こんにちは。比較的恥知らず寄り、チョッピーです。
YouTube は最高のサービス
コロナ禍における強い味方といえば、なんと言っても YouTube が挙げられるだろう。
緊急事態宣言発出中でも、これのおかげでなんとか精神の安定を保てている…という方もいるのではないだろうか。
最近は子供向け動画も多く投稿されている。そのため、お子様の遊び相手としても重宝している…という話も耳にする。
2021年8月31日現在のチャンネル登録者数日本一(登録者数非公開のチャンネルを除く)の「せんももあいしーCh」もジャンルとしては子供向けと言えるでしょう。その登録者数はなんと1030万人! 意外な事に「HikakinTV」や「はじめしゃちょー」のそれを超えているのです。
僕も作業中や食事中など、1日のかなりの時間に渡って YouTube の動画を流している。それを観る事を目的にしている時もあれば、BGM代わりに流し続けている事もある。
読者の方の中にも、YouTube にはお世話になっている…という方は多いのではないだろうか?
そんな今や準生活インフラとも言える YouTube。それに関して文春オンラインが興味深い記事をアップしていた。
記事タイトルに「巨大化する動画プラットフォームの光と影」とある通り、YouTube の様々な面について日本法人トップの仲條亮子氏にインタビューをしている。
恥を知れ?
上の記事では「DaiGo」や「へずまりゅう」と言った悪名高い YouTuber についても言及されている。
仲條亮子氏は「表現の自由を尊重しつつ、問題のある動画は様々な手を講じて削除する努力をしている」と回答されており、まぁ、YouTube という巨大プラットフォームのトップの立場としてそつのないお答えだなぁ…という印象。
個人的には「一般人が自由に利用できる」という特性上、究極的には個々のモラルに頼った運営になるのは仕方がないのだろうな、と思う。仕組み上、事前に内容をチェックできないのだから、動画の削除等が後手に回るのは当然の話なのだろう。
もし、YouTube という場を誰にとっても快適な場にしたいと望むのであれば、僕達、利用者ひとりひとりがモラルを高めていくしかないのかもしれない。
実際、Yahoo!ニュース等のコメントで、問題を起こしがちな YouTuber のニュースに対して「恥を知れ!」と書かれているのを目にした事もある。
恥、か…。
感情の善し悪し
言うまでもない事だが、人間には感情がある。
幸せな人生を送りたいと考えるのであれば、基本的にはポジティブな感情を得られる機会を増やし、ネガティブな感情を得る機会を減らすように生きるべきなのではないかと思う。
ただ、感情とは本当に複雑なもの。「ポジティブ」とも「ネガティブ」とも言い難いモノもあるだろう。
たとえば…「切なさ」はどうだろうか。これは良いとも悪いとも言い難いモノだと思う。
若干ネガティブ寄りな感情な気もするが、これを避けるために永遠に同じ場所にとどまり続けるのが良いのか、と問われれば、一概に首肯も出来ない気はする。
「恥」も同じようなモノなのではないかと思う。
「恥」は基準にしない方が良い
もちろん「モラルに反する行為により自分の利益を得る」という手法に関しては「恥」を感じるべきだと思う。社会的な損失が大きいと感じるからだ。
道徳的な話を抜きにしても、社会的な損失が大きい手法で益を得ると、その後、社会から反撃を食らわないとも限らないですしね。
ただ、人間はモラルに反さない行為にも「恥」を感じる場合がある。表に出ること自体を恥ずかしいと感じるパターンもあるし、アウトプットを発表する事にも恥じらいを感じる場合もあるだろう。
この場合の「恥」は全くいらないモノだと感じる。
この感情を避けようとして表に出る事をためらったり、アウトプットを発表しなければどうなるか。確かに積極的に嫌な目にあう事もないかもしれないが、それによる益も得られない。
もちろん、どの様な人生を送りたいかは人それぞれ異なるだろう。
個人的には、益の多い人生を送りたいならば一概に「恥」を基準に行動を決めるのは避けた方が良いのではないか、と思う。
本日の締め
今回は僕の考える「益の多い人生を送るために必要な考え方」についてのお話を書いてみました。
『菊と刀』によれば日本には「恥の文化」というモノがあるそうです。
確かに自分を振り返ってみても「これをするのは恥ずかしいかもな…」と思う瞬間は多い。でも、「恥」にはそれ単体では良いも悪いもないと思うんですよね。
「恥」だけではなく、そこにモラルもかけあわせて行動の是非を決めていく。これが必要となる世の中なのではないかと思います。
本日もふらとぴにお越し頂きありがとうございます。
「恥知らず」でも「恥ずかしがり屋」でもダメなんでしょうねぇ。