山頭火さん、前日の大牟田市から二里(約8キロ)移動です。
万田という炭鉱町にいる友人を訪ねています。
霧、煙、埃をつきぬける
今日の句に詠まれている、霧、煙、埃。
この三つ。共通して、どれも視界を遮ります。
視界が遮られると、どんな精神状態になるかちょっと想像してみてください。
視界が遮られると、そりゃ不安になるだろうと、考えるのではないでしょうか。
しかし、実は、まず焦ります。
不安がる前に、いきなり焦るんです。
私は、この中でいうと、霧でほとんど視界がない、という経験があります。
オートバイでとある峠道を走っているときにはまり込みました。
霧の中に突っ込んだというような、感覚は全くなく、気づいたときには、いつの間にか周りは灰色一色です。
ただ焦りました。
道の通常走行ラインをちゃんと走れているのか、
対向車線にはみ出していないか、
逆に、路肩に寄りすぎてはいないか。
センターラインもガードレールも見えないなか、ただ焦るのです。
なら、止まればと思うのですが、いきなり止まると、後ろから追突されるのではと、ブレーキが握れません。
アクセルを戻して、スピードを落とそうとしているのに、スピードが落ちている感じがしません。
今思えば、ただの下り道だったんだろうという話なんですが、その時は、アクセルの調子が悪いのかと、焦りが増すばかりです。
こういう状況で、勇気はまず役に立ちません。
勇気は、前向きな決断力の話です。思考力が物をいいます。
思考のない勇気は、勇気と呼べません。
一か八かの、ギャンブルです。
この状況、前向き危険です。
では、度胸で乗り切るのか。
実はこれも役に立たないと思っています。
度胸は、精神力の問題だとされていて、受け入れる器の大きさの話です。
この状況、受け入れたところで、何も解決しないのです。
この状況、器の大きさ無関係です。
私の場合は、この時、たまたまヘルメットのシールドが曇っているのかも、なんか息苦しいかも、とシールドを開けました。
空気が肌に直接触れます。
その冷たさと、当たる強さで、スピード感を取り戻し、少し冷静になれてよかったと思っています。
バイクに乗っていると、ついもち出しがちな、勇気も度胸も使いませんでした。
少し冷静になったことで、相手から見えなくても、音ならこちらの存在に気づくかもと、ホーンを鳴らしながら走ることにしました。
ホーンを鳴らす事の効果は分かりませんが、視覚以外の感覚器官を使ったことで、余裕ができたのかもしれません。
山頭火さんのように、自分の足で歩き、肌でその空気に直接触れていてこその、つきぬける、だと思います。
乗り物に乗ったり、いろいろな道具を使って、生身の人間の能力を超えた状況にある時、自分のことを、あまり信用しない方がいいと、思っています。
視界が遮られているような時は、特にです。
さもないと、つきぬけるのではなく、何かに、突き当たったり、突き刺さったりします。多分。
いってみますか、そうですか。
つきぬけるはずですか、そうですか。
それ、ただの願望ではありませんか、ちがいますか。