こんにちは。チョッピーです。
熱心な「Daily Choppy !」の愛読者(いるのか? いるならとても嬉しい)の方ならご存知だと思いますが、僕いつも「Daily Choppy !」の締めに同じ文章を使っています。以下ですね。
本日もふらとぴに訪問頂きありがとうございます。
少しでもお楽しみ頂ければ幸いです。
これ、もしかするとビジネスメールの文頭の「お疲れ様です」みたいに定型文と化している感があるかもしれませんが、僕個人としてはそういうつもりではなく毎回、本心から記載しています。ただ、今日、突然、思った事があって「少しでもお楽しみ頂ければ幸いです。」の部分は今日の記事から書くのを止めようかなぁ…と考えています。
というのも「楽しいかどうか」って完全に個人が主体的に感じるモノであって、それを、その人とは別の人間である僕が勝手に言葉に出して期待する事って、若干、暴力的かもしれない…と思ったからです。同調圧力的というか。
「Daily Choppy !」を全然、楽しめない人も、当然、いらっしゃると思いますし、そういう人に対して「あなたが楽しさを感じてくれれば幸いです」と伝えるのって、なんか、相手に若干の罪悪感すら感じさせてしまいそうですよね。ものすごく穿った見方をすれば「あなたが楽しめなかったのは僕自身に問題がある」というスタンスでは無く「あなたが楽しめなかったのはあなたの感性に問題がある」というスタンスで文章を書いている…という不遜感を言外に匂わせていると読み取れない事も無い気がする。
例えば料理を誰かに作ってもらったとして、それが残念ながら美味しくなかったとします。その場合に「美味しいでしょ?」という強い圧をかけられると多くの人は本心と異なる「美味しい」という言葉を暴力的に引き出される事になってしまうと思いますし「楽しんでくれると嬉しい」という控えめな表現を伝えられると多くの人は「スマン、楽しめない…」という罪悪感を感じてしまうのではないかと思います。いずれにせよ、あんまり好ましくない結果を残してしまう事になると思います。「Daily Choppy !」の文末の表現は、この例えで言うところの後者と同じ事をしてしまっているのではないかなぁ…と、今日、突然、思いました。
「少しでも楽しんで頂ければ幸い」と考えているのならば、別に、それをワザワザ言葉にする必要はないんですよね。「読者の方々が楽しんで頂けるであろうコンテンツ」を作って、提供すればいいだけなのですから。そこに相手の感情の変化を期待する様なおこがましいセリフをくっつける必要は無い。それは「楽しめなかった人」を無意識のうちに否定している事の表れなのではないかな、と僕は考えます。
本日もふらとぴに訪問頂きありがとうございます。
しかし100回以上に渡って自分が 【「楽しめなかった人」を無意識のうちに否定している 】という痕跡を「Daily Choppy !」上に残しているのって非常に恥ずかしい事ですね。まぁ、だからといって過去の文章に対して誤字修正以上の改変を加える事は僕はするつもりはありませんが。それは過去の自分の否定・拒絶ですからねー。