【Daily Choppy !】第107回:記帳説明会と認知的不協和の話

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こんにちは。チョッピーです。

今回はお話したい内容が2つあるので2本立てにします。

記帳説明会に行ってきた話

現在のEgeneって法的にはチョッピーの個人事業という扱いになっています。(現在、株式会社設立のための準備中です)要は税務署に個人事業主としての登録を行い、事業をしている…という事ですね。

その手続きをしているからなのかどうかはわかりませんが、先日、税務署から「記帳説明会のお知らせ」みたいなタイトルの書類が自宅に送られてきました。内容は「記帳とはなにか、どうすればいいのか、を税務署の職員&税理士の方がレクチャーしてくれる無料のセミナーが開催されるので、そのお誘い」というモノでした。

「せっかくだから参加しとくか。無料だし」と思い「参加します」という旨を返信。すると数日後、開催場所等が記載された書類が郵送されてきました。税務署の隣の納税協会にて開催されるようです。

ちなみに僕、全然、知らなかったんですけど「納税協会」っていう公益社団法人があるんですね。こんなの独立しなかったら一生、知らなかっただろうな…。独立すると色々と「世の中ってそういう風に出来てるのね」という知識が得られるので面白いです。これを読まれている被雇用者の皆様も一度、自己責任で独立されてみてはいかがでしょうか?(悪魔の誘い)

前置きが長くなりましたが、というわけで、今日、「記帳説明会」に行ってきました。
内容はかなり興味深かったです。例えば「青色申告と白色申告の違い」とか「自宅を事業所として利用している場合は、その利用割合によって家賃や固定資産税を固定費に計上できる」とか初めて知る事も色々ありました。「へぇ~」って感じです。

ていうか、こういう情報って中学1年生くらいの時に全国民に教育すべきでは…?とか思わないでも無いです。そうすれば日本の起業家の数も増えていくのではないでしょうか。わかりませんけど。

ちなみにセミナー中に若干、疑問に感じた事があったのですが「売上が記帳されている以上に存在しないこと」ってどうやって証明するんでしょうね? 「経費が記帳されている通りに存在すること」はレシートや請求書という証拠をもって証明できる気がするのですが「売上」に関しては、その証拠書類を破棄した上で記帳をしなければ「これ以上の売上はありません」という主張を覆すのは難しくなってくるのでは…?

税金は基本的に「売上」から「経費」を差し引いた残りの額である「利益」に対して徴収される認識ですので「売上」が少なくなると課税額も減るハズ。という事は悪しき心の持ち主は「売上」を少なく記帳しようと画策してくるのでは…? 銀行口座等を利用していると税務署側でも調査可能なのかもしれませんが、例えば暗号資産や、現金の手渡しという形で取引相手から直接、売上が渡された場合は…?

…まぁ、この辺りを深く考えていくと税金の闇に触れてしまう気もするので、やめておきます。私は正しき心の持ち主なので弊社の売上を隠す気はまったくありませんし…。本当ですよ? いや、マジで。

次は12月3日に「決算説明会」という無料のセミナーが開催されるらしいので、そちらも申し込んでおきました。この感じだと決算に関しても色々と知らなかったことが知れそうなので楽しみです!

認知的不協和の解消を経験した話

認知的不協和という心理学上の用語があります。辞書的な意味は以下の通りです。

個体がある事柄について矛盾した,相反する認知もしくは知識をもっている状態をさす。一般にこのような認知的不協和にある個体では,不快や心的緊張が高まり,その結果この不一致を低減させるための行動を生じさせる傾向をもつとされる。 L.フェスティンガーにより提出された用語で,彼は主としてこの概念を基礎に種々の社会行動を理解しようとして,認知的不協和理論を提唱した。

認知的不協和|コトバンク

イソップ物語の「キツネとすっぱい葡萄」の話がこの状態を説明する逸話としては有名ですね。
この辺り、興味のある方は検索してみると色々なページがヒットしますので読んでみると面白いと思います。検索結果は「こちら

しかしイソップ物語の「キツネとすっぱい葡萄」の話ってニーチェの「ルサンチマン」を説明するときにも例として出されがちですし、人間の特性を上手に表現したお話なんでしょうね。キツネなのに。

閑話休題。認知的不協和の話に戻ります。

辞書的な意味の説明にも書いている通り「認知的不協和が生じている状態=認識と異なる現実が存在している状態」って人間にとって不快らしいんですね。それを解消するために人間は現実を変えるべく動いたり、自分の認識の方を変えたりするらしいのです。さらに、一般に「現実を変える」のはなかなか難しい場合が多いので、人間は認知の方を変えがちとの事です。「欲しい葡萄が手に入らない」という不快な状態を解消するために「そもそも葡萄は欲しくない」という風に認知を変えるわけですね。

面白いですよね。で、先日、僕、明らかにそれだと思われる自分の心の動きを体験したんですよ。ちょっと興味深い体験だったので、この場でシェアさせて頂きます。

先日、僕は千葉県館山市にボランティアに行きました。
ボランティア内容等は以下のタイトルが超絶長い記事に記載していますので、興味のある方はこちらをご覧ください。

上記の記事にも書いていますが、ボランティア先を館山市に決めた事に強い理由はありません。単純に「所用のついでに行ける場所」という条件に一番、合致していたのが館山市だったからです。

ボランティアから帰宅して数日後、自宅で以下のニュースを観ました。

千葉で記録的大雨 土砂崩れで4人死亡、1人不明
(リンク先の掲載期間が切れた場合は本文が読めなくなるかもしれません)

このニュースを観た時、僕はごく自然に「あら…心配だな」と思ったんですよ。
ちょっとビックリしましたね。僕は今まで千葉県には縁もゆかりもなかったのですが「ボランティアに行った」事により僕の中での千葉県の重要度が増していたのです。だからこそ、僕は千葉県に対する災害のニュースを観て心配になった。

これはおそらく「縁もゆかりもない地域に対して無償で労働力を提供した」という事に対して認知的不協和が働いており、それを解消するために「個人的に関心のある地域のために無償で労働力を提供した」という風に認知が変化した…という事なのだと思います。

これ、興味深いのは僕個人としては完全に無意識のままに、勝手にそうなっていた…という点だと思います。「認知的不協和による不快感」も「それを解消しようとする心の動き」も僕自身としては検知すら出来ていなかったのですが、僕の頭の中では、僕の意志とは関係なく、勝手にそれが発生していた。

いや、これは、なかなか興味深い事ですよ。
例として挙げているのが僕という1人の人間の実体験だけなので申し訳ないのですが、もしかすると「認知的不協和の解消」は本人の意思とは関係なく、完全に自動的に発動してしまう人間の心の動きだと言えるのかもしれません。これは、なんだか悪しき心の持ち主が活用すれば、無数の悪い事が出来てしまいそうな人間の特性だとも言えそうです。気を付けたいところですね。いや、気を付けたところでどうにも出来ないからこそ、恐ろしいのかもしれませんが…。

本日もふらとぴに訪問頂きありがとうございます。
少しでもお楽しみ頂ければ幸いです。

なんだか2本立てなのに、どちらも「悪しき心の持ち主」というワードが登場する不穏な話になってしまった…。

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