こんにちは。中島みゆきの『時代』が好き、チョッピーです。
敵はいつもあなたのそばに
「男は敷居を跨げば七人の敵あり」らしい。
いきなり性差別的な主張、来たな。
いや、違う。
この発言は僕の差別心の表れではない。
これはことわざである。
その意味するところは
男が社会に出ると多くの敵があり、また、どんな敵が現れるかわからないの意で、広く世間に出て働く男の心構えをいったもの。
男は敷居を跨げば七人の敵ありとは|コトバンク
だ。
やっぱり性差別的な内容では?
それは確かにそう思う。
現在は(実態はさておき)男女共同参画の時代だ。
『広く世間に出て働く』のは男だけに限った話では無い。
「男は敷居を跨げば七人の敵あり」を現代風にアレンジすると「人は敷居を跨げば七人の敵あり」となるのかもしれない。
芸人はとにかくデカい声を出せ!
本記事掲載日は1月27日。
信じられない事に2022年になってから早くも一ヶ月が過ぎ去ろうとしている。
…え、ちょっとホントに信じられないな。何かがおかしくない?
…今回の年末年始は諸事情により長めに実家に滞在していたため、いつもより1月を短く感じているのかもしれない。
具体的には今回の年末年始、チョッピーは1月11日まで実家に滞在していました。
実家にいる間は適当にテレビを流しながら作業をしていた。
年末年始のテレビ番組にはお笑い特番が多い。その中には普段はあまりメディアに露出する機会のない若手芸人が多く登場するモノもあった。
若手芸人のネタ・キャラクターは総じて暴力的だったり、声が異様に大きかったりと、今の時代においては「かなり尖っている」と言わざるを得ないモノも多くあった。
それを観ていてあらためて感じたのだが…僕はお笑いに関しては「暴力的なネタ」や「とにかく異様にデカい声」や「とてつもなく下らない下ネタ」などの、今の時代においてはあまり好まれないタイプの笑いが好きだ。
これらのお笑いセンス、「尖っている」というよりも「昔のお笑いっぽい」と表現した方が正確なのかもしれません。
古いお笑い
そこで、少し自分の嗜好について考えてみた。
なぜ僕は「暴力的なネタ」や「とにかく異様にデカい声」や「とてつもなく下らない下ネタ」などのお笑いが好きなのだろうか?
結論はすぐに出た。
結局のところ、僕は「自分が小学生~高校生の頃に多く触れていたお笑いのセンスが好きなだけ」なのだろう。
具体的には往年のダウンタウンの暴力性や、内村プロデュース、あるいは『ぷっ』すまなどの番組のセンスが好きなのです。若い方にはわからないお話でスミマセン。
本物など無い
現在はぺこぱに代表されるように「誰も傷つけない笑い」が主流だ。
「誰も傷つけない笑い」、とても良いと思う。
少なくとも「暴力的な笑い」よりかは遥かに良識的だ。
おそらく今の時代の小学生・中学生・高校生が大人になる頃には「誰も傷つけない笑い」をベースにした新しい笑いが登場しているのだろう。
その頃、僕がまだ生きているのかはわからないが、もし仮に存命であれば、きっと「今の笑いも面白いけど、本当に面白いのは暴力的だったりデカい声だったり下らない下ネタだったりの方向性だよな」と思っているのではないかと思う。
だが、実際のところは別に僕が「本物の笑いのセンスを知っている」というわけでも、後世の方が「本物の笑いのセンスを知っていない」というわけでもない。
結局、人は「多感な時期に触れた笑いのセンスを、その後も持ち続ける」というだけの話なのだろう。
そこに優れているも劣っているもない。
あるのは時代に沿っているか、沿っていないかだけだ。
時代が変われば感性も変わる。
敵を知り己を知れば百戦危うからず。もし、戦いに勝ちたいのであれば、自分に影響を及ぼした時代の感性と共に、敵に影響を及ぼした時代の感性も学び続ける必要があるのかもしれない。
仮に「男は敷居を跨げば七人の敵あり」のような、過去の感性で作られた言葉をいつまでも使い続けてしまっていると、どうなるか。
もしかすると、新しい時代の敵に、簡単に倒されてしまうのかもしれない。
本日もふらとぴにお越し頂きありがとうございます。
「センスが悪い」のではなくて「時代が違う」のでしょうね。お笑いに限らず、全てに適応できる考え方の様な気がします。