【Daily Choppy !】第663回:地元で就職した人は実家で暮らすべきか?

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こんにちは。地元で就職していません、チョッピーです。

地元で就職した人は実家で暮らすべきか?
地元で就職した人は実家で暮らすべきか?

成功

いきなりぶしつけな質問で恐縮なのだが、本記事をお読み頂いている読者の皆様は今、自分の事を「成功している」と感じていらっしゃるだろうか?

もちろん一口に「成功」と言っても、何を「成功」と捉えるのかは人それぞれ違うだろう。

たとえば「大金持ちになったら成功」だと思う人もいるだろうし「地位を得たら成功」だと思う人もいるかもしれない。はたまた「モテモテになったら成功」とか「YouTuber として生計を立てられる様になったら成功」とか「金メダルを獲得出来たら成功」とか「猫と暮らせれば成功」とか「トンカツをいつでも食えるようになったら成功」なんて場合もあるかもしれない。

人に訊いておきながら自分の事を語らないのは失礼なので、僕の話もしてみよう。

今の僕は「ふらとぴ事業のビジネスモデルを完成させるべく人事を尽くせられたら成功」だと考えている。

「ふらとぴ」のビジネスモデル
「ふらとぴ」のビジネスモデル

今はこの「成功」のために営業戦略を練っている段階である。

チョッピー
チョッピー

ずっと「営業戦略を練ってる」って言ってない?

言ってる。本連載『Daily Choppy !』の熱心な読者の皆様…いわゆるチョッピストの方は食傷気味になっているかもしれないくらい言ってる。

チョッピー
チョッピー

サボってんの?

サボっているわけではない。ちょっと想定以上に時間がかかっているだけだ。でも、そろそろ動き出せると思う。営業時に活用する予定の資料もとりあえず出来上がったので。

チョッピー
チョッピー

ふ~ん…。なーんか嘘くさいけど、まぁ「成功」のために頑張ってね

はい。

目指せ月収3000万円?

僕にとっての「成功」を少し語ってみた。僕は上で書いた通り「成功」するために活動中だ。

これは世間一般的にも珍しい動機ではないように思われる。その内容は人それぞれ千差万別かもしれないが「成功したい」とか「成功するために頑張る」と言った気持ちは多くの人に共通するモノなのではないかと思う。

何故ならば世間には「成功するためのノウハウ」が溢れているからだ。

本屋でもインターネット上でも、とかく「成功」という言葉を見かける機会は多い。自己啓発本とか投資の本とかオンラインサロンとかライフハックとかノウハウとか…色々なジャンルの情報に「成功」という言葉が付いて回る。

極めて下品なヤツになると「月収○○万円!」と札束で頬を張るかのような煽り文句と共に「成功」を語っているモノすらある。

チョッピー
チョッピー

具体的な実例は挙げませんが。それは流石に色々と角が立つので。

まぁ、動機や内容はさておき「成功を目指して動く」のは結構な事である。「出来るだけ多くのお金を得る」を「成功の条件」としている人も多いのだろう。だからこそ「札束頬張り系」の情報も飛び交う。

チョッピー
チョッピー

資本主義社会ですからね。

そうですね。

お金は大事だよ

確かに現在は多くの国で資本主義が採用されている。そのため社会一般の価値観として「多くの金銭を稼ぐ=成功」とされがちなのも不思議ではない。

確かに基本的にお金はたくさんあればあるほど、良い。それは疑いようがない。僕もお金は大好きである。ぐへへ。

というか、本サイト『ふらとぴ』も、そのキャッチコピーである「Make everyone happy !!」を実現するための手段のひとつとして「障害福祉施設の利用者の方の手取りを増やす」という極めて生々しい手段を採用している。そのくらい僕はお金のことを「大切なモノ」だと感じている。

チョッピー
チョッピー

『ふらとぴ』の目的とか、その実現手段とかの詳細は今回の記事の内容とズレるので割愛します。気になる方は「こちらのページ」などをお読み頂けると助かります。

ただ、だからと言って全ての人に「多くの金銭を稼げば成功」が適応できるとは限らない。また、仮に「多くの金銭を稼げば成功」に共感する人であっても「そのための方法論」として自己啓発本やオンラインサロンや情報商材でうたわれているモノを採用するのが良いとも限らない。

もし、満足した人生を送りたいのであれば、喧伝されている成功の定義や、そのための方法論が、自分の道徳心・倫理観・信念などと衝突しないかどうかを確認した方が良い…と僕は思う。

非合理だが正しい選択はあり得る

僕の偏見かもしれないが、「合理的に考えて正しい選択」は「正義」だと扱われがちな気がする。

さらに「合理的に考えて正しい選択」は大抵の場合、論理的思考や知識などのツールがあれば、ある程度の確からしさで導き出せる。たぶん。

具体的には経営学や経済学や行動経済学などの知識を活用すれば「合理的に考えて正しい選択」は導き出せるケースが多いと思う。

ただ、その方法で導き出した結論が「全人類にとって間違いのない選択」であるとは限らない。人によっては「合理的な選択」が「道徳的・倫理的・信念に照らし合わせて許容できない選択」になる場合もあるだろう。

たとえば「地元企業に就職しており、かつ、結婚していない人」にとっては「実家で暮らす」が合理的な選択と言えるのかもしれない。だからと言ってその人が「実家で暮らすべき」かどうかはわからない。

その人の道徳観として「人は就職したら実家を出るべきだ」という考えがある場合は、当然、実家を出るべきだろう。

それは合理的な判断ではないのかもしれないが、その人の道徳観と照らし合わせれば「成功のために必要な選択」だと言えるはずだ。何故ならば、その人は「人は就職したら実家を出るべきだ」という道徳観を持っているからだ。循環論法的ではあるが。

「それは合理的ではない」という批判は、なんとなく正しいように思える。だが、仮に合理的な選択ではないとしても社会や個人の選択として正しい場合はあり得る。

「合理的な選択」にどうしても納得できない場合、もしかするとそれは自分の道徳観・倫理観・信念などに反しているのかもしれない。

そんな場合には、「なぜ自分はその選択に反発を覚えるのか」をじっくりと考えてみると、もしかすると「自分が取るべき選択と、その理由」がハッキリとするかもしれない。

本日の締め

今回は僕の「道徳観・倫理観・信念を合理性よりも優先すべき」という考えについてのお話を書いてみました。

合理性に反する選択は「金銭的に得するかどうか」という観点からは誤った結果を招く場合が多いかもしれません。でも、「道徳観・倫理観・信念に反する形で獲得した金銭」により得られる満足感は、「道徳観・倫理観・信念に従った結果、得られた生活」により得られる満足感と比べてどちらが高いのでしょうか? これは、一考の価値がある問いではないかと思います。

本日もふらとぴにお越し頂きありがとうございます。

自分の道徳観や倫理観や信念って、キチンと考えないと意外と言語化は難しいですよね。

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