはやめておいた方が良い」となる。
何故か。
企業の目的が「従業員の内発的動機を満たすこと」である可能性は限りなく低いように思われるからだ。
企業の目的と手段
僕は2019年まで企業に雇用されている労働者だった。その後は本サイト『ふらとぴ』を運営する株式会社Egeneの経営者として独立している。
その結果、僕なりに「企業の第一義の存在目的」が理解できた。
企業の存在目的…。営利の追求では?
違う。
「営利の追求」が企業の第一義の存在目的であるのならば、利益率の低い業界で営業している企業の存在理由がなくなってしまう。営利の追求が第一義の目的であるならば、全ての企業は金融に業態を変えるべきだ。
そんな事になったら社会が成り立たなくなっちゃうよ?
そんな事はない。
営利活動としては成り立たないけれど、社会維持のために必要な事業は国家が担当すればよい。実際に公共事業はその様な観点で運営されているハズだ。
営利の追求でも社会の維持のためでもない…? では、一体、会社の存在目的とはなんなのだ…?
答えは「経営者・株主の目的実現のためのツール」である。
企業は経営者と株主の目的を実現するために便宜的に作られている。
その目的が「営利の追求」である会社は「営利の追求」がなによりも優先されるし、「自社商品を多くの人に使ってもらうこと」が目的である会社は「自社商品を多くの人に使ってもらうこと」がなによりも優先される。
「社員の内発的動機を満たすこと」は、企業それぞれに異なる目的を達成するための手段に過ぎない。
企業の目的達成のために必ずしもその手段が採用されるとは限らないのだ。
ちなみに株式会社Egeneの目的等については「こちらのページ」に書いています。興味がありましたらご参照ください。
人類共通の夢
それでは企業に雇用されている労働者は、社内において自分の内発的動機を満たす事は永遠に出来ないのだろうか。
基本的には出来ないと思う。
ただ、以下の様な極めて限られた条件においては一時的にそれを実現できる場合もあるだろう。
- 企業の目的に「社員の内発的動機を満たす」要素が含まれる場合
- 企業の目的を達成するための手段自体が、社員にとっての内発的動機になっている場合
この条件にある場合は、社員は内発的動機を満たしながら幸福に働ける事だろう。それによる業績の向上などもありうるかもしれない。
だが、それ以外の場合においては社員の内発的動機は満たされない。
そんな状況下で働く人々は、間違っても労働によって自分の内発的動機を満たそうとしてはならない。その願いは状況が変わらない限り、絶対に叶わないからだ。
叶わない夢を見続けたまま、間違った方法論を採用し続けるのは精神的になかなかツラいだろう。
もし、その状況下において、内発的動機を満たしたいと考えるのであれば。「転職」か「独立」のどちらかを選ぶべきなのだろう。
もちろん経営者に直訴したり、ストを決行したりして労働者側の要望を企業に飲ませるという方法論も無いわけではないが…それは少なくとも2021年の日本においては現実的な方法ではないだろう。
「将来、何になりたい?」という質問。愚問だと思う。
だって、この問いに対する回答なんて本当は自明なのだ。
それは必ずしも職と結びついてはいない。
「幸せになりたい。」
これ以外の回答を選ぶ人間なんて、この世に存在するのだろうか?
本日もふらとぴにお越し頂きありがとうございます。
幸せになるための方法は様々です。学校教育ではその都合上「労働で幸せになる」という方法論を主に教えている様に思えます。本当はそれ以外にも色々な方法があるんですけどね。