こんにちは。知識大好き、チョッピーです。
みんな気にしている話題
ダイエットの話をしよう。
だって、ダイエットは全ての日本人にとって関心の高い話題だろう?
何故ならば日本人はルッキズムに支配されている愚かな民族であるからだ。
余計なこと言うな!
失礼。
しかしながら、一番、それに支配されているのは何を隠そう僕なのだ。
なんと言っても、僕はもう3年以上もダイエットを続けている。
それはすでにダイエットではなく、ただの生活なのでは…?
かもしれない。
ただ、僕には目標があって…それはズバリ60kg。
何故ならば大学時代の体重がそれだからだ。
ちなみに今の体重は75kg。
なかなか遠い目標だな…。
そうなんだよね。
前職を退職してからの3年半くらいだけでも65kg~82kgあたりをウロウロし続けていて、目標体重の60kgには一度も到達していない。
つまりダイエットが一度も成功していない…と。
そう。
なのでダイエットが超長期化して、すでに生活そのものがダイエット…みたいになっているのだ。
過去を振り返る
しかし、大学時代に60kgだった体重が、どうしてこんなことになってしまっているのだろう。
疑問形で書いてはみたが、実は原因はハッキリしている。
前職在籍中の11年間にひたすら不摂生な生活をしていたからだ。
大学時代は週に3回ジムで10kgほど走っていたし、残りの4日はビリーズブートキャンプ(懐かしい!)に勤しんでいた。さらに食事も節制していた。
一方、前職在籍中の11年間はとにかく寝てないし、ひたすら食べていたし、運動も全くしていなかった。
しかも前職在籍中に2年程、働きながら大学院に通っていた時期もあって、その時は輪をかけて寝ていなかった。
なので、当然、体重も常に右肩上がりだった。
退職時が最大体重で82kgでしたね。たしか。
得たモノ
と、そんな風に健康を犠牲にして働いたり学んだりしていたわけだが、はたして、それに見合うだけの対価は得られていたのだろうか?
この辺りを深く考えだすと、色々とよろしくない方向に進んでいくのでサクッと答えを出そう。
まぁ、もちろんあったんじゃないのかな?
特に大学院においては色々と参考になる考え方が得られたような気がしないでもない。
そのうちのひとつに「参照点依存性」というモノがある。
これは非常にザックリと説明すると
人は絶対的な基準を持っておらず、最初に確認した値を基準に物事を判断してしまう
という認知バイアスのひとつだ。
これを悪用したマーケティングには「定価1000円の商品を、”定価10000円 今だけ9割引き1000円!”と偽って売る」などがある。
このような商法にダマされなくなったのは、まぁ、良かったのかなぁ…と思う。
喜び
多大な犠牲を払いながら身に付けた考え方なのだから、なにか他の事にも転用して人生を素晴らしいモノにしたい。
…。
そうだね。
僕はダイエットに一度も成功していない…と言ったが、これもまぁ、捉えようによっては「参照点依存性にとらわれている」と言えなくもない。
つまり大学時代の体重が僕にとっての参照点になってしまっているのだ。
だから、それをズラせばいいのだ。たとえば最大体重の82kgを参照点にすれば。
今は75kgなワケだから…。
なんと7kgものダイエットに成功しているのだ!
やったぁ! やったぁ!
やったぁあああああ!!!!
これで喜べるなら幸せな人生だと思うわ。
うるせぇ!
このルッキズムの権化が!
本日もふらとぴにお越し頂きありがとうございます。
あと15kg痩せないといけないのか…。