【Daily Choppy !】第68回:教養が欲しいなー…という話

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こんにちは。チョッピーです。

僕、どうも自分に教養が足りないなぁ…とずっと思っていて、それを身に着けている人に対して憧憬の念を抱いています。

ちなみにここで言う「教養」とは単純な「知識」とはニュアンスが違っていて…なんでしょうね、「広く深い知識を基礎として、その上に組み立てられた創造性」とでもいいますか…。「ユーモアに直結する様な心の豊かさ」…みたいなモノかもしれません。

どうして突然そんな事を言い始めたかと言いますと…昨日の記事で以下の様な事を書いたのですが

なんというか「論理的に考えれば狙いや理由が分かるモノ」って「凄さ」を感じないんですよね。「畏怖」と言ってもいいかもしれません。「意味が分からないけど、何か凄いモノ」というモノが創作物として最高のモノだと僕は認識しています。

【Daily Choppy !】第67回:「意味不明感」を追求したい|ふらとぴ

ここで言うところの「凄さ」とか「畏怖」というモノに対して、何かもっとわかりやすくてオシャレな表現って無いかなぁ…と考えていたところ、Twitterで目にした画像に書かれていた、とある言葉がまさにそれに合致する気がしまして…。なにかと言うと「センス・オブ・ワンダー」です。

センス・オブ・ワンダー(英語: sense of wonder)とは、一定の対象(SF作品、自然等)に触れることで受ける、ある種の不思議な感動、または不思議な心理的感覚を表現する概念であり、それを言い表すための言葉である。

センス・オブ・ワンダー |Wikipedia

そう、まさに僕が日々、追い求めているモノは「不思議な感動」であり「不思議な心理的感覚」であり、それはおそらく「センス・オブ・ワンダー」なんですよね。で、僕は「センス・オブ・ワンダーを感じるために”わかりやすい意味”は不要。不要というよりもむしろ害悪。存在していてはいけない」と考えているんです。「わかりやすい意味」が介在してきた瞬間に、その作品は「不思議さ」を失い、同時に「センス・オブ・ワンダー」も霧散してしまうのです。

いやー、これは非常にスッキリした。僕自身が長い間(中学生の時くらいからだと思う)適切に表す事が出来ないでいた「それを感じた時に深い感動を覚える何か」をズバリと言い表している言葉の様に思えます。

こういう「それを言葉として捉える事が出来れば、人生が圧倒的に豊かになるであろう概念」みたいなモノって人それぞれ存在すると思うんです。僕の場合は「センス・オブ・ワンダー」は確実に僕の人生における重要なキーワードになると思います。あとは「ユーモア」とか…。

これらの概念とか言葉とかを適切に見付ける力こそが「教養」みたいな気がするんですよね。
今回の僕の場合は「たまたまTwitterで目にした画像」にそれが書かれていた事により、自分の中のモヤモヤが輪郭のある捉えられる存在になってくれたのですが…その様な幸運は狙って得られるモノでも無いと思います。その様な場合に「教養」があれば「あぁ、僕 or あなたは今、○○を求めているのですね」みたいな閃きを得る事が可能になる気がするのです。

ただ、教養を得る方法って難しいんですよね…。
おそらく古今東西の名著と呼ばれる本を読みまくれば、やがて身に付いてくるとは思うのですが、そのためには莫大な時間が必要で、それを確保するためには結構な額の金銭が必要で、それを確保するためには…と「教養」を得るための方法を考えていくと、ドンドン「現実」という教養とはかけ離れた存在が僕達の前に立ちはだかってくるんですよね。で、「現実を上手に倒す方法・技術」を身に着けるべく頑張っていると、それだけで人生は終わってしまう…。あぁ、この世はなんて難しい。

「教養深い人」って、ホントに、その教養、どうやって身に着けたんでしょうねぇ…。憧れます。

本日もふらとぴに訪問頂きありがとうございます。
少しでもお楽しみ頂ければ幸いです。

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