こんにちは。常に「価値」を重視しています、チョッピーです。
行けたら行く
本記事掲載日前日(12月3日)、梅田蔦屋書店で開催された【「会話の悩み、会うて話さへん?」 田中泰延 × 今野良介『会って、話すこと。』発刊記念トークイベント」】というイベントに参加した。
こちらのイベントは田中泰延さんの新著『会って、話す事。』の発刊を記念して開催されており、著者の田中泰延さんと編集者(田中泰延さん曰く共著者)の今野良介さんのトークを中心に、参加者の「会話の悩み」に登壇者のお二人が回答していく…という内容だった。
イベントのタイトルそのまんまの内容だね。ワザワザ説明しなくても良かったのでは?
そうかもしれない。
それはさておき、上のイベントの登壇者のお一人の田中泰延さんは実は本サイト『ふらとぴ』のコンテンツにも関わって頂いている。
本サイト『ふらとぴ』で昨年末に掲載した超大型企画『田中泰延&チョッピーの「面白い話をしよう」』(通称ひろチョピ)↓にて僕ことチョッピーと対談をして頂いた…というご縁があるのだ。
さらに言えば、ぢーこさんとPicturize labさんがふらとぴクリエイターに就任して頂けたのも『ひろチョピ』がキッカケなのである。
というわけで僕は泰延さんに多大なる恩義を感じている。
そんな彼が登壇するイベントが僕が今住んでいる大阪で開催されるというのだから、そりゃあ、行けたら行くに決まっている。
観客ではあり続けられない
イベントからの帰宅中、僕は電車に揺られながら身の程知らずな思案を巡らせていた。
今日は自分が恩義を感じている方のトークイベントに客として参加したが、いつまでもこのままではいけない…。自分が登壇者として呼ばれてなにかしらを語れるくらいの人物にならなければ…。
そう、僕は様々なコンテンツを楽しみながら、働くことに困難を抱えた人の自立を応援する事が出来るウェブサイト『ふらとぴ』の運営者であり、その運営会社である株式会社Egeneの代表取締役である。
そして、今の僕は本サイト『ふらとぴ』の主目的である「障害福祉施設利用者の工賃向上」を実現するためには「金と知名度」が必要だと考えている。
そんな立場の人間が、いつまでも「トークイベントの客」の様な立場に甘んじているのは望ましくない。可能な限り早めに「登壇者として呼ばれる立場」になるべきだ。
そうすれば「金と知名度」の両方を得られ、それは結果として『ふらとぴ』の目的達成の要因となるだろう。
とにかく社会的価値だ。
僕と『ふらとぴ』の社会的価値を高めなければ、僕が登壇者としてイベントに呼ばれることはない。イベントに呼ばれなければ社会的価値を高めるための手段をひとつ失う。社会的価値が高まらなければ『ふらとぴ』の主目的の達成にも近づけない。
この「社会的価値」と「登壇依頼」や「ふらとぴの主目的の達成」の関係は完全に「鳥が先か卵か先か問題」であるように僕には思えます。
う~ん、悩ましい。
知らんけど
最近、僕はこの様に常に自分の社会的価値の低さをどうにかしなければならない…と考えている。
とはいえ、これを実現するのは至難の業だ。
社会的価値を上げるためにはどうすればよいのだろう。
王道的な戦略は「実力を磨き、価値あるアウトプットを外部に提供する」だと思う。ただ、それをコンスタントに実現し続けたところで社会的価値が高まるとは限らない。
社会的価値を高めるためには、社会から、その価値を認められなければならない。いくら高い実力をベースに価値のあるアウトプットを作り続けていたところで、社会がそれを認めなければ社会的価値は高まらないのだ。
偉大な画家のゴッホですら、生前の評価はパッとしなかったのは有名な話ですね。
そもそも、今の僕にはその様な高い実力もない。それはふらとぴクリエイターとしてもそうだし、営業担当としてもそうだし、サイト運営者としても、経営者としてもそうだ。
コツコツと実力を付けつつ、なにかのタイミングでチャンスが舞い込む事を待ち続けるしかないのかもしれない。
まずは自分から
そんな事を考えながら記事を書いたり筋トレをしていたりしたところ、妻から
頑張ってて偉いねぇ
という言葉をかけてもらった。
別に…。キミも普段から仕事も運動もしてるし同じじゃない?
自分がやってる事はあんまりスゴいと思わないけど、他の人がやってるとスゴいと思うよね。
なるほど。確かに。
他人が頑張っている場合には簡単に褒めたり心配したりするのに、自分が同じことをしても、それを褒めたりはしない事が多い。達成したい事があるのだから、そのくらいの努力は当然だと思っている。
ただ、もしかすると、もっと自分を褒めても良いかもしれない。
どうせ社会的価値の低い大多数の人間は、ごく限られた親密な関係の人間からしか褒められないのだ。であれば、自分自身を「自分を褒めてくれる人」に新たに加えても罰はあたるまい。
社会的価値は、社会を構成する多くの人が価値を認めたモノに発生する。自分自身も社会を構成する一人である。
自分自身の社会的価値を認める最初の一人には、自分自身がなるべきなのかもしれない。
本日もふらとぴにお越し頂きありがとうございます。
ちなみにですが、僕は「社会的価値の低い人間は、その人自身の人間としての価値も低い」などとは言っておりませんので、誤解なきようにお願い致します。人としての価値は誰しも生まれながらに備わっており、それに多寡はありません。