こんにちは。チョッピーです。
「演出」という言葉って、どことなくネガティブな雰囲気が漂っている気がします。その風潮は特に学校教育で顕著なのではないでしょうか。(僕の通っていた学校だけなのかもしれませんが。「質実剛健」が校訓の高校に通っていたりしたので)
「きらびやかに飾り立てる事により、本来の価値を水増しする行為」みたいな意味合いで使われるシーンもあるんじゃないのかな?と思ったりします。「本質が大事」などという言葉が使われる理由も「演出」に対する反論として使われているのでしょう。
辞書的な意味としては以下の様です。
効果をねらって物事の運営・進行に工夫をめぐらすこと。「結婚式の演出」「演出された首班交代劇」
演出|コトバンク
たぶんですが、ここの「効果をねらって」というところが嫌われる要素になってしまっているのではないでしょうか。確かに「実際には大した事の無いモノ」を「演習」によって「凄いモノ」であるかのように仕立て上げる手法は「実際に凄いモノを目指している人」からすれば許容しがたい態度の様に感じられるのも、むべなるかな…とは思います。
でも、そういう方には申し訳ないのですが、個人的には「演出」って人が幸せに生きるためには非常に大事なモノなんじゃないのかな…と考えています。
突然ですが「幸せ」や「楽しさ」を得るための条件って皆さんはどういうモノだと思われますか? パッと思いつくモノを列挙してみましょう。
- 美味しいモノを食べた時
- 寒い場所から暖かい場所に移った時
- 気心の知れた友人たちと遊んでいる時
- 仲の良い家族と一緒にいる時
- 歌を歌っている時
- スポーツをしている時
- 将棋を指している時
- ゲームをプレイしている時
- キレイな映像を観た時
- 旅行に行っている時
- Youtubeで面白い動画を観ている時
これらのシーンでは「幸せ」や「楽しさ」を感じられる人が多いのではないかと思います。他にも「幸せ」や「楽しさ」の起因となるキッカケは無数にあると思います。
ただ、これらの条件って全人類に共通の普遍的なモノでは無いですよね。
例えば僕は将棋のルールが良く分かっていないので「将棋を指している時」にはあまり楽しさを感じる事が出来ません。同様にゲームが嫌いな人にとっては「ゲームをプレイしている時」に楽しさを感じる事は出来ないのではないかと思います。
結局のところ「楽しさ」や「幸せ」を感じるための条件って「本人がそう思うこと」なんじゃないかと思うんですよね。これは「楽しさ」や「幸せ」みたいなポジティブな感情だけではなく「嫌い」や「苦手」や「怖い」などの他の感情も同じなんじゃないかと思います。
「そう思うこと」が「その感情になるために大事なこと」なのだとすると、人生における「演出」の重要性って相当なモノがある…と言えるのではないかと思います。
その「効果」によって人は何かを思う。何かを思う事により人はその感情を感じ取る事が出来る。
そう考えると「演出」を使いこなす事によって、ものすごく悪い事も出来てしまいそうな気はしますが、そういう風に「演出」を使うのは悲しすぎますよね。出来れば世の中の幸せの総量を上げるために「演出」を活用していきたいところです。
本日もふらとぴに訪問頂きありがとうございます。
「最近、クリスマスが近づいても街からクリスマス感をあんまり感じないよなー」というところから、本日の記事の着想を得ました。音楽とか光とかの演出って本当に大事だと思います。