こんにちは。横道それ夫です。
今回は『ソードアート・オンライン フェイタル・バレット』を遊んだときに感じた、僕のゲームに対するスタンスみたいなものに関するお話です。なお、作品の内容には一切言及しておりません。
「強くてニューゲーム」ってあるよね
「強くてニューゲーム」。
ざっくり言うと「クリア時の状態(キャラクターのレベルとか装備とか)を引き継いだまま物語を初めから楽しめるゲームシステム」のことである。
高いレベルとステータス、優秀な武器防具を備えた状態でゲームが再スタートするので、それはもうサクサク進む。初プレイ時に辛酸を舐めさせられた強敵を赤子の手を捻るように倒せる。
僕がこの言葉を初めて聞いたのは、スーパーファミコンで発売された名作『クロノトリガー』だったと思う。
『クロノトリガー』は、物語の進め方によっていくつかの異なる結末を迎えることができる仕様があったので複数回クリアすることはザラだった。
どうしても同じ場面、同じ戦闘を繰り返す必要があったので、ゲームの進行をスムーズにするこのシステムは本当によくできたものだったと思う。
以来、僕は「強くてニューゲーム」に準じたシステムを搭載したゲームにたくさん巡り合った。
それを活用して何周も遊んだ作品も多い。
つい先日、積みゲーしていた『ソードアート・オンライン フェイタル・バレット』をクリアした。
詳細は省くけれども、システムややり込み要素的には「強くてニューゲーム」からが本番、みたいな面が強い作品だ。なので、僕も一度目のクリアの余韻も冷めぬ中、意気揚々と2周目に突入した。
冒頭で、やめた。
「強くてニューゲーム」で遊べない
例に挙げた作品は『クロノトリガー』と違って、2周目だからと言ってサクサク進むわけではない。2周目以降に遊べる「高難易度モード」みたいなものがあるからだ。
なので「簡単すぎてつまらない」というのとは違う。
これは僕の中に、ある妙なこだわりが蘇ってきたせいだと思う。
幼少期、僕は「ごっこ遊び」が好きだった。〇〇レンジャーの武器を振り回し、ロボットを並べて劇中の合体シーンを再現し、敵役のときもバッチリ役作りをしていた。
とにかく僕は「ちゃんと」したかった。
- 変身の途中で怪人が攻撃しちゃダメ(今はそういう展開もチラホラあるが)
- 戦いはじめていきなり必殺技撃っちゃダメ(今はそういう展開もチラホラあるが)
- 仮面ライダーが阿波弁で喋っちゃダメ
などなど。当時付き合ってくれた友人には、いろいろと細かい注文をつけて申し訳なかったなぁと思う。でも、そこまでしてでも、自分が好きな物語の世界観や雰囲気を大事にしたかったのだ。
そこから数十年。さすがにリアルで変身ベルトを巻いてポーズを再現するには羞恥心が勝り過ぎるし、そもそも自分のシルエットがヒーローのそれじゃない。自ら世界観を壊しにいく必要はない。
大人になった僕は、その代替をゲームに求めていた。ゲームのなかで「ごっこ遊び」を楽しんでいる。
「強くてニューゲーム」は、そこに必然性(タイムリープものであるとか)がない限り、どうしても物語の展開や雰囲気に矛盾を生じさせる。
敵味方限らず強すぎるキャラクターや充実しすぎたアイテムの数々は、僕の「ごっこ遊びイズム」を大きく逸脱する。雰囲気というか、風情というか…そう、ロマンがない。
やっぱり今でも僕は「ちゃんと」したい。
このこだわりを持つ限り、この作品を「強くてニューゲーム」では遊べない。
「ごっこ遊び」よ、永遠に
結局、引き継ぎせずに普通のニューゲームで始めた。
セーブデータで共有する熟練度みたいなものもあるので、セーブデータも全部消して始めた。
これでは最強キャラの育成や高難易度モードのクリアは叶わないだろうと思う。
でも、今の僕にはこれでいい。
序盤は金策に奔走し、強敵に苦戦する。武器の強化は中盤くらいまでお預けだ。
それでこそ物語にロマンが生まれる。それでこそ「ごっこ遊び」が成立する。
ごっこ遊びよ、永遠に。
今日もふらとぴにお越しいただきありがとうございます。ではまた!
『フェイタル・バレット』、面白いね!