今日の山頭火さんは、其中庵のある小郡から、汽車で徳山の知人を訪ねています。
雪ふれば雪を観てゐる私です
この冬、私の住んでいる関西でも、雪が降るのを多く見ました。
山頭火さんのように、雪を観る。というほど見ていたわけではありませんが、それでも、窓の外を眺めている時間が、いつもの冬より長いと思います。
私も、ずいぶん昔に、一晩中、雪を観ていたことがあったのを、思い出しました。
忘れていた事を思い出すと、だいたい、ろくなことがないのですが…
夜中に目が覚めると、窓の外は雪。
吹雪くというわけでもなく、粉雪が舞うというのでもなく、取り立てて気になる降り方ではありません。
ただ、目に映る、雪の大きさやその量、降ってくる速さ、
それらがひとつになり、一定のリズムを刻んでいるようでした。
そこに、自分のリズムが、偶然ぴったり重なりあったのかもしれません。
時間が意識から切り離されたように、一晩中、あきもせず、雪が降るのを観ていました。
雪の降る音などありませんから、唯一の音は、隣から聞こえる小さな寝息だけ。
それを、聴きながら、雪を観ていました。
ほら、こんな事思い出しても、ろくなことがない。
さらに、小さな寝息と違いました、小さな鼾でした。
ちょっと、いい感じに書こうとしました。すみません。
そもそも、その鼾で目が覚めたんです。
外は雪ですか。そうですか。
時間を忘れますか。そうですか。
砂時計の砂の代わりに、雪を詰めてひっくり返す。
雪時計が時を刻み始めると、時間は溶けていくそうですよ。