山頭火さん、三重県伊勢を旅しているようです。
山ふところの山さくら花ざかり
山頭火さんのいる伊勢では、この時まだ桜咲いていたんでしょうかね。
現在、私の住むあたりは、桜、ほとんど終わっております。
桜前線は今頃、青森あたりを北上中でしょうか。
私の実家のある街、私が子どもの頃過ごした所には、さくら名所100選に選ばれた場所があります。
子どもの頃を振り返って、春の記憶といえば、間違いなく桜です。
桜が咲きだすと、普段静かな場所に、大勢の花見客がやって来るようになります。
いろいろな屋台も出てにぎやかです。
そうなると、近所の子どもたちは、みんなソワソワしだして、どうにも、じっとしていられません。
学校から帰ると、親や祖父母に、お小遣いをねだって、屋台へ向かいます。
街全体が華やいだ気分につつまれ、お祭りのようです。
私も、もちろんそんな子どもの一人で、普段のお小遣いとは別にもらう、特別な小遣いを握りしめて出かけます。
なにをしようか。
金魚すくいか、ヨーヨー釣りか。
金魚をすくえたら、連れて帰って家で飼えるのか。
なにかを食べるなら、綿菓子なのか、りんご飴なのか、焼きとうもろこしも捨てがたい。
それとも、キャラクターのお面を手に入れて、ヒーローになりきってのごっこ遊びか。
派手な見た目や、匂いに惑わされながら、屋台の列を、のぞき込みながら考えます。
特別なお小遣いといっても、沢山もらえるわけではありませんから、みんな、子どもなりに驚くほど真剣です。
その真剣さを他のことに使えと、あの頃の私に言ってやりたいです。
宿題も真剣にしなさい。
後々、大変だから。
懐かしい、桜の季節の記憶ですが、いつの頃からか、屋台などはすっかり姿を消しました。
何かの規制でも厳しくなったんでしょうかね。
人出も今は、昔ほど多くない感じです。
屋台が無くなって、人出が減ったのか、人出が減ったから、屋台がなくなったのか…。
それでも、天気の良い日に、お弁当を広げる人たちや、親子連れ、犬と散歩する人など、みんな笑顔なのは昔も今も同じです。
亡き父は、晩年になると、この近所の桜を見て、「あと何回、見れるだろうな」と言っていました。
屋台があったり、酒盛りする人たちがいたり、ごたごたしつつも、にぎやかな、そんな花見の頃を、自分と重ねて、思い出していたのでしょうかね。
気づけば、いつのまにか自分も同じことを、桜を見て、つぶやくようになっています。
散りましたか、そうですか。
淋しい散り際でしたか、ちがいますか。
天晴でしたか、そうですか。