【Daily Choppy !】第696回:右から左に聞き流せ

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こんにちは。雑なクセに神経質、チョッピーです。

右から左に聞き流せ
右から左に聞き流せ

ピリ辛はお好きですか?

本連載『Daily Choppy !』の記事を書くにあたって、僕は基本的にマイルドな表現で、そこまで過激ではない意見を述べるように心がけている。

その理由にはもちろん「炎上する可能性を低くする」という打算的な考えも含まれているが、それ以上に「毎日更新のコンテンツに過激な意見がたくさん載っていると、読むのに疲れて胸焼けしてしまう」という気持ちがあるからだ。

ただ、たまには思想の強めな記事があった方がスパイスになっていいかもしれない。

そんなわけで、今回は僕の偏見が強めに含まれる記事を書いてみたいと思う。

題材は「雑な表現に振り回されるな」だ。うーん、挑戦的。

いつもよりも少しピリ辛な『Daily Choppy !』を楽しんで頂ければと思う。

チョッピー
チョッピー

とか言っといて全然、普通の意見だったらスミマセン

2大巨頭

さて、僕が言うところの「雑な表現」とは具体的に何を指すのだろうか。

まぁ、正直、色々とあるのだが、僕が特に気になっているのは「人間力」と「地頭(じあたま)」の2つだ。

この2つ、最近は下火になってきた感があるが、一時期はやたらと使われていたイメージがある。

チョッピー
チョッピー

あくまでイメージ。具体的な数値とかはありません。

特に就活関連の話題で使われるケースが多いようにも思う。

たとえば「わが社は人間力の高い人材を求めている」とか「就活では地頭の良さを見られる!」とかだ。

「人間力の高さ」や「地頭の良さ」。なんとなく言わんとしている事はわかるような気はしないでもないが、とても具体性に欠ける言葉だと思う。

一体、何を指して「人間力」だの「地頭」だのと言っているのだろう、と思う。

Like a 綿菓子

とはいえ、一応、「人間力」という言葉に関しては、その具体的な内容について参考となる報告書がないわけではない。内閣府が2003年(平成15年)4月10日に発表した「人間力戦略研究会報告書 若者に夢と目標を抱かせ、意欲を高める ~信頼と連携の社会システム~」がそれだ。

それによると人間力とは『社会を構成し運営するとともに、自立した一人の人間として力強く生きていくための総合的な力』とある。

チョッピー
チョッピー

つまりどういう事なの?

僕にはわからない。

僕に言わせれば「社会を構成し運営するとともに、自立した一人の人間として力強く生きていくための総合的な力」として1番適切な力は「財力」になってしまう。

全く持って身も蓋も無い意見となるが、無尽蔵の財力さえあれば(その人自身の知識・スキルがどうであれ)社会を構築・運営も出来るし、自立した一人の人間として力強く生きていく事も出来ると思う。

逆に言えば、財力が全くなければ、それらは出来ない。

なので、僕の認識で人間力戦略研究会の定義に従えば「人間力 = 財力」となってしまう。だが、これはなんとなく、一般的に言われている「人間力」のイメージとは合致しない(ような気がする)。

イメージとしては合致しないけど、僕としては定義に反しているとは思えない。この定義はそのくらい曖昧なモノだ。

実際に上記の報告書の中でも『この定義は、多分にあいまいさを含んでいる。しかし、私たちは、人間力という概念を細かく厳密に規定し、それを普及させることをこの研究会の使命とは考えていない。』と書かれている。

僕としては、この時点で「人間力」という言葉には「フワッとした雰囲気を伝えるモノ」以上の価値は存在しないと思えて仕方がない。

地頭に至っては、もっとヒドい。確立した定義など全く見当たらない。個人個人が勝手気ままに「地頭が良いとはつまり○○だ!」と言っている状態だ。

「人間力」も「地頭」も、どちらもフワフワとしたイメージを伝えるための言葉に過ぎない。そこに実態はない。掴んだ端から消えていく、消えていく割にはベタっとまとわりつき、それを口にするモノだけが気持ちよくなれる、綿菓子のような言葉である。

雑な表現は流せ

他人を評して「人間力が高い」や「地頭が良い」という場合、それはほとんどのケースにおいて「僕は彼がスゴいと思う」や「僕は彼が好き」と言った個人の好き嫌いレベルの批評と程度がほとんど変わらない。

何故ならば、どちらも定義が曖昧な言葉だからだ。定義が曖昧なので、原則的に「それを使う人自身の思い込み」での評価にしかなり得ない。それは個人の好き嫌いと同意である。

もっと言ってしまえば「人間力」や「地頭」という曖昧な言葉を使って他者を批評するのは、批評者自身の手抜きであり甘えだ。

「この人は○○が××だ」という具体的な評価を下す事から逃げているから、「人間力」や「地頭」と言ったフワフワとした雰囲気を伝えるだけの言葉に行きつくのである。それは評価される側に何の益ももたらさない。

評価される側の人間は「人間力」や「地頭」と言った曖昧な定義による批評をされてしまった場合、それがプラス評価であれマイナス評価であれ、気にする必要は無い。気にしたところで無駄だからだ。

誰かから「人間力が高い!」と思われている人であっても、他の誰かからは「人間力が低い!」と思われているかもしれない。同様に誰かから「地頭が良い!」と思われている人であっても、他の誰かからは「地頭が悪い!」と思われているかもしれない。これらの逆のケースもあるだろう。

「人間力」や「地頭」と言った言葉は定義があやふやな雑な言葉だ。雑な言葉に振り回され、時間や精神を浪費してしまう事ほど無為な事はない。

運悪くこれらの言葉を使って人を評する無礼な人物・組織に出会ってしまった時は、「テキトーなこと言ってんなコイツ」くらいの態度で流してしまうのが、人生を楽に生きるコツではないかと思う。

また、これらの言葉を使ってしまいがちな方は、自分が具体的に何を見てそう思ったのかを再考してみた方がいいのではないだろうか。そうしなければ「印象論だけで人を断罪する人物」だと思われてしまうかもしれない。

お気をつけて。

本日の締め

今回はチョッピーの考える「雑な表現の無意味さと、それへの対処法」を書いてみました。

記事の冒頭で言い訳した通り、いつもよりも僕の偏見が多めに含まれていた記事だったと思います。

今回の記事を読んで「よくわからない話だなぁ」と思われた方は「このような考え方もあるのか…」と多様性を楽しむ場として今回の記事を活用して頂けると幸いです。

本日もふらとぴにお越し頂きありがとうございます。

そもそも人間が人間を評価すること自体が下品で失礼な行為なんですけどね。

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