旅の途中です、山頭火さん。
ぼろきてすずしい一人が歩く
日記には『六時すぎ出立、(中略)朝風が法衣の袖にはらんで涼しい。』とあります。
パタパタして、気持ち良さそうです。
今だと、ファン付き作業着ならスイッチひとつで、この感じ味わえますね、きっと。
山頭火さんは、時々、この感じの句を詠みますね。
自分を、自分が外から見ているような句。
観念的に客観視しているというより、本当に見えているような詠み方の句です。
メタ認知といわれるものとは、ちょっと違うような気がします。
山頭火さんが見ているのは、山頭火としての自分ではなく、本名、種田正一の姿かも知れませんね。
種田正一を種田山頭火が観察し、それを句に詠んで表現にする。
自分を見届けるというのは、実は途轍も無くしんどい事です。
かなりの胆力が必要だと私は思っています。
山頭火さんも、そのあたり大分苦しんだんじゃないでしょうか。想像ですけど。
どっちが主体かわからなくなりそうですからね。
見えてますか、そうですか。
たまに見失いますか、そうですか。
放っておきましょうか。そうもいきませんか。