こんにちは。最近、好きなアーティストたちが新曲をたくさん発表していて嬉しい、チョッピーです。
(の案)とは
皆様は「なりたい自分」になれているだろうか?
ここでいう「なりたい自分」とは職業やスペックといった具体的なモノよりも、もっとフワッとした人物像の事だ。
たとえば「カッコいい人物」や「面白い人物」など。人によっては「リーダーシップのある人物」や「威圧感のある人物」などの意見も出てくるかもしれない。
もちろん「特にそのような目標はない」や「すでになりたい自分になっている」という方もいるとは思う。その様な方にとっては今回の記事は特に参考にならないかもしれない。
かくいうチョッピーは「なりたい自分」になれているの?
いや、なれていない。僕は具体的に言うと「協力者を多く集められるような人物」になりたいと考えている。
僕は本サイト『ふらとぴ』を運営する株式会社Egeneというベンチャー企業の経営者。ベンチャー企業の経営者として適切な人物像とは「協力者を多く集められるような人物」なのではないかと考えている。そのため、極めて打算的な発言で申し訳ないが、そのような人物になりたいと考えている。
そして、今の僕は、その様な人物にはなれていないと感じている。もちろん幸いなことに今時点でも何名か協力して頂いたり、応援してくれている方はいらっしゃるのだが、それはその人たちが素晴らしい人格の持ち主だというだけの話で、僕自身に魅力があるから…とは思っていない。
端的かつ少しばかり卑近な表現で言うと、僕はもっと「人たらし」になりたいのだ。
その方が事業の成功に有利だから、と。つまりチョッピーは「なりたい自分」すらも目的達成のための手段だと捉えているんだね。浅ましいというかなんというか…。
うーん、どうなんだろう。確かにこれを堂々と公言するのは浅ましい気がしないでもないけど、多かれ少なかれ、誰しも同じような願望はあるのではないだろうか。
「カッコいい人物」や「面白い人物」になりたい気持ちも、突き詰めれば、それが自分の目的達成にとって有益だと考えているから…という可能性はあるのではないだろうか。
どうなんだろうね。そう考える人もいるのかもしれない。
確かにそれを目的と捉えるか手段として捉えるかは、人それぞれ違うとは思う。僕はそれを手段として捉えているというだけの話だ。それが目的でも何の問題もないし、それが目的だからと言って素晴らしいわけでもない。
それを手段として捉えるか、目的として捉えるかはさておき、「なりたい自分になれていない人」にとって「なりたい自分になる方法」は喉から手が出る程ほしいノウハウなのではないかと思う。
先日、ふと「こう考えればよいのでは…」というアイデアが湧いた。せっかくなので、この場を借りて共有してみたい。異論・反論があれば是非、SNS等でコメント頂けると幸いだ。
なんと言っても、今回のお話はそれを実現できていない人物によるアイデアに過ぎないので、皆様の意見を参考にブラッシュアップ出来れば嬉しいです。
全ては演出次第説
いきなりどこかで見た事のある雰囲気の画像を貼り付けてしまい申し訳ない。この画像に書いているモノが僕の考える「なりたい自分になる方法」だ。
ちょっとよくわからない
そうだね…。少しばかり遠回りになるかもしれないが説明する。
僕は本サイト『ふらとぴ』を運営するにあたり、自ら「ふらとぴクリエイター」として日々、コンテンツを作成している。ただ、元々、コンテンツ作成を生業としていた人物ではない。高校生の時に文芸部に所属し、小説を書いていた経験はあるが『ふらとぴ』運営開始以前のコンテンツ作成経験はそれだけだ。
なお、同時にラグビー部にも所属していました
大学時代にはゴスペルサークルに所属して歌っていたので、今から考えると「歌唱」もコンテンツだと言えるとも思うのだが、当時は「コンテンツを作っている」という意識はなかった。大学卒業後はシステムエンジニアとして働いていたのでコンテンツ作成はしていない。
僕はそんな経歴の持ち主。なのでコンテンツの質や作成論などについては最近、勉強し始めたばかり。そんなほぼ素人の僕でも感じる事がある。「人間は演出に弱い」のだ。
事象を事象として提示されても、おそらく人はあまり何も感じない。ただし、それを音楽・構成・色などで脚色すると、人はそれに意味を感じ取る。しかも、厄介な事に演出手法を変えると、同じ事実に対しても人は異なる意味を感じる。
演出の重要性を考えるための題材としては映画やマンガがわかりやすいと思う。
「人が突然でてくる」という事象に対して、陽気でバカバカしい音楽・構成・色などを付与すると人はそれに「コメディ」という意味を感じ取る。対して、おどろおどろしい音楽・構成・色などを付与すると人はそれに「ホラー」という意味を感じ取る。
少し実験してみよう。
上のふざけた写真は前回(第674回)の『Daily Choppy !』のサムネ↓に使用した僕の全身像だ。
こちらを僕の思うコメディ風味とホラー風味でそれぞれ演出してみよう。
コメディ風味
ホラー風味
いかがだろうか。どちらも大した加工はしていない。それぞれ背景にフリー素材を貼り付け、写真の輝度等を変更しただけだ。使っている素材は全く同じだ。
僕のスキルの問題で上手く実証できていないかもしれないが、それでもコメディ風味とホラー風味は同じ素材を使っているとは思えない程、雰囲気が異なるハズだ。
自分で作っておきながらアレですが、ホラー風味はちょっと怖すぎる気がしないでもない。実際にこんなシチュエーションでこんな人に遭遇したら心臓止まるわ。
上で実証したモノは「コンテンツにおける演出の重要さ」に過ぎない。ただ、もしかするとこれは「人の立ち振る舞い」などにも適用できる考えなのではないだろうか。
「なりたい自分」であるかのように自分を演出しよう
おそらくだが「なりたい自分になるためには、自分を変える必要がある」と考えると袋小路に入り込むと思う。変えるべきは自分自身ではない。自分自身を演出する全てだ。つまりは自分自身の立ち振る舞いや環境だ。
言い換えよう。重要なのは「外から見た自分」だ。内面や思想信条では無い。「カッコいい人」になるために、内面や思想信条に関して「カッコいい人」の模倣をする必要は無い。模倣すべきはその人の外見であり環境であり立ち振る舞いだ。
あなたの思う「なりたい自分」を体現している人物を思い浮かべてみて欲しい。その人は、どの様な環境で、どの様なファッションで、どの様な立ち振る舞いをしているだろうか。それら全てがその人を演出している。そして、その人の周りの人間は、その演出によって、自分にとってのその人の価値を決めている。
つまり「なりたい自分になる」ためには、まず最初に「具体的にどの様な演出が必要か」を考える必要がある。演出方法さえ決まれば、あとはそれに従って自分自身の環境・立ち振る舞いを変えていくだけだ。
チョッピーの場合
僕の場合を考えてみよう。僕のなりたい人物像は「協力者を多く集められるような人物」である。
具体的には誰になるのだろう。特定個人の名前を挙げるとアレなので…概念的に考えると…少年漫画の主人公みたいな人になるのだろうか。ワンピースのルフィなんかいいのかもしれない。もしくはキングダムの信みたいな…。
彼らの立ち振る舞いを考えてみると…まず活動的だ。ウダウダと文章なんかを書いてはいない。あとは熱血漢。策略なんかは考えずに目的に向かって一直線に突き進んでいるイメージがある。ほかは…見た目がシュっとしている…とかかな…?
一方、僕はと言うと…まず文章を毎日書いている。しかも今回の文章は全編に渡って策略についてのお話に終始している。「中身なんかよりも外面だ! 立ち振る舞いだ!」と書いている。見た目も上に貼り付けた画像を見て頂ければわかる通り全然、シュっとしてない。
ダメだこりゃ
僕が「協力者を多く集められるような人物」になるためには、なかなか高いハードルが用意されているようだ。飛び越えられるように頑張りたいと思う。
本日の締め
今回は僕の考える「なりたい自分になる方法(の案)」についてのお話を書いてみました。
「変えるべきは内面ではなく環境や立ち振る舞い」と考えるのは大事だと思います。内面はなかなか変えられませんが、環境や立ち振る舞いは意識次第ですぐに変えられますので。
本日もふらとぴにお越し頂きありがとうございます。
声質や表情なんかも演出には大事なんでしょうね。