こんにちは。AI大好き、チョッピーです。
ChatGPT使ってみた!
先日の『Daily Choppy !』(第1290回)の最後にチラッと『気になっています』と書いた「ChatGPT」というAIサービスを利用してみた。これ ↓
こちらのサービスを簡単に説明…しようと思ったけど、せっかくなのでChatGPT自身に説明してもらおう。
要約すると「日本語でも使えるチャット形式のAIサービス」だと言っているのだと思う。
スゴいじゃん! これを使えばワザワザ Google で検索したりしなくても色々な情報を教えてくれたりするんじゃないの!?
うーん。どうだろうね。確かに色々教えてくれるんだけど…。
たとえばChatGPTの利用料金について尋ねてみたら…
上の画像のように普通にウソをつかれた。
確かにChatGPTはAPIを使うごとに料金が発生するのだが、『APIを使用しない場合、ChatGPTのサービスを利用することはできません』という事はない。
そもそも上の会話もOpenAIが提供しているChatGPTのウェブサービスを使っているし、それは(今のところ)無料で利用できる。
だから、(将来どうなるかは知らないが少なくとも今のところ)ChatGPTが教えてくれる情報の信頼性はかなり疑わしい。
じゃあ、ChatGPTって何の役に立つの…?
さぁ…。
暇つぶしとか…?
AIサービスを役立たせられるかどうかは使う人の知性次第なのかもしれませんね。
格差の要因
とまぁ、僕は(自分自身の知性が足りないがゆえに、おそらく不当に)ChatGPTに対しての評価が低い。
だから僕はイマイチその言説に対してリアリティを感じられないのだが、どうも一部界隈では今後はAIサービスを使いこなせる人と、使いこなせない人の間でドンドン格差が広がっていく…という説がまことしやかに囁かれているらしい。
うーん、本当かなぁ…。
確かに軍事や先端技術の分野においてはAIによる画像認識技術などは大いに役立つのだろうし、倉庫内作業などにおいてもAIを組み込んだロボットによって代替されるタスクは数多くあるのだと思う。
でも、それによって格差が広がるのかと言われると…よくわからない。
役割分担によって「機械が行う方が良い仕事」と「人間が行った方が良い仕事」に分かれるだけなのではないだろうか。
少なくとも「AIを使いこなせる人間はウハウハになれるけど、そうではない人間は永遠に社会の底辺で蠢くしかない」みたいな未来にはならないのではないかなぁ…なんて考えている。
そもそもAIサービスなんて少し勉強すれば誰でも使えるようになるし。それを開発するのは物凄く難しいのだろうけれど、そのユーザになるのは別に難しくない。
今昔物語
実際問題、ここ10年ほどでAIサービスは大きく進歩したのだと思う。
だから、それらの新しいサービスを使いこなせる人間だけが新しいチャンスを手に出来る…という主張もわからないではない。
新しいサービスにより構築される新しい社会の担い手。…響きが良い。
新しい社会かぁ…。
ただ、僕の子供の頃の生活と今のそれを振り返って比べてみると…そんなに劇的な変化があったとは思えない。
まぁ、大きな変化としてはインターネットの台頭はあると思う。
僕が子供の頃…具体的には今から30年程前の1992年頃にはインターネットはそこまで一般的な存在ではなかった。
インターネット利用がご家庭でも一般的になり始めたのは、おそらくきっと1995年のWindows95発売以降だろう。それ以降は確かにインターネットは生活に深く根付いているように思える。
だからインターネットと、それを利用するためのパソコンやスマホなどの媒体、それらの有無が30年前と現代の大きな違いのひとつだと言えるのかもしれない。
でも、ここ30年で大きく生活が変わったのって、本当にそれくらいじゃないかなぁ。
確かにワザワザ図書館や本屋に行かなくても情報収集は出来るようになったし、レンタルショップに行かなくても音楽や映像を楽しめるようにはなった。
でも、それだけだ。
相変わらず車は空を飛んでいないし、タイムマシンも出来上がっていない。そもそもインターネットが台頭したからと言って、それを使って楽しめるのは昔と同じく音楽や動画や文章などのコンテンツが主流だ。
やはり2112年にならないと劇的な生活の変化は望めないのかもしれない。
余分
…でもさぁ、インターネットの台頭によってSNSやらマッチングサービスやらは大いに発展したじゃん。それは生活の大きな変化だと言えるんじゃないの?
ん-…それはそうかもしれない。
ただ、僕自身はSNSがあった時代とそうではない時代で生活に大きな変化はない。
SNS…特にTwitterをヘビーユーズはしているが、そこにはネタや意見を呟いているだけなので、それによって何かが変わった事はほとんど無い。マッチングサービスに至っては全く利用していない。
基本的に僕は(知らない)人との交流をそんなに望んでいないのだ。僕が好きなのはひたすら一人で社会に向かってなにかしらを呟き続けること。それで、たまに「いいね」や「リツイート」で反応をもらえれば儲けもの。
だから、SNSやマッチングサービスは(知らない)人との交流を望んでいる人にとっては垂涎のサービスなのだろうけれど、(僕のように)そうではない人にとっては別に重要なモノではない。
要は生きていくための必須要素ではない。
SNSやマッチングサービスやAIに限らず、ここ30年の間に発明されたモノって、ほとんどがそうなんじゃないのかなぁ。
本日もふらとぴにお越し頂きありがとうございます。
僕の考え方は「失われた30年」の中で育った人間特有のモノなのかもしれませんね。