こんにちは。バイアスまみれ、チョッピーです。
経済人に非ず
数年前、僕は大学院に2年間通っており、そこで経営学を学んだ。
それまで僕には経営学の素養は無かった。
そのため、そこで学んだモノは、その全てが僕には新鮮に感じられた。
具体的には株式や決算に関する知識、経営戦略、経営に役立つ各種のフレームワーク、あるいは経営マインドと呼ばれるモノなどだ。
その中でも特に僕の関心を引いたのは「行動経済学」に関する授業だった。
行動経済学とは
人間がかならずしも合理的には行動しないことに着目し、伝統的な経済学ではうまく説明できなかった社会現象や経済行動を、人間行動を観察することで実証的にとらえようとする新たな経済学。2002年に行動経済学者のダニエル・カーネマンがノーベル経済学賞を受賞して以来、脚光を浴びるようになった。カーネマンが心理学を修めたこともあって、経済モデルに人間の心理を組み込み、経済実験やアンケート調査などを駆使する特長がある。
行動経済学とは|コトバンク
この授業で、僕は「人間とは、様々な認知バイアスや心理的作用に支配された非合理的な判断を下す(こともある)存在である」という人間観を学んだ。
認知バイアス。最近、よく聞く言葉だ。
認知バイアスとは
直観や先入観、自らの願望やこれまでの経験、他人からの影響によって論理的な思考が妨げられ、不合理な判断や選択をしてしまう心理現象のこと。
認知バイアス|証券用語解説集|野村證券
本屋に行けば『情報を正しく選択するための認知バイアス事典』なんて書籍も見付かるほど。
今となってはこの様に多くの方に知られている認知バイアス。だが、少なくとも僕にとっては、大学院で行動経済学を学ぶまでは、馴染みのある言葉ではなかった。
とはいえ、その中身は当時の僕にも極めて分かりやすく感じられた。
それらは「それって昔からことわざ・故事成語・寓話とかで説明されてる人間のサガだよね…」と思えるモノが多かった(ように僕には感じられた)からだ。
もちろん、その存在を科学的に立証するのは大変なのでしょうけれど。
たとえば「ある人・モノの一部の印象が、その人・モノの全ての評価に影響すること」を指す「後光効果(ハロー効果)」と呼ばれる認知バイアスは「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」や「あばたもえくぼ」と呼ばれることわざで古くから知られている。
また、バイアスではないがマーケティングにもよく利用されているらしい「不都合な事実に対し感じる不快感」を表す「認知的不協和」と、それを解消するために自分の認識自体を改変してしまう心理作用に関しては、イソップ童話の「すっぱい葡萄」が的確に説明している。
昔の人は、これらの認知バイアスや心理作用を経験則としてよく理解していたのだろう。そして、それをことわざ・故事成語・寓話などの形で残した。
それらはまさに人類の英知だと言えるのではないかと思う。そこで語られている内容が科学的に立証されているかどうかはさておき。
予測可能性
先日掲載した『Daily Choppy !』(第981回)で『昨今の社会は「VUCAの時代」と評される事がある』と書いた。
VUCAの時代。つまりは「将来の予測が出来ない時代」の事だ。
確かに現在は「将来の予想が出来ない時代」だとは思う。
たとえば、ロシアとウクライナの開戦を予測できていた人は少ないのではないでしょうか。
だが、これは現代に限った話なのだろうか。逆に「VUCAではない時代」とは具体的にいつのことを指すのだろうか。そんな時代が、過去に、本当に存在していたのだろうか?
僕にはどうもそうは思えない。
将来の予測が可能であるならば「おごれる者も久しからず」なんて言葉は生まれないだろう。
「おごれる者」は永遠に「おごれる者」であり続けるハズだから。
古来より伝わる言葉
「VUCA」という言葉は、そもそもは1990年代に米軍で使われ始めた軍事用語で、2010年代にビジネス業界でも使われるようになったと言われている。
一方、日本には古くから伝わる「人間万事塞翁が馬」という言葉がある。
人間万事塞翁が馬とは
人生で遭遇することの吉凶や禍福は、変転きわまりなく、容易にさだめがたい。一見悪いことがよいことにつながり、逆によさそうなことが悪しきことにつながっていく。「塞翁が馬」ともいう。
人間万事塞翁が馬とは|コトバンク
「VUCA」よりも達観したニュアンスの言葉ではあるが、なんとなく同じ事を言っている様に思える。
同義のことわざに「禍福は糾える縄の如し」というモノもある。
やはり昔から多くの人にとって世の中は予測不能で、その中で生活する僕達の行動がどの様な結果をもたらすのかも同様に不明瞭だと思われていたのではないだろうか。
でなければ、同じ意味のことわざが2つも広く使われるようにはならないと思うのだ。
賢者を目指せ
「すでに確立されている技術や知識を、それを知らないものが再度、発明したり開発したりすること」を指す「車輪の再開発」という言葉がある。
人類には長い歴史があり、その中で先人は膨大な知識・経験をため込んできた。
最近になって科学的に実証されたモノも、経験則として様々な形ですでに残されている場合も多いと思う。
人類の英知とは、かくも素晴らしいモノだ。
それらをあらかじめ理解できれば「車輪の再開発」は防げるだろう。
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉の通りだ。
出来れば僕も賢者となり、そこから学びを得たい。
「人類の英知って”人類のえっち”に響きが似てるよね」などと下らない事を言っている場合ではない。
本日もふらとぴにお越し頂きありがとうございます。
今回の記事、最後の一言を言いたいがためにムチャクチャ長い時間を費やしてしまいました。愚者だから仕方ない。