こんにちは。一応、大学でメディア論の講義を履修済み、チョッピーです。
今回の記事について
今回はチョッピーが「メディアリテラシー」について色々と考えた内容についてのお話です。
コロナ禍だけどインターネットがあるから助かってる
昨日(1月13日)政府が緊急事態宣言の対象に新たに7つの府県を加えました。
緊急事態宣言の対象に栃木県、岐阜県、愛知県、京都府、大阪府、兵庫県及び福岡県の7つの府県を追加することを決定いたしました。期間は2月7日までであります。
令和3年1月13日 新型コロナウイルス感染症に関する菅内閣総理大臣記者会見 | 令和3年 | 総理の演説・記者会見など | ニュース | 首相官邸ホームページ
ここには僕が住んでいる大阪府も含まれます。それによりどの様な影響が生じるのでしょうか。
対策の内容は、前回と同じく、飲食店の夜8時までの時間短縮、テレワークによる出勤者数7割減、特に夜8時以降の不要不急の外出の自粛、スポーツ観戦・コンサートなどの入場制限、こうした4つの対策になります。
令和3年1月13日 新型コロナウイルス感染症に関する菅内閣総理大臣記者会見 | 令和3年 | 総理の演説・記者会見など | ニュース | 首相官邸ホームページ
なるほど。基本的には「外出するな」「人と直接触れ合うな」という方針だと考えて良さそうです。
なお、それを受けて大阪府が出した具体的な対策の内容はこちらのページに詳しいです。大阪府以外の対象地域にお住いの方も、ご自分の自治体のサイトを確認してみてはいかがでしょうか? 意外と色々な情報が載っていますよ。
外出を控えて人との直接の触れ合いを減らす。単純に考えるとコミュニケーションの総量が減ってしまいそうですね。ただ、情報技術の発達した現代社会においてはコミュニケーションの手段は色々とあります。SNS・チャットアプリ・ブログサイト…などなど。
もちろんこれらのコミュニケーション手法は「質」に関しては「直接、触れ合う」とは異なる部分もあります。ただ、少なくとも「量」に関しては緊急事態宣言下においても問題は発生しなさそうです。
本当にインターネットは最高だね! なお、デジタルディバイドに関しては今回の記事では取り扱いません。
メディアリテラシー
さて、インターネット上の様々なサービスのおかげで直接、触れ合わずともコミュニケーションが行えるようになった昨今。問題となるのはメディアリテラシーです。
メディアリテラシーとは
テレビ番組や新聞記事などメディアからのメッセージを主体的・批判的に読み解く能力。リテラシーというのは「読み書き能力」のことで、読む力と同時に書く力も含む。情報をうのみにせず、どんな意図で作られ、送りだされているかを自分の頭で判断する。そしてそれを通じて自ら情報発信する力を身につける。
メディアリテラシーとは|コトバンク
特にコロナ禍においては様々なデマが各種メディアを通じて拡散されやすい状況となっています。
第1波の時には「紙製品が無くなる」というデマを起因とした買い占めが起こりましたね。僕もトイレットペーパーが買えずに困りました。仕方ないので常にお風呂の水でお尻を洗っていました。ウソですけど。
WHOはその状況を指して「インフォデミック」と読んでいます。
インフォデミックとは
根拠のない情報が大量に拡散する状況をさす。情報を意味する「インフォメーション」と、一定の集団や地域での感染症の流行を意味する「エピデミック」を合わせた造語で、2019年末からの新型コロナウイルスの感染拡大に伴うデマの拡散を世界保健機関(WHO)がこのように呼称した。「トイレットペーパーが品薄になる」「特定の食品を食べれば防げる」などの虚偽の情報が国内外で出回っていることを受けて、WHOは「デマはウイルスよりも急速に拡散する」として、医学的に正しい情報を入手するように呼びかけている。
インフォデミックとは|コトバンク
「メディアを読み能力」は昨今、ますます重要となっていきそうですね。ただ、個人的には現代においては「書く能力」の方も同じく大事なのではないかと思っています。むしろ、その重要性はSNSなどの「個人が発信可能なメディア」の発展・普及に伴い、ますます上がっていくのではないでしょうか。
なお、上の発言は「読む能力の重要さ」を否定するものではないです。念のため。
「読む能力」の鍛え方は良く知られている気がするけど「書く能力」はそうでもない気がする
個人がSNSやブログ、はたまたYouTubeなどでマスに対して気軽に情報を発信できるようになったのは、ここ10年~20年くらいの話だと思います。
たとえばFacebookの創設日は2004年の2月4日。YouTubeの創設日は2005年2月15日です。
それまでは一般の方にとってメディアとは「一方的に情報を受け取るモノ」でした。それが今やメディアは一般の方にとっても「読み書きするモノ」となっています。
そのため「読む能力」に関してはそれなりにノウハウが蓄積されている気もします。具体的には以下の様な感じでしょうか。
- 同じテーマを扱っている複数のメディアの情報を参照する
- エビデンスの有無を確認する
- 常に批判的に情報に接する
少し調べてみたところ総務相のウェブサイトにも「放送分野におけるメディアリテラシー」というページもありました。
でも、やっぱりこのページにも「書き方」に関しては言及がないですね
そう、やっぱり「一般の方にとっての書く能力を鍛えるノウハウ」って、まだ、あんまり開発されていないと思うんですよね。その必要性が出てきてからの歴史がそもそも浅いからだと思うのですが。
書く場合は「距離感」が大事な気がする
個人的には「読む」と「書く」には大きな違いがあると思っています。
「読む場合」はコミュニケーションの主導権を自分が握る事が出来ます。それに賛同するのも反対するのも無視するのも「読む者」の自由です。つまり「書いた者とコミュニケーションをするか否か」を「読む者」が決める事が出来ます。
「書く場合」はその時点で他者とのコミュニケーションが始まります。SNSやブログでは不特定多数に対してのコミュニケーション。閉じたメッセージアプリなどでは特定の方々とのコミュニケーション。
つまり「読む場合」は「情報の消費者」としてのスタンスを取る事も可能なのですが、「書く場合」はそうはいきません。必ず「コミュニケーションの起点」としての役割を求められます。その後、コミュニケーションが成立するか否かはさておき。
「書く者」としての成功は「読み手との望ましいコミュニケーションが成立すること」だと言えるのかもしれません。異論は認める。
そうなると「書く能力」を伸ばすためには、まず最初に「人とのコミュニケーションの取り方」を学ぶのが良いのかもしれません。人とのコミュニケーションに大事なのは、なんと言っても距離感!
親密な方となら盛り上がる事が間違いのない話題でも、疎遠な方とはそうではないかもしれません。たとえば皆さん、学校や会社で初めて会った人がこんな会話を繰り広げてきたらどう思いますか?
初めまして。僕の性癖は窒息プレイなんですけど、あなたは?
そこが怪しい秘密クラブみたいな場所なのであればともかく、これは学校や会社で初めてあった人と話す内容としては明らかに不適切です。僕ならこの人と親しくはなりたくない。
ちなみに僕は別に窒息プレイに対してなにかしらの思い入れがあるわけではありません。それを好む人を否定するつもりは全くありませんが、僕自身としては特に興味がない。
これは極論ですが、SNSなどでは往々にして目にする事が出来るタイプの発言でもあります。何かを発信する前に「それは不特定多数に対して語りかけるのに適切な話題か否か?」をいったん、考えてみるのは大事なことかもしれません。
本日の締め
今回はチョッピーが「メディアリテラシー」について色々と考えた内容についてのお話を書いてみました。
僕もメディア運営者の端くれとして「何を書くべきか」に関しては日々、色々と考えています。「何を書かないべきか」に関しても同様です。最近はむしろ「何を書かないべきか」の方が大事なのではないかと考えています。
「親しき中にも礼儀あり」と言います。「書く事」がコミュニケーションの一種であるのならば、やはり「思っているけど言うべきではないこと」って、それと同じく「書くべきではない」という結論になる気がするんですよね。
本日もふらとぴにお越し頂きありがとうございます。
もちろん「誰も言わないから俺が言う」が絶大な効果を発揮するケースもあるとは思います。